第86話 新手
「団長、こいつらどうする?」
モンドが落とし穴の底で悶え苦しむ盗掘犯を指さしながら言った。
「そうですね。街で待機しているギースさんに、領主への報告を頼みましょう。夜中ですが、依頼を達成したのですから、こちらには報告義務があります。あの領主なら嫌な顔はしないでしょう。すぐにミネラ守備隊を送ってくれるはず。彼らに引き渡して、仕事は終わりです」
説明しながらも、頭のどこかが違和感を覚えている。こういう仕事が終わった時に覚える安心の中で芽生えた違和感を、私はかなり重視している。モンドが隣でギースに連絡を取っているのでやり取りは任せ、違和感の解明に乗り出す。違和感はどこで生まれたか。現在私のいる状況、私が認識できる範囲に必ずある。認識の外など感覚が芽生えるはずがないのだから。
首を固定し、松明を掲げる。ゆらゆらと揺れる炎の下、視界にあるものを順番に見ていく。盗掘犯、氷の破片やそれらが溶けた水たまり、竹の水筒、むき出した土。
気になったのは盗掘犯が用意した竹の水筒だ。一つが一リットルのペットボトルくらいの量が入るとして、ざっと見て百本程度。鉄の重さはたしか一立方センチメートルあたり約八グラム。百キロの体積なら単純計算でその八倍、八百キロになる。もちろん、水分も含まれているから、分離させたらもっと少ないだろう。
でも、こんなものなのか? 元の世界で鉄の大きな産出国はオーストラリア、一つの鉱山で採れる鉄の埋蔵量は数百万トンだ。採掘方法は機械だし、方法も何もかも違うが、一つの鉱床で八百キロ以下しか取れないものなのだろうか。それとも溶けきれてない部分があるのか? いや、領主や組合長の話では四階ではほとんどとれていないと言っていた。それとも他に何か勘違いしているのか。鉄の含有量とかの違いか? それとももっと分割して運搬するつもりだったか? 溶けた鉄がここまで流れるのに時間がかかるから、何度かに分けるのか?
考えても正解は出そうにない。こうなったら、守備隊たちに引き渡す前に、一人引き上げて締め上げるか。今更抵抗もしないだろう。団員たちにリーダーだけ引き上げるよう指示を出そうとしたとき、再びの違和感。
視界の端で、何かが動いた。顔を急ぎその方向へと向ける。
何もない。
何かが動いた気がしたのに、再び視界に収めた眼下は何も変わらない。痛みに藻掻く盗掘犯、氷の欠片、水たまり、水筒・・・そして土。違いとすれば、氷がさらに解けて、水たまりが増えたことくらいか。
待て。待て待て待て。溶けたとはいえ、そんなに水たまりって増えるものか? 雨が降ってるわけでもない、アスファルトで舗装された道じゃあるまいし、腐葉土の蓄積した山中でそんなに水たまりが増えるわけないだろう。すぐに地面に染み込むものだ。湧き出すって何だ。何かがおかしい。
うなじの毛が逆立つような感覚。違和感が徐々に危険と警戒に移り変わる。ここはまずい。
「どうした団長」
ギースに連絡し終えたモンドが、私の顔を心配そうに覗いていた。
「追加で連絡をお願いします。守備兵を、いつでも出撃できる準備をしておいてほしい、と」
「・・・何だって?」
「プラエさんを叩き起こし、装備の点検を行わせてください。可能であればすぐに」
「ちょ、おいおい。どういうこったよ!」
「すみません。説明しづらいのですが、一言でいうなら勘です。何かがおかしくて、嫌な予感がします」
しかし、モンドはそれで察してくれた。
「了解だ団長。あんたの勘はよく当たる。特に悪いことに関してはな。危機に鼻が利くなんて団長らしくなってきたじゃねえか」
「よしてください。それよりも」
「ああ。・・・全員、今の作業を中断して集合!」
声を張るモンドに、盗掘犯たちの拘束準備をしていた団員たちは何事かと集まる。
結果的に、その指示が功を奏した。あと少しでも遅れていたら、アレの餌食になっていた。
