第357話 稼働する遺跡

 人間を超える長さの剣が迫る。

 手すりから身を投げ、剣をやり過ごした後に再度手を伸ばす。親指を除く四本の指がかろうじて引っかかり、負荷が集中する。中指の爪にヒビが入る感触と痛みが、反射的に掴んでいる手を離そうとする。意思の力でねじ伏せ、指先の力だけで体を支える。自分を引っ張り上げられるほど自分の力が強いなどと過信してはいない。クライミング選手ではないのだ。ぶら下がり、海面に落ちなければいい。

 わずかに引っかかっている指が、振動を感知する。マキーナ改が、私がいた辺りをうろついている。息を殺して橋の真下に潜む。水面に巨大な影が映る。影は左右を見渡した後、ゆっくりと離れていく。

 思った通りだ。マキーナ改は、改じゃない。マキーナよりもかなり性能が低い。

 マキーナは、推測になるが通常の視覚だけでなく、サーモグラフィのように人間の体温で位置を特定していたし、いなくなればかなり執拗に周辺を捜索していた。

 だが、マキーナ改は視界に映らなくなった途端追跡を終える。門から逃げたティゲルたちを追っていたのに、門が閉まった瞬間止まったのもそのためだろう。視界に入った人間を追いかける、というような、簡単な命令しか実行できないのだ。馬みたいに目が顔の横についているから、最低でも二百七十度以上の視界を確保しているが、障害物に身を隠せばある程度追いかけるが、簡単に見失う。それでも体の一部、指などから人間を類推されたら、橋にかかっている指先で居場所を特定されるわけだが、それもないことが今証明された。推測を積み重ねると、人型と認識できる生物に対して攻撃指示を受けている、ということになる。指先だけだと人間と判断されないのだ。マキーナ改、ではなく、マキーナの劣化版であり、二体いることから、性能を落として大量生産した個体であると考えられる。ガンダムで言うところのジムとかガンタンクみたいなものだろうか。

 もっと早くマキーナ改の性能に気づいていれば、こんな苦労をしなくても良かった。こうして橋の下に身を隠しながら、出入り口に近づけばよかったのだ。


 ティゲルを先に逃がしてから、マキーナ改との追いかけっこが始まった。距離を取りつつ、周囲の状況を把握する。出口とは反対側、塔の付近ではもう一体のマキーナ改が暴れていた。海賊はパッシオとかいう船長を残すのみで、他の海賊は全員床の染みかミンチになっていた。僧兵は半分がいなくなっている。マルティヌスは生き残った残り半数に含まれている。マキーナ改の真ん前に蹴り飛ばしてやったのだが、運よく生き延びていた。仲間の僧兵が彼を救い出したのだろうが、マルティヌスは隣にいた仲間の僧兵を突き飛ばし、マキーナ改の視線を誘導した。彼が狙われ、殺されている間に、マルティヌスが残りの僧兵を連れて塔に逃げ込むのを目撃した。人のことを言えた立場ではないが聖職者が聞いて呆れる。さておき。

 重要なのは、マキーナ改は塔の中に多少首を突っ込んだ後、すぐに引っ込めた。塔の入り口は門のように閉じられたわけではなく、マキーナが通れないほど狭いわけでもないのに、だ。

 この時点では、まだ確証は得られなかった。中にある扉が閉じられたのかもしれなかったからだ。僧兵たちを追っていたマキーナ改は、残るパッシオへと視線を向けた。目が合った瞬間、パッシオは引きつった悲鳴を喉の奥で鳴らす。後ずさりする彼を、マキーナ改は無機質、無感情に追い詰める。

 おそらくそれは、偶然だっただろう。蛇に睨まれたカエルは、仲間の死骸からにじみ出た血で足を滑らせた。パッシオの両足が手すりの下を潜り抜け、重力に引かれて体がずるずると落ちていく。慌てたパッシオは手すりにしがみつく。掴まった腕だけが私の視界に映っている状況だ。

 逃げられない。確実に殺される。そういう展開しか待っていない、はずだった。だが、マキーナ改は動きを停止し、振り上げていた剣を下ろした。

 まさか、と思った。だが、それまでの違和感が繋がり、仮説が生まれた。マキーナ改は、人間と認識できなければ攻撃を止めるのではないかと。

 残念ながら、パッシオはそのまま海に落下してしまったため、それ以上の検証は不可能になった。だが、試してみる価値はある。最悪味方が来るまでは私も海に飛び込むしかない。

