第87話 再契約

 息を切らせながら、視界の利かない山道をひたすら登る。

 何故南にいるはずのスライムが北国にいるのか。

 何故狙ったように落とし穴に現れたのか。

 スライムの生態を詳しく知らない人間が、現状の情報だけで推測するのは危険だ。だが、どうにも、偶然には思えない。スライムが現れたのには、何らかの理由が存在する。

 ちらと肩越しに振り向く。

「痛え、痛ぇよぉ!」

 盗掘犯が泣きわめいている。足の皮が剥がれ、筋肉は抉れ、骨が見えている。見ただけでこっちまで痛くなってくる様相だ。自業自得とはいえ、同情は禁じ得ない。

「おいぃ! もっとゆっくり、揺らさないでくれよ! 痛ぇんだよ!」

 同情は、すぐに消えた。

「うっさい! 黙れ! もう一度、もう一言一語分でもその汚ぇ口開いてみろ。引き返してスライムのど真ん中に叩き込んでやる!」

 盗掘犯以上にジュールが驚いた顔をしていた。ムトはひきつった苦笑を浮かべている。

「え、ちょ、ムト君。団長めちゃくちゃ怖いんですけど」

「普段は冷静で声を荒げることのない方なんですけどね。怒りが臨界点に達すると、ああなります。僕も一度怒られました。ついでにぶん殴られて十メートルほど飛びました」

 顔も十日ほど腫れました。ムトの話に、ジュールの顔がみるみる青ざめて、私を恐怖に染まった顔で見ていた。

「何?」

 二人を睨む。

「いえ、団長。何も。なあんにもないです。ね、ムト君?」

「ええ、何も問題ありません」

 首をぶんぶん横に振る二人から視線を外し、鼻息荒く、再び前を向く。

「しっかり担いで。街に急ぐわよ」

 

 街では、すでに守備隊が城門前で整列し待機していた。隊長のカナエがこちらに気づき、近づいてくる。

「アカリ団長、どうしてここに? 先ほどアスカロンの使者の方から、団長が泥棒集団を捉えたので現地に引き取りに来てほしいと伝言をもらったのだ。だからこうして準備をしていたのだが」

「泥棒は、こいつらです」

 投げるようにカナエの前に引っ立てた。痛みに顔が歪むが、先ほどの脅しが利いているのか小さくうめき声を上げただけで黙っている。他二名は、痛みで意識を失っているようだった。死んではいない、と思う。呼吸のたびに、わずかに体が動いている。

「領主様に事情を説明させていただきたいのですが、領主様は?」

「起きておいでだ。アカリ団長が戻ったらすぐに館に来るように、と」

「わかりました」

「アカリ団長、一体何が、どうなっているのだ?」

「申し訳ありません。私の一存では応えかねます」

「・・・ふむ、やはりあの後、領主様より密命を賜ったのだな?」

 確信をもって、カナエは尋ねた。応えるわけにもいかず、黙っているとカナエは手を振った。

「ああ、すまん。困らせるつもりはないんだ。必要とあらば、領主様から説明があるだろう。それよりも、こいつらはどうしたらいい? あとで必要になるから連れてきたんだろう?」

「はい。詳しくはまだ話せませんが、ある重大な犯罪に関わっている連中です。応急処置後、拘束しておいてもらえると助かります」

「わかった。牢につないでおく。さ、ここは任せて行ってくれ」

「ありがとうございます。お願いします」


 今回通されたのは、この前の広間ではなく、イブスキの執務室だった。少し大きめのベッドに暖炉、そして山積みの書類の束がいくつも載せられた重厚な木製のテーブルだけ。貴族の執務室にしては華美さはなく、必要最低限のものしかなかった。木製のテーブルに、眼鏡をかけたイブスキが座って待っていた。部屋の隅に、ギースとプラエが控えていた。先に報告に来ていたのだろう。

 私を案内してきた使用人を、イブスキは手で下がるように指示した。パタンとドアが閉まると同時に、私は首を垂れる。

「アカリ団長。現状を報告してくださる?」

 開口一番、イブスキは私に尋ねた。

「盗掘犯を捕まえた、という連絡が、こちらの、あなたの団員からもたらされた。だけど、そのすぐ後にもう一人表れて、不測の事態に備えてほしいと追加情報が入った。敵は、盗掘犯だけではなかった、という事?」

