第220話 con artist

 惜しいことをした。コンヒュムの宿で酒の入ったグラスを傾けながら、トリブトム幹部直属の部下であるノリはずっと後悔していた。彼の脳裏に浮かぶのは、アスカロンの美しき団長アカリだ。

「どうして口説いておかなかったかなぁ~」

 今思い出しても興奮する。男を惹きつけてやまない蠱惑的な体、保護欲と独占欲を刺激する美しい顔。コンヒュムに戻ってきてから、何人もの女を抱いた。だが、胸を占めるのは彼女だけだ。他の女とのSEXの最中であっても彼女の顔がちらつき、逆に興奮は増したが、行為が終わっても満たされることはなかった。

 人は過去の記憶に補正をかけるもの。ノリもそれは理解していた。理解はしているが、どうしても考えてしまう。比較してしまう。今自分の目の前にいるのがアカリなら、もっと感動していたのではないか。快感を得られていたのではないか。幸福で満たされたのではないか。あり得たかもしれない、存在しない未来と今を比較してしまう。何度も何度も、無駄なことをしてしまう。

 そんな時ドアがノックされた。

「ノリトモ様。至急お伝えしたいことがあります」

 部下の声だ。人がセンチメンタルな時に。

「何だ!」

 苛つきを隠そうともせず、ぞんざいな口調で返事する。

「今、忙しいんだ。本隊に送る報告書も作らなきゃいけないし。どうでもいいことなら後に」

「傭兵団の生き残りを一名、発見しました」

「・・・何?」

 けだるい気分が一気に失せた。跳ねるように椅子から立ち上がり、ドアを開ける。

「生き残りだと!」

 部下の言う傭兵団とは、トリブトムが更に発展するための糧になってくれた三つの団『リュンクス旅団』『パンテーラ』『アスカロン』のことだ。ある特殊な魔道具で操られた化け物どもの実力を計るために彼らにぶつけた。物見に残した団員からは、化け物どもは簡単ではあるが、こちらの指示通り動いていたと報告を受けている。あの数の化け物に囲まれて生き残れるはずが。

 断言しかけて、首を横に振った。信じられないが、事実なのだろう。部下がわざわざ嘘をつく必要がない。であるなら、次に自分が取るべき行動は一つ。生き残りを問いたださなければならない。場合によっては、せっかく助かった命を捨ててもらうことになる。そいつがどこまで勘づいているかはわからないが、今回の真相をあることないこと吹聴されては、せっかくまとまりかけている商談がふいになってしまう。トリブトムとしては、それだけは避けたい。

 グリフが別人に入れ替わっているのに気づいたのは、ノリたちがコンヒュムを出て一つ目のオアシスで休んでいる頃だ。本部との連絡を取り持つ団員から、極秘の情報と任務が彼に授けられた。

 内容は恐るべきものだった。これまでアーダマス王家とのパイプ役であったグリフが殺されている、という衝撃の事実から端を発し、アーダマス王家がこの件でトリブトムに対し責任を取るようにと言ってきた。トリブトムは少なくない金を依頼料としてアーダマスから受け取り、偽物のグリフに言われるがままそれを費やして調査を行ってきたからだ。

 アーダマスとしてはこれでは恰好がつかない。部下を知らぬ間に殺され、金を無駄遣いされているなど認められるわけがない。そうでなくとも昨今のカリュプスとのいざこざのせいで税が上がり、国民に不満が募りつつある。そんな時に金が騙し取られたなどと知られれば、他国からは嘲笑され、自国民からは反乱すら起きかねない。反乱は山火事と同じだ。鎮火したと思っても、火はくすぶり続け別の場所で再び起こる。それが繰り返されれば国力は低下の一途を辿り、やがて破滅する。

 アーダマスはマイナスを必死で取り返しにかかる。最悪見せしめとしてトリブトムを潰すくらいの事はやるだろう。誰かが犠牲になれば体裁は何とか保てる。

 そんな時、一発逆転の切り札を持ってきたのが幹部のマグルオ、マディだ。彼らはアーダマス王に一つの魔道具を献上した。それが化け物どもを操る魔道具だった。にわかには信じがたい効果で、それはアーダマス王にとっても同じだった。その反応も想定通りという顔で、マグルオは魔道具を掲げながら王に言ったそうだ。

『これで、戦争に勝利するための必要経費だったと国民に説明できます』

 マグルオは同席した大団長を押しのけ、王に自分の策を伝えた。国民の不満をカリュプスに向けることで逸らし、敵対しているカリュプスの領土を切り取れば税収は上がり、国民は戦勝で酔いしれ、何よりたかが卵ででかい顔をしていたカリュプスに実力でも珍品でも優位に立ったと知らしめることが出来る、と。王は怒りを鎮め、心くすぐられるマグルオの策に乗った。

 そして、ノリに届けられたのが化け物を操る魔道具『ラクエウス』だ。任務は、ラクエウスで化け物どもを操り三つの傭兵団にぶつけ、その光景を彼が持つ魔道具、スマートフォンで記録して来いというものだった。

 三つの傭兵団と同盟を組んだのはもしもの時のスケープゴートだった。依頼が偽りだとわかった今、彼らに支払うの金はない。そんな彼らを消し、かつ魔道具の実証も出来る一石二鳥の案だ。しかも驚くべきことに、マグルオはこの事を長年の仲間であり幹部であるヒラマエに伝えるなというのだ。マグルオ曰く、ヒラマエは裏切る可能性がある、とのこと。そんな事はあり得ないとノリは思っていた。それこそ、スマートフォンにはヒラマエを裏切らせないネタが入っているのだから。