「ぎゃああああああああああああああ!」
悲鳴が上がる。落とし穴、私から見て奥。鉱山に近いところで倒れていた一人だ。その男の足に水たまりがまとわりついている。その水は白く濁っていた。目を凝らすと、それは水の中で気泡が発生しているためだとわかる。ただの水が足についたぐらいで、大量に規制が発生することも、悲鳴を上げることなどない。
「な、なんだぁおい」「何が起こっているんだ?!」「おい、大丈夫かよアレ」
団員達も状況がつかめないまま困惑している。そんな私たちの前で、水がまとわりついていた男の足が消えた。水はそのまま足から体へと這い上がって、男の全身を覆った。息もできず、悲鳴も上げられず、のたうち回る男の服が泡とともに溶け、皮膚が溶け、筋肉が溶け、ついには骨が溶けて消えた。声も、姿も、その男の存在が消えたのだ。その間にも落とし穴の底の水たまりは徐々に増加して、それに比例するようにパニックと悲鳴が増加していく。盗掘犯のほとんどは水に浸るような形だ。
「スライムだ!」
テーバが叫んだ。突然の単語に、自分の頭の中の知識がRPGものの最弱の敵モンスターを検出した。だが、目の前のこいつは、そんな弱くも可愛らしいフォルムをしていない。検出されたスライムのイメージを捨てる。どこかで、スライムについて聞いたはずだ。まさに先日、プラエに教えてもらった物を溶かす粘液、そして、さらに前にも、何かの拍子に聞いた。
水たまりに擬態して、近づいてきた獲物を捕らえ、溺死させてから消化液で溶かし捕食する生物。この世界のスライムはずいぶんと凶悪だと思った記憶がある。だが、同時にその記憶ではこうも聞いた。
「スライムって、もっと南の地域が生息域じゃなかったでしたっけ!」
「そのはずだ! けど、目の前にいるんだからしょうがないだろ!」
確かにその通りだ。今は生息域がどうのとか言っている場合じゃない。現実に迫る脅威に対処しなければならない。
「助けてくれ!」
盗掘犯たちが声を上げる。
「ムト君、ジュールさん! 手伝って!」
「了解です!」
「任せろ!」
近くにいた二人に声をかけ、アレーナを一人に向けて伸ばす。引き上げようとして、逆に体が持っていかれそうになった。体重だけじゃない。粘液の粘性か、はたまた奴の口が噛みついているためか、引き上げられない。
「団長、無茶しないで!」
ムトが私の腰に手を回して引き込まれないよう支えた。それでようやく一人を引きずってこれた。落とし穴の淵にいたジュールともう一人の団員が盗掘犯の服を掴み、両脇を抱えがげるようにして引っ張りあげようとする。が、なかなか上がらない。綱引きをしているようだ。魔道具の補助を借りてもこれか!
「そっちはロープを投げて!」
指示を飛ばす。団員たちがロープを投げると、近くにいた盗掘犯が痛む足をさらに溶かされながらしがみついた。モンドを先頭に、団員たちが一斉にロープを引く。力自慢の彼らが引いても、ねばつく粘液が強力なボンドのように引っ付いて離さない。
「自分たちが落ちないように気を付けて!」
アレーナを引きながら、スライムの全容把握に努める。
落とし穴の大きさは五メートル四方。深さは三メートル。今スライムはその落とし穴全域を浸して、さらに嵩を増やしている。
想像以上に巨大な生物だ。だが生物ならば倒せるはずだ。そもそも素材になってるくらいだ、倒し方は確立されているはず。
「テーバさん、スライムの倒し方は!」
「悪い、詳しいことは知らねえ! プラエなら知ってるんじゃねえか?!」
「モンドさん、プラエさん直通の通信機を!」
「任せた! 俺はこっちを何とかする!」
彼がロープから一瞬手を放し、こちらに投げてよこした通信機を受け取り、すぐにスイッチを入れてつなぐ。
「プラエさん! プラエさん! 聞こえてますかプラエさん! 応答してプラエさん!」
なかなか返答が来ない。手元から離しているようだ。何度もしつこく呼びかけているとようやく応答があった。