「順を追って、説明させていただきます」

「お願い」

 顔を上げて机に近づく。イブスキと机を挟んで向かい合う。

「領主様からの依頼後、私たちは、盗掘方法の模索からアプローチを開始し、その方法が鉄を特殊な薬品等で溶かし、排水溝から流していたのではないかと推測しました」

「ええ、聞き及んでいるわ。嘆かわしいことだけど、鉱夫が犯人だったのよね」

「庇うつもりはありませんが、おそらく彼は騙されていたか、脅されていたかのどちらかだと思います。組合長の話を聞く限り、裏切るメリットがありませんし、ただの鉱夫に魔術師の真似はできません。むしろ、仲間意識等を利用されたものと推測できます。色んな可能性を鑑みて、尋問を行うことを愚考いたします」

「わかったわ。その際、こちらの魔術師をお借りできる? 事情と薬品の知識を持ち合わせている人間がいた方が話は進むと思うの」

 プラエに目配せすると、彼女もこちらをみて頷いた。

「かしこまりました」

「よろしくね。・・・さ、続けて」

 手のひらをこちらに向かって出し、話を促した。

「今晩、盗掘が行われると予測した我々は、事前に排水溝の出口に罠を張り、待ち構えていました。予測通り犯人が現れ、罠により一網打尽にしました。ただ、その後に少々想定外のことが起こりました。我々の前に、スライムが現れたのです」

 イブスキが器用に片方の眉を吊り上げる。

「私も詳しいわけじゃないけど、スライムって南の国にしか出ないのではなくて? この地に生まれて五十年、一度も出現したという報告を受けてないのだけれど」

「私たちの認識も同じです。ですが、原因も理由もわかりませんが、私たちの前にスライムが現れ、罠で動けない犯人たちのほとんどを飲み込んだのです」

「処刑する手間が省けたと喜ぶべきか、情報を聞き出せなくなったと悲しむべきか、悩みどころね」

「そう思い、三名の救助に成功しました。重症ではありますが生きています。カナエ隊長に預けておりますので」

「そう、良かった。三人いれば、情報の真偽も確かめやすいでしょう」

 イブスキが両肘を机につき、手のひらを合わせて組んだ。

「さて、あなたとの契約は、これで完了ね。一応」

「ええ、そうですね。私は領主様から拝命した依頼を達成したと自負しております。アフターケアとして、盗掘に使われた薬品等の知識を、そちらのプラエより説明させて頂くくらいでしょうか」

「助かるわ。うちのお抱え魔術師に話は通しておくから。ああ、そうだ。我がままを一つ聞いてもらっても? アフターケアの一環ということで」

「アフターケアの範疇でしたら」

「スライム、ついでに討伐しておいてもらえるかしら?」

 当然、出るだろうとは思っていた話題だ。驚きはない。

「正直に申し上げますと、我が団はスライムとの交戦経験がありません。生態も、詳しくはありません。なので、アフターケアではお受けできかねます。もし私どもに依頼されるのであれば、失礼を承知で申し上げますが、再度金銭による契約を結んでいただきます」

「あらま、ドラゴンを屠るような団が、スライム一匹に大げさね。ドラゴンよりもスライムの方が強い、という訳はないでしょうし、確かに危険な生物であることは間違いない、けれど、世間にはスライムの粘液なるものが多く取引されていると聞きます。つまり、ドラゴンよりも確実に倒しやすいのではなくて? 倒し方や弱点など知っているのでは?」

「ええ。しかしお言葉を返すようですが、『一般的』な情報についてはおそらく領主様お抱えの魔導士も認識しているでしょうし、守備隊の方の中にもご存じの方がいらっしゃるはず」

