第75話 剛を制す為に

 唐突に、あるいは練りに練られた計画通りに、火ぶたは切られた。

 カナエの巨体が床に近づく。倒れたような極端な前傾から、カタパルトのように体が発射される。

 壁が迫ってきたかと錯覚するような迫力、圧力だった。事実、両手を広げて迫るカナエは、幅二メートルの壁が迫っているのと同じだ。

 一瞬にして間合いと選択肢が奪われていく。広いとはいえ、たった十メートル四方だ。一歩二歩で相手と接触する。

 受けるか,避けるか。

 通常であれば、避ける、逃げる一択だ。これまでの戦いにおいて、一対一、などという状況がなかったことに由来する。目の前の敵を倒せても、次の敵がすぐそばで控えている場合、一人を正面から打ち破ったとしても、その時には自らも疲弊しており、もう一人にすぐに倒されてしまう。しかも、どれだけ訓練しても、女の私では体力や体格の差は埋められない。アスカロン内では、私の筋力は下から数えたほうが早い。

 だが今回に限って『受ける』を選んだ。

 格闘ゲームにありがちな、巨漢の動きは鈍い、という定説を覆すように、カナエの動きは私の想像を上回っていた。下手に躱しても、すぐに追いつかれる。がら空きの背後を取られるよりは、真正面から打ち合う方が得策と判断した。また、もう一点の理由がこちらの威力の減衰だ。ウェントゥスを持っていない私には、カナエのような相手に有効打を与えられない。しかし、相手の突進力を用いたカウンターであれば、力で劣る私にも有効打を放つことができる。もちろんこれは私に対するカナエにも言えることだが、どのみちあんな剛腕で殴られたら一発で倒される。

 アレーナに魔力を込める。こっちは魔道具があり、向こうは見た限りでは徒手空拳の生身だが、卑怯などと全く思わない。全力を尽くさなければ勝つどころか生き残ることもできなさそうだ。

 タイミングを計り、下から上へと鋭く右腕を振る。魔力を込めたアレーナが鞭となり、こちらに突っ込んでくるカナエの顎を捉え、なかった。カナエは首を傾け、アレーナの先端を避けたのだ。

 この距離と速さで避けられるものなのか?!

 アレーナの射出速度は条件にもよるが百キロは間違いなく超える。しかもカナエは待ち構えていたわけではなく、こちらに急速接近している途中だったのだ。体感速度はさらに跳ね上がっていた。恐るべき反射神経だ。そして、自分の選択が間違っていなかったことを理解した。この反射神経の相手に、避けるは致命的なミスになりえる。逃げた先で捉えられただろう。

「おおっ!」

 カナエが拳を繰り出す。体重と速度の乗った一撃を、後方に飛びながらアレーナの右手で受ける。

 全身が揺さぶられる衝撃。威力を殺しても、なお想定よりも後ろに飛ばされた。

 強い。速い。重い。とんでもない力だ。モンドと同等、いや、それ以上かもしれない。対して、カナエも驚いたように私を見ていた。

「見事」

 殴った手を開けたり握りしめたりしながら言った。

「これまで俺の一撃を食らい、立っていた相手はいなかった。素晴らしい。そして、非礼を詫びる」

 再び構えた。

「『龍殺しなどと誉めそやされてはいるが、どうせ伝聞の中で尾ひれがついただけだ』などと、心のどこかで俺はあなたを侮っていた。しかし、何人もの相手が受け、立てなかった俺の拳をいなして見せた技量、出鼻をくじくような鋭く意表を突く攻撃。今の一合で理解した。あなたは強い」

「お褒めの言葉、ありがたく頂戴します。できれば、私のことを理解していただいたということで、ここらで終わっていただけると、なおありがたいのですが・・・」

 ちらとイブスキの方を見る。

「ダメ」

 嬉しそうに彼女は口を動かした。

「ダメですか、そうですか」

 諦め、カナエを見据える。必死で頭の中で対策をシミュレーションした。体感した速さ、強さから、逆算して組み立てていく。

 まず、反射神経が良すぎる。あの距離から打ち出されたアレーナを躱されるとは思わなかった。よほど意表を突くか、死角を突くか、被弾覚悟の超至近距離で打ち合うしかない。

 しかしすぐに、もう一つの問題に行き当たる。純粋な力の差だ。筋力やウェイト、手足の長さの差とも言える。アレーナという例外を除き、こちらの攻撃が当たる前にあちらの攻撃は届く。掴まれでもしたら逃げることすらかなわない。