『何よ、こんな夜中に』
その夜中に働いている仲間もいるんだがと飛び出しかけた反論を飲み込み、最優先で伝えなければならに事を口に出す。
「スライムの倒し方を至急教えてください!」
『スライム? は? あなた何してんの? 泥棒捕まえに行ったんじゃなかったの?』
「状況が変わりました! 説明は後でしますからさっさと答えてください!」
『わかったわよ。スライムは体の九割以上が液体なのね』
「生態はどうでもいいから結論を!」
「粘液を無効化した時と同じで電気、雷ね。あとは寒さに弱い、はずなんだけど、雪山に出てるの? 本当に?」
「集団で幻覚を見ているわけじゃないなら本当です!」
しばらく黙り込んだプラエが、きっぱりと言った。
『撤退しなさい』
「何ですって?」
倒し方を聞いたのに、逃げろというのか? 目の前で盗掘犯たちが傷つき死んでいくのを放って? 別段彼らの命を守ろうとか高尚な理由じゃない。彼らが鉄を盗んだ犯人で、領主に突き出すべき証拠であり証人だ。彼らが死んだら、あの領主に限ってそんなことはないとは思うが、もしかしたら領主は依頼達成を認めないかもしれない。犯人は突き留めました、でもスライムに溶かされました、なんて素直に聞いてくれるとは限らないからだ。金貨二千枚は証拠もなしに成功とみなしても良いほどに低い額ではなく、私の欲を駆り立てるのに十二分な額でもあった。
『すぐに撤退しなさい。私の記憶が酒で飛んでなきゃ、あなたたちの現装備ではスライムを倒せないわ。しかも寒冷地に出現したってことは、通常のスライムとは違う生態を持っている可能性が高い。スライムはかなり危険度の高い怪物よ。倒し方は確立されているとはいえ、油断すれば熟練の戦士でも餌食になる。慎重に事を運ぶべきだと思う。ただ、私は現場にいるわけじゃない。そっちの判断を尊重する。ただし、全員生き残ることが条件』
冷静で、冷徹な声が、冷や水代わりに私の頭を冷やした。彼女の言う通りだ。冷静に状況を把握しなければ。たとえ盗掘犯を全員捕らえて金貨の残りを貰っても、あの世に金貨は持ち込めない。
「了解です。撤収します。ただプラエさん」
『わかってる。対スライム用の装備を大急ぎで整えておくわ』
話が早くて助かる。通信を切り、救助活動に戻る。
「救出状況は!」
ようやく一人を引っ張り上げることに成功した私は、ロープで引き上げていた団員たちに向かって叫ぶ。
「こっちは一人、いや、二人確保した! 今三人目を運び上げてる!」
ロープで引きずりあげられた盗掘犯の服を掴みながら、テーバが言った。私も落とし穴の状況を確認する。すでに大半の盗掘犯が上半身まで飲み込まれている。今テーバたちが引きずりあげている盗掘犯も、腰にスライムが取り付いて、トリモチみたいに粘液が何本もの糸をひいてなかなか剥がれない。そうこうしているうちに、スライムの表面が波打った。波はそのまま、引き上げられようとしている盗掘犯と、彼を引き上げようとしているテーバに向かっていた。
「テーバさん! 離れて!」
「は? ・・・っとぉ!」
背筋の要領でテーバが上半身を跳ね上げた。その真下をスライムの波が通過する。こいつ、テーバを狙っていた? まさか、盗掘犯を囮にして、もう一人捕らえようとしたのか!?
波は悔しそうに空を切ったが、思い直したように引き上げられかけた盗掘犯に取り付き、悲鳴ごと飲み込んだ。
このまま救助活動を続けたら、こっちの身が危ない。三人確保した。証拠には充分と考え、プラエの言葉を実行する。
「全員撤収! 生き残った盗掘犯は運べる?!」
「何とか!」
「危なくなったら捨てていくつもりで! 逃げるわよ!」
ムトたちと協力して私たちも一人を担ぎながら、夜の山を駆ける。
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