 そういえば、そのスマートフォンが見当たらない。いつから見当たらなかったんだったか。コンヒュムに戻ってからは、自分の中の喪失感と欲情を発散することを優先していて、報告のための動画編集を後回しにしていた。そんな事よりも、今は生き残りについてだ。

「間違いないのか」

 部下の両肩を掴み揺さぶる。

「間違いありません。あの女は、私も以前見ています」

 苦しそうにしながらも、部下はそう答えた。答えを聞いたノリの体内を電流が駆け巡る。

 女、もしかして。

 何の確証もない直感だが、本能的に正しいと信じ込んだ。生き残るとすれば彼女しかいない。

「生き残りは今、どうしている」

「宿の一室を借りて監禁しています。と言っても、疲労が激しくベッドに寝たきりですが。生き残りの処遇をどうするか、責任者であるノリ様の判断を伺いたく参上しました」

「わかった。すぐ会わせろ。生き残りの反応を見て、処遇を決める」

 平静を装って部下の案内で生き残りのもとへ向かう。心は逸り、足が浮足立とうとしている。

「こちらです」

 部下を押しのけてドアをくぐる。簡素な部屋の、簡素なベッドに横たわるのは。

「アカリ」

 ゆっくりと横たわる彼女に近づき、その手に触れる。温かい。生きている。生きて、また会えるなんて。何という奇跡だろうか。

 もはやこれは、運命としか言いようがない。ノリは心が躍るのを止められなかった。

「アカリ」

 もう一度、彼女の名を呼ぶ。するとどうだろう。眠り姫が王子のキスによって目覚めるように、ノリの言葉に反応して彼女の瞼が開いた。

「アカリ!」

 彼女の手を握り、顔を近づける。

「ここは?」

 まだぼんやりとしている彼女に説明する。自分たちが借りている宿である事。行き倒れていた彼女を保護した事。もちろん、自分たちに不利になるような事実は告げない。与える情報は最低限にして、逆に彼女から情報を聞き出す。彼女の体をゆっくりと起こし、水を与える。からからに乾いていたのか、アカリは水を一気に飲み干し、むせた。彼女の背中をさすりながら落ち着くのを待ち、尋ねる。

「アカリ、団長。一体どうしたんだ。何があった」

「私たちは・・・そう! スコルピウスやアラーネアの大群に突然襲われたの! みんな必死に戦ったけど、次々と命を落として・・・」

 彼女は自分の細い体を抱きしめ、震えていた。余程恐ろしい記憶が刻まれているのだろう。

「私たち、何とかあなた達トリブトムと合流しようと必死になって逃げまわっていたのよ? どうして、あなたは来てくれなかったの?」

「すまない、アカリ団長。実は、我々も同じく襲われて、そちらに合流できなかったのだ」

 非難の目で自分を見つめる彼女に対し嘘をつく。胸が痛むが、彼女を助けるためだと自分に言い聞かせる。

 彼女は、おそらくトリブトムの策略に気づいていない。ただ突然スコルピウスに襲われたと思っている。いや、それが当たり前の反応だ。一体誰が、化け物が操られていたなどと信じる?

「私たちも、生き残るのに必死だったんだ。わかってくれ」

「あなたも、大変だったのね」

「君の団員たちは?」

「・・・全滅したわ」

 すうっと、彼女の頬を涙が伝った。

「すまない」

「良い団員たちだった。彼らに支えられて、私は何とか今までやってこれた。でも、その彼らはもういない」

 一体どうすれば、彼女が悲しみに暮れる。その姿さえ美しく、そして愛おしい。知らず、ノリは彼女を抱きしめていた。

「これからは私が、いや、俺が君を守る」

「・・・え?」

「今回の件は、俺たちの依頼が原因だ」

「そんな。化け物に襲われたのは、あなた達のせいじゃないのに」

「でも、責任の一端はある。本来なら恨まれても仕方ない立場だ。俺が、君を見つけなければこんなことにはならなかった。でも、だからこそ。大切な仲間を失った君を、大切な仲間の代わりに支えさせてほしい」

 ノリの背中に、彼女の手が触れる。

「・・・良いの? こんな私が、あなたを頼っても」

 手ごたえを感じた。ここで畳みかける。

「良いんだ。一生君の面倒を見させてくれ」

「ノリ殿、それは」

「殿、なんてやめてくれ」

「私は、部下を全滅させた女。そんな私が、幸せになる資格なんて」

「あるよ。不幸な目に遭った君だからこそ、死んでしまった仲間たちの為にも、君は幸せになるべきなんだ」

「ああ、ノリ」

 背中に回った彼女の手が強まる。ノリは叫びだしたいほどの歓喜に満ちていた。あれほど届かないと思っていた女が、今自分の腕の中で、自分を頼り切っている。これほど嬉しいことは無い。

 最愛の女も手に入れた。後は、戦果をマグルオたちに届ければ任務は成功。かなりの報酬が約束されている。もしかしたらヒラマエの代わりに幹部へと昇進出来るかもしれない。いや、出来るはずだ。これだけの手柄を上げたのだから。

 自分の未来は安泰が約束されたも同然だ。

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