第246話 慟哭響く夜
風が吹きすさぶ城の上で、私は佇んでいた。足元には首のない死体が一つ。その首は少し離れたところに転がっていた。この国の王であったものだ。
殺しても殺したりないほど憎い相手の死体を前にして、私の中にあるのは達成感ではなかった。もう、こんなものに用はない。早々に視線を外し、振り返る。そこに横たわる男の亡骸を眺める。
頬を何かが伝う。手で触れると、指先が湿り気を帯びた。涙だった。泣いているのだ、と物理的証拠を見て確認した。亡骸にゆっくり近づく。
「何故ですか」
答えが返ってくるはずなどないのに、私は問いかけた。
「何故、私なんかを庇ったんですか」
亡骸は答えない。ただ、微笑んでいた。微笑んだまま、絶命していた。亡骸の前に跪き、嘆く。
「何故笑ってるんですか、モンドさん!」
――――――――――――――――――
少し時間は遡る。
モンドは戦いながら周囲を見渡していた。もちろん逃げるためだ。カリュプス王の罠に嵌ったのは明白、四方を化け物化した貴族どもに囲まれ、しかも噛まれた相手も化け物になる始末。時間が経てば経つほど不利になる状況だ。
ちらと己の背中を守るアカリを見る。明らかに迷っている。おそらく彼女の理性は撤退を選んでいるだろう。先ほどのウェントゥスでの不意打ちで、おそらく倒しきれないと悟っている。やはり、王を守る魔道具は噂通り、いや、噂以上の堅牢さを誇った。豪語したように、ドラゴンの業火ですら防ぎきる。たとえ化け物の群れを潜り抜けたとしても、手持ちの武器では殺せない。己ですらそこまで読めるのだから、彼女はすでに読み切っているはずだ。
彼女の感情は反対だった。確かに王族、しかも五大国の王を討つ機会などそうはない。ここまで敵対者が接近したことなど、この数十年で初めてだろう。この機を逃せば、次があるかどうかすら怪しい。
だが、それだけではあるまい。彼女の執念はそれだけが理由ではないはずだ。想像するしかないが、おそらくラテルでのあの戦いから、アカリの中にはずっと後悔と憎しみが燃え続けていたに違いない。その対象は、インフェルナムやトリブトム、だけではない。そもそもの元凶であるカリュプスにも向けられていたに違いない。であるなら、仇である王を前にして、撤退の二文字は心情的に認められないものだろう。
このあたりが、優秀な団長へと成長したアカリの欠点。まだ精神的にガキな部分だ。傭兵は恨みも買うが、反対に誰かに恨みを募らせる。当たり前だ。殺し殺されの職業なのだから、殺した相手に家族や友人がいれば恨みを買うのは当然だし、こっちが仲間を殺されれば憎しみが募るのは当たり前のことだ。
しかし、傭兵を長く続けていると、そのあたりの感情に良い意味でも悪い意味でも上手く折り合いがつけられるようになってくる。死に対して慣れが生じ、ドライになる。仲間を失うのは辛いことで、相手に対する憎しみは消えぬもの。だが、それでも生きている自分たちの方を優先しなければならないとどこかで感情のスイッチが切り替わる。
アカリはまだ折り合いをつけられない。だから、撤退の指示が出せない。
こんな未熟な団長のケツを叩くのはギースの役目だった。だが、奴はもういない。ならば、己がその役割を引き継がなければならない。彼のように弁が立つわけではないから、力づくで引きずっていくしか方法は思いつかないが。
とびかかってきた元貴族を斧で打ち返す。元貴族の頭がへしゃげ、そのまま背後の化け物どもをなぎ倒していく。王までの視界が拓けた。
王の前では、イディオたちが切り結んでいた。しかし、どうも様子がおかしい。ただ切り結んでいるわけではない。イディオの側近たちはイディオを囲い、嚙まれるのもいとわず玉砕覚悟で戦っている。守られている側のイディオは、戦わずに側近たちの影に囲まれている。何をしている。諦めたのか? それを見て、側近たちが彼を守っている? だが、そんな方法ではじり貧だ。守るのなら、道を切り開き脱出するのが最善だろうに。
「カリュプスに栄光あれ!」
そう叫びながら、側近たちが化け物どもの前にダイブした。喰われるのがわかっていてなぜ?