 気になるのは、二体のマキーナ改の内、一体は海中から躍り出たという点だ。まだ海の中にいないとも限らない。飛び込むのは最後の手段としたい。


 そして現在。橋にぶら下がりながら、仮説を実証できたところだ。マキーナ改をやり過ごした後はここから脱出し、皆と合流して逃げればいい。完璧な計画だ。現時点では不可能という事に目を瞑れば。

 片手を離す。途端にもう片方の腕と肩に重みが加わる。我慢して、懸垂の要領で手を伸ばし、掴んでいた部分よりも出口に近い個所を掴む。掴んだら、反対の手を離し、また前へと手を伸ばし、掴む。少しずつでも進んでいくしかない。

 肩が痛い。腕がだるい。指が痺れてきた。どうして私は、異世界に来てまでサスケをしているのか。疲労と痛みが苛立ちを増幅させる。

 体感では何百メートルも進んだと確信を持って言えるが、おそらく、十メートル、良くて二十メートルほどしか進んでいないだろう。ゴール地点はまだ先に見えるからだ。途方もない徒労間が疲れにエールを送っている。アレーナさえあれば、数秒で到達できるのに。

 すぐには気づかなかった。ぼうっと海面が光っている。橋の裏側に自分の影が伸びていた。まぶしさをこらえて、下を見る。


 目を疑った。疑いようがなくなった時、信じたくない事実が足元に広がっていた。


 最初、まぶしさと海面の波でよくわからなかった。目を凝らして光の正体を探る。

 この円形のホールは橋の下に、海溝なのか深い穴が伸びているのは先ほど確認した。海溝の壁には、ニュートリノを観測する富士山にある施設スーパーカミオカンデみたいに半球上のガラスがずらっと並んでいる。そのガラス一つ一つが光っているのだ。

「冗談、でしょう?」

 そのガラスの中身は、マキーナ改だった。ガラスが一体いくつあるのかわからないが、百や二百ではきくまい。ここは、奴らの製造工場だったのか。もしこれが一斉に目覚めたら。

「国の一つや二つ、滅んでもおかしくない」

 聞かされてきた予言が成就してしまう。

 海面がさらに大きくさざ波立つ。更に下、深海から、何かがせりあがってくるようだ。ここから、まだ状況が悪くなりようがあるのか。

「今に、始まったことじゃないわね」

 良い意味でも悪い意味でも諦めが良くなってしまった。これが大人になるという事なのか。再び進み始める。ちゃぷちゃぷと波同士がぶつかる音が大きくなってきた。海面下で蠢く何かが近づいてくる気配。急ぎたいが、疲労と痛みで頭に体がついてこない。

「やばっ」

 爪から流れた血のせいか、指が滑った。頭は完全にホールドしていたつもりだから、もう片方の手は離す動きを止められない。肚が浮く感覚。重力に引かれ、落下していく。

 足が水面を通過する。抵抗もなくするすると沈下し、あっさりと頭頂部まで冷たい膜に覆われていく。見つかるのも覚悟のうえで、手足をばたつかせ、呼吸するために水面へともがく。疲れた体に加えて、衣服を水が吸ってかなり重く感じる。水をかく毎に体力がどんどん削れていくのに対し、上にまったく進まない。

 これは、本格的にまずい。そう思っていると、つま先がこつんと何かに当たる。思ったより、底が浅かったのか? いや、確認した時はかなり深かったはずだ。では、場所によって浅いのか?

 違う。そうではなかった。

 先ほど確認した何かが、足元まで上がってきたのだ。下を見れば、その何かによってマキーナ改の入ったガラス玉が放つ光が遮られている。足がしっかりと何かを踏み、そのまま上昇していく。かなりデカい。ついに海面から頭が出た。そこで終わらず、自分の体はどんどん持ち上がり、橋の高さまで到達した。

「なんだ、これ」

 せき込みながら足元を俯瞰する。巨大な銀色の三角形の板の上に、私はいた。三角形は完全な平面ではなく、ところどころにこぶのような盛り上がりがあった。そこからプロペラが見える。さらに三角形の底辺に当たる部分は、マキーナについていたロケットの噴出口のような形をしている。

 まさかとは思うが、これは、飛行機、なのか? もし飛行機だとすると、特撮映画に出てくる巨大な全翼機だ。指揮本部とか格納庫とか居住区とか全部込みタイプの奴。

 水が滴る全翼機の表面を観察していて、ふと視線を上げると。

「・・・」

 マキーナ改と目が合った。全翼機の登場に意識を持っていかれていたが、今は絶賛逃走中だった。マキーナ改の四つ足が曲がり、飛び上がる。その瞬間。

 火花と轟音が飛び散った。

 門から飛び込んできたラケルナが一直線に突っ込んできて、凄まじいタックルをマキーナ改の胴体に突き刺したのだ。

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