第244話 地獄にて咲く花の名

 まずい。

 王を含めた貴族連中を閉じ込め衛兵たちと分断したつもりが、今度は逆に私たちが追いつめられている。逃げないように頑丈に閉じ、障害物で封鎖したドアは、私たちを逃さないための檻となった。

 この状況の何がまずいって『イディオの反乱が王に察知されていた』という点が最もまずい。

 貴族たちにふるまうパーティーの食事はいつから用意された? 食材の仕入れや仕込みなども考えれば最低でも前日から用意されていただろう。その時点で察知されていた事になる。知っていて軍を動かしたのは、作戦が上手くいっているとイディオたちに信じ込ませ、私たちをこの場に誘い出すためだ。王はイディオたちが秘密裏に計画していた作戦を利用して、反乱分子をおびき寄せてここで消すつもりなのだ。警備が薄かった理由も納得がいく。こうなると囮となったムトやセイーゾたちも危うい。どうにかして切り抜けなければならない。

 こちらに飛び掛かってきた元貴族を私は蹴り飛ばした。カウンター気味に鳩尾に蹴りを食らった元貴族は、一度仰向けにビタンと倒れたが、何事もなかったかのようにのけ反りながら起き上がった。倒れた時に腕が変な方向に曲がっているが、気にした様子はない。痛覚がないのだ。

 遠い昔聞いたゾンビの話に似た話を王が喋っていた。寄生した人間を食料とするから備蓄として他の人間の死体を増やすために人を襲う。だが、私が聞いた話ではその寄生虫は死体しか操れないはずだ。だからゾンビと言われているのに。新種でも発見されたのか?

 頭の隅で閃光が瞬く。何かが記憶と思考の検索網に引っかかった。こんなこと、以前もあったはずだ。

「ヴァアアアアア!」

 元貴族が再びこちらに突進してきた。アレーナを盾状に変化させて振り下ろした腕を弾く。見た目の貧弱な体つきからは想像できない速さと力だ。おそらくは本人の普段以上の力が出ているのだ。その証拠に、アレーナを叩いた元貴族の腕が折れている。

 人間の脳にはリミッターがあるという。それ以上の力を加えると自身の体を傷つけるため、それを抑制するためだ。だが、そのリミッターが外れている。寄生虫が外して、自傷するのも構わず百パーセントの能力を発揮させている。そうでなければ、鍛えたこともないようなヒョロヒョロの連中など傭兵たちの敵ではない。今頃簡単に押し返せているはずだ。

「くっそ!」

 新種だろうがなんだろうが今はただの敵だ。死なない敵をどうすれば倒せる?

 昔聞いたゾンビの話では、寄生虫自体が体に電気信号を送ることで体を動かしていた。そうなると脳を破壊しても動き続けることになる。燃やすなりして完全に破壊しつくすしかないのか。だが、そんな火力この場にはない。あったとしても、私たちにも危険が及ぶ。

 一か八かだ。ウェントゥスを構える。寄生虫は人の頭を支配すると王が言っていた。品種改良され、生きた人間を操れる代わりに自分では電気信号を発せず、頭、脳を利用しなければならないのではないか。

 アレーナの隙間からウェントゥスを突き出し、元貴族の眉間を貫く。

 果たして、効果はあった。二、三度痙攣した元貴族は弛緩し、振り上げていた腕がだらんと下がった。剣を引き抜けば足にも力は入らず崩れ落ち、そのまま動かない。読みが当たった。

「頭を狙って!」

 すぐさま情報を共有する。私の声に応じたモンドが、ゾンビの腕ごと斧で首を切り落とした。急所が分かれば、対処だってできる。押され気味だった傭兵たちが盛り返す。斬っても死なない化け物から、倒せる相手とわかっただけでも精神的な余裕が生まれる。肉体的には、いくら強靭になったとはいえ、奴らの動きは最も近い人間を襲う単調なものだ。躱し、避ける方法はある。

そんな私たちの有利を簡単に敵の数が押し潰す。

「ぎゃあああああああ!」

 悲鳴が響き渡った。振り返れば、ラーシーの部下の首筋にゾンビが嚙みついている。振り払おうともがいているが、そこへ新手のゾンビが飛び掛かり、彼を引きずり倒した。そこからは直視できないような惨状が繰り広げられた。皮膚が破れ、筋繊維が千切れ、内臓が飛び出した。

「このクソ野郎どもが!」

 ラーシーたちがゾンビにのしかかられている部下を必死に助けようとする。手遅れとわかっていても、目の前で苦楽を共にした仲間が喰われていくのは耐えられなかったようだ。私でも同じことをするだろう。頭を潰し、掴んだまま固まったゾンビの手を力任せに引き剥がす。ようやく救い出した部下は、無残な姿となっていた。いや、それだけならまだよかった。

 ゆっくりと、臓物をまき散らし、顔の皮が半分めくれた部下が立ち上がった。白く濁った眼を、自分を助けたはずのラーシーたちに向けている。

「おい、ジャコバ、嘘だろ」

 ラーシーの絶望を、ジャコバと呼ばれた部下は体現した。目の前にいたラーシーによだれを垂らしながら襲い掛かったのだ。また悲鳴が上がる。

「ふむ、聞いていた通りだな」

 様々な騒音が響き渡る中、王の癪に障るのんきな声が音の間隙を縫って聞こえてきた。

「襲い掛かられた人間は、傷口から寄生虫が感染して仲間を増やす。しかも笛の音を聞いた寄生虫は活性化し、感染速度が上がる。もしこれを敵国の中で実行すればどうなるかわかるか? イディオ」