 私の言葉に少し目を細めたイブスキだが、あえてそこは追及せず、会話を楽しむように言葉を返してくる。

「私の兵で対処しろ、と?」

「それがお得ですよ。お金もかからないし。自分の団を卑下するわけでは決してありませんが、客観的に考えて、純粋な戦闘力はミネラ守備隊の方が高いですよ。兵数も多く、練度も高い。雪山での戦闘も慣れている。カナエ隊長を見れば、鍛えられているのがわかります。それがわからない領主様ではないはず。だからこそ不思議でなりません。なぜ私たちに頼もうとしたのか。お金が発生するのはわかりきっているはずなのに」

「人間の情、のようなものに期待したのよ。もしくは、あなたが私に取り入ろうとサービスしてくれるかな、と淡い期待を持ったのかも。私の方こそ不思議だわ。なぜスライムとの戦闘を避けようとするの?」

「別段、避けているつもりはないのですが」

「でも、支払いを強調して私の兵を使え、という風に促したわよね。それはどうしてかしら」

「領主様が、私どもにアフターケアの一環でスライムを倒せとおっしゃった理由と同じです」

 イブスキと視線がぶつかり合う。ここは引けない。ただで団員を危険にさらすことなどあってはならない。

 やがて、イブスキがふふ、と口を綻ばせた。

「あなた、良いわ。とても良い。カナエの嫁に欲しいわ」

「御冗談を。私など、カナエ隊長にふさわしくありませんよ」

「半分本気なんだけどね。だってアカリ、あなたとても私と相性がいいわ。考えていることが似ている気がするんだもの。あなたも、可能な限り自分の想定内で事を収めたいタイプよね。だから、想定外の事にかなり慎重になる」

「領主様のように、未来のことまで見通す方とご一緒などと恐れ多いですが、私もイレギュラーは嫌いです」

 イブスキは頷く。

「南国にしか生息しないはずのスライムが、私たちを待ち構えていたかのように現れた。私はイレギュラーを、一つで様子見と調査、二つ確認出来たら荷物をまとめ、三つ以上で撤退しようと基本考えます」

 今二つ目です、とプラエに装備を整えさせていることを伏せて答える。

「イレギュラーは目に見えているものが全てではありません。見えているのは氷山の一角、水面下には他のイレギュラーが控えています。矢継ぎ早に現れるイレギュラーに対処できるほど、私たちに余裕はありませんので」

「なるほど、ではあなたはあのスライムを私たちに丸投げして、自分たちは早々に街を出ようと考えていたわけだ」

 意地悪く問いかけるイブスキに返す。

「正直に申しますと、その通りです。ですが、領主様も同じように考えられていたのでは? 馬鹿な傭兵を当て馬にして、未知の敵の情報を可能な限り集めようとされたのではないですか?」

「その通りよ。やはり私たち、とても相性が良いわね」

 イブスキの笑みが深まる。

「良いわ。契約し直しましょう」

「自分から言っておいてなんですが、本気ですか? ただのスライムかもしれないんですよ? それに、ただはぐれていただけで、南に向かうかもしれない。街にはなんの被害ももたらさないかもしれない」

「違うかもしれないでしょう? ただのスライムなら、簡単に倒してそれでお終い。笑い話が増えるだけ。いなくなってたらそれはそれで構わない。あなた達に支払う金がなくなるだけ。まさか、討伐してもいないのに支払いを要求するような団じゃないわよね?」

「それは、もちろん。信用第一、健全でクリーンな商売を旨としていますから」

「盗掘犯も捕まえたし、鉄の産出量も安定するでしょう。時間はかかるけれど金、経済は、民が元気なら回復する。けれど、もし民に被害が及べば、街の経済が損なわれる。民の生活なくして、街は保てない。金で命と支払う金以上の経済を買えるなら、安い物よ」

 それにね、とイブスキは続けた。

「私の勘も、まだイレギュラーが出てくると言っているわ。街を巻き込むほどのイレギュラーがね。だから最大限の用意と努力をしておきたい。そのためには、あなたたちの協力が必要よ。アスカロン団長アカリ、再び、ミネラのために働いてもらうわ。街を脅かすスライムを討伐しなさい」

 右手が差し出される。

「全力で対応させていただきます」

 その手を握り返す。

「ところで、成功報酬は期待していいんですよね」

 もちろん、とイブスキは握手した手を上下させた。

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