人の壁が少なくなってきたところで、イディオが見えた。彼の手に、剣ではない物が握られている。あれはなんだ。諦めたのではないのか。諦めたので無ければ、あれはなんだ。
正体はわからない。だが、傭兵としての経験が、勘が叫ぶ。最大級の危機が迫っていると。イディオは諦めていない。王をここで討つ気だ。あの手に持つ何かは、それを可能とする物。勝利を掴める物。なのに側近たちは死を覚悟して死に飛び込んでいる。つまりは、あれはそういう類の物だ。全てを巻き込むような何かだ。
モンドの動きは素早かった。懐にしまっていたある魔道具を取り出す。ラップと呼ばれるその魔道具は、対象の表面をコーティングし、様々な攻撃から身を守る魔道具だ。しかし唯一の欠点は魔力消費が激しく、耐久性、硬度を上げれば上げる程魔力を消費する。一人を守るために一人の魔力を消費する矛盾を抱えた魔道具だった。
モンドはそのパッチを持ってアカリを抱きかかえた。
「モンドさん?!」
「悪いな、団長」
彼女の鎧にパッチの出力デバイスを張り付ける。そして、自分の全魔力をパッチにそそぐ。パッチによってアカリの全身がコーティングされていく。もがく彼女を、力ずくで押さえつける。
守ると誓ったのだ。あの時、ギースやテーバ、プラエの前で。命を懸けて、今度こそ!
「あんたも考えることは同じか」
魔力が急激に失われ、意識が薄れていくモンドに話しかける者がいた。
「お、前ら」
アスカロン団員たちだ。ここまで一緒に戦ってきた戦友たちだった。彼らもまた、持っていたパッチの出力デバイスを団長に貼り付けて彼女を守るように覆いかぶさる。
「最後まで、世話の焼ける団長だったぜ」
「だが、おかげで楽しかったなぁ」
「まったくだ」
「だから、ここで死なせるわけにはいかねえよな」
団員たちは笑った。ああ、そうだ。その通りだ。己たちの団長を、ガリオン兵団が壊滅した絶望の中で立ち上がり、自分たちに夢を見せてくれた女を守るのだ。
コーティングされたアカリが何か言っているが、モンドにはもう聞こえない。代わりに最後の言葉を伝える。
「団長、生きろ。お前は生きろ」
視界の端で、イディオの手から魔道具が零れ落ちる。強い輝きを放ち、視界を白で染める。圧倒的な熱量が周囲を焼く。団員たちが一瞬で燃え尽きていく。
死ぬときは苦しむものだと思っていた。まだ生きたいと未練がましく足掻き、他者を妬みながら死んでいくと思っていた。
だが、彼らの胸の中に、そんな妄執はなく。
胸を満たすのは楽しかったという満足感と、もう少し、未熟な団長と共に夢を駆けてみたかった、彼女の成長を見届けたかったという願いだけだった。
ゆえに、彼らは笑って死んだ。大切なものを守ったと誇りを抱いて。
――――――――――――――――――
全てが消し飛び、団員たちは跡形もなかった。中央部にいたモンドの亡骸も全身が炭化して、顔も半分は焼け焦げていた。判別できるのは左半分だけだ。その残った口元が、笑みを浮かべていた。
苦しかったはずだ。なのになぜ、そんな安らかな顔をしているのだ。
「恨んでいるはずです」
愚かにも感情に流され、危険な依頼を引き受けた私を。
「憎んでいるはずです」
自分を死地に追いやった私を。
「なのに、何故・・・」
声がかすれ、代わりに喉からほとばしった慟哭が響き渡った。
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