 対するイディオは四方八方から来るゾンビの群れを払いのけながら、少しずつ王の方へ近づこうとしている。だが、そのたった十メートルが恐ろしく遠い。問いかけに応える暇はないようだ。

「そこに住む全ての民が化け物と化す。我らが手を下さずとも、敵の民が敵の王を殺してくれる。そこに住む者が多ければ多いほど滅びの速度は増す」

「愚かな。こんな化け物だらけの土地に人が住めると思うのか!」

「その点は安心していい。こ奴らはすでに死人、一時的に動けているにすぎん。腐敗が進めば動きは止まり、勝手に土に還る。寄生虫も、自分を守る宿主が消滅すれば後を追って滅びる定め。そうだな。ひと月も放置しておけばきれいさっぱり消滅し、土壌が豊かになった土地が後に残るだろう」

 悪趣味なことをのたまいながら、王はこの状況で酒の入ったグラスをもてあそんでいた。完全にイカレている。人間として、すでにどこか逸脱している。王という人種は、人間ではできない職種なのかもしれない。一番の化け物は、カリュプス王自身なのだ。でなければ、自分の妻や息子をゾンビに出来るわけがない。

「団長、やばいぜ」

 背中合わせのモンドが息を切らせながら小声で言った。

「仲間連中の士気が、目に見えて下がってる」

 下がらないわけがない。周囲は化け物だらけ、殺された仲間が化け物に変異して仲間に襲い掛かってくる。地獄もかくやだ。士気が下がらないわけがない。逃げ出す一歩手前と言っても過言ではないだろう。その退路が無いのが絶望を加速させている。もはやここまで、と背水の陣で戦いイディオを守るほどの忠誠心が私を含めて傭兵にあるはずがない。私は王憎しカリュプス憎しで立っているが、彼らはそうではない。

 仇が目の前にいる。たった十メートル少々の距離に殺しても殺したりない相手がいる。今後これほど近づけるかどうかというほどのチャンスだが、そのチャンスを活かしきれないのもまた事実。

 先ほどのウェントゥスでの狙撃。私は服のない喉付近の隙間を狙った。だが、王の体が動き、切っ先はマントによって防がれた。王が戦闘の達人でこちらの動きを察知したのでなければ、あのマントはただ固いだけではなく、危機に対して自動で反応するように出来ている。この混戦の中であってもその機能は作用するだろう。あの自動防壁を破るには、大火力でもろとも破壊するか、反応する暇すら与えないほどの速さで隙間を狙うしかない。今の手持ちではどちらも達成できない。

 理性は撤退を訴えている。だが、出来ない。奴を殺さなければ。今、ここで。仇を取らなければ。己の中で生まれた矛盾に足が止まる。思考が停滞する。

 故に、見逃す。

 この場には、もはやこれまでと背水の陣を取れる人間がいることを。自らの命を犠牲にして、未来に託す覚悟がある者たちがいることを。

「許せ、同胞たちよ」

 イディオだった。

「リムスの大地でこのような悪魔の所業が繰り広げられるのを俺は止めたい。この王は、ここで討たねばならない」

「わかっております。我ら、すでに死を覚悟しております」

「皆の家族は、ハーミットや辺境伯が手厚く面倒を見てくれる。皆の戦いは、子々孫々、平和になったカリュプスで英雄譚として語り継がれるであろう」

「悪魔に鉄槌を、祖国に平和を!」

 合言葉の様なものを叫び、イディオの部下たちは彼を守るようにして囲んだ。実際守っているのだろう。だが、イディオが欠けた穴は大きく、彼らは次々とゾンビに噛みつかれていく。

「カリュプスに栄光あれ!」

 そう叫び、噛まれたままゾンビもろとも群れに突っ込んだ彼にゾンビが押し寄せる。胸糞悪い咀嚼音が響く。同じように、イディオを囲む人数が少しずつ減っていく。

「何で、あんな無茶を」

 唖然とする中、取り巻きがいなくなったイディオが立っている。その手に何かを握っていた。

 宝石で作られた花、のように見えた。あの魔道具、以前、どこかで、似たような物を。

「王よ。父よ。これで終わりにしよう」

「なんだ、それは。イディオ貴様、何をする気だ」

 初めて、王に焦りの様なものが見られた。イディオの決死の覚悟が尋常ではないものだと理解したのだ。

 私も思い出した。かつて魔導王国の王女から教わった門外不出にして最先端技術で作られた魔道具のことを。持ち主の魔力を蓄積し、持ち主の死と同時に発動、周囲に破壊をもたらす、その魔道具の名は。


「『メリトゥム』。全てを葬れ」


 ゾンビに噛みつかれながらも、イディオは穏やかな声でそう告げた。自分の胸に剣を突き刺して。

 彼の手の中から花が零れ落ちる。強く発光しながら。

 カツン、と、それはこの喧騒の中ではすぐに搔き消されるような小さな物音だった。


 そして、世界が白に染まった。

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