 それらを掻い潜り、同じ土俵に立ち、有効打を与え続けることができるのか。

「再開しよう」

 待ちきれないといった風にカナエが言った。何がそんなにうれしいのか、口の両端が吊り上がり、歯をむき出しにしている。これだから戦いに喜びを見出すような輩は合理的でなくて困る。巻き込まれる人間の身にもなってほしい。

 覚悟を決めるしかない。自分の知識と経験を総動員して、倒しに行く。それこそ、殺すつもりでなければ殺される相手だ。手加減などできるはずがない。

 一件、ヒットした。脳内で自分よりも体格の勝る相手を制する方法が。しかし、試したことがない。動き方は多分、わかる。見たことがあるからだ。しかし、本当にその通りに体が動くかどうかはわからない。この場合の体が動く動かないは、現実に可能なのかどうかという問題だ。なんせ、その知識はフィクションから得ているからだ。

 カナエが動く。迷う暇を与えてくれない、いや、私が迷ったのを察知して動いた。思考の乱れで動きが一歩遅れる。事態はいつだって、こちらの都合を考慮してくれないものだ。動き出したのならば、自分に他に策がないのならば、やるしかない。チャンスは一瞬だ。



 龍殺しが自分よりも有利な点を考える。

 母イブスキとの会話からも、彼女はかなり綿密な計画を立てる軍師である。おそらく潜り抜けてきた戦場の数、経験では勝てない。その彼女の戦い方を象徴するように、魔道具の篭手は彼女の意思に反応して形状を変える攻防一体、万能型である。彼女の策と魔道具の機能が合わされば、相手は何もできずに完封されてしまうだろう。

 が、万能であっても付け入るスキはある。相手の出方を見てから変化させるために後手に回りがちだ。こちらの戦法としては、相手が対応する前に畳みかける。考える暇を与えずに先手、先手で圧倒する。自惚れではなく、先ほどの一合で身体能力に関しては自分が勝る。自分のアドバンテージを最大限に使い、相手のアドバンテージを消す。

 カナエが踏み込む。間合いは一瞬にして詰まった。拳を振りかぶり、目標を定めた。小柄な龍殺しの体躯が目の前にあった。こちらを見据えている。

 諦め? いや違う。一見無造作に見える姿勢だが、待ち構えて、何かを狙っている。罠か、引くべきか。

 否。それこそが狙いではないか。中途半端な攻撃こそ相手の思うつぼ。たとえ罠であろうと、少々の罠など正面から打ち砕く。思考時間を与えることこそ悪手。盾を形成したとしても、彼女自身が固くなるわけではない。そのまま叩けば、衝撃は殺せず彼女の体力を奪う。我慢比べになればこちらの勝ちだ。

「シィッ!」

 短く息を吐き、突きを放つ。拳は彼女の顔を捉え

「?!」

 しかし、驚愕したのはカナエの方だった。龍殺しの姿が突然消えたと思ったら、百キロを超える自分の肉体が宙を舞っている。視界に映るのは逆さまの世界。息子と同じように驚くイブスキの顔と、龍殺しの背中が見えて。

 背中を強かに打ち付け、カナエは肺の空気を一気に吐き出した。何をされたのかさっぱりわからない。

 痛みに悶える自分の体を、何かが巻き付いていく。龍殺しの右腕からそれは伸びていた。完全に拘束され、身動きが取れない。

 肩で息をする彼女と目が合った。全身が痛い。痛いが、心は晴れ晴れとしていた。

 これが龍殺し。

 リムスに名を轟かせる古今東西の英雄。ラーワーの祖である建国王サルーヴ・ラーワー、国に仕えず人に仕えた流浪剣聖ドクトゥ、戦場で百戦負けなしの戦神プロウォカトル・ルドー、そして世界の基準を作ったルシャ将軍スルクリー・アンダ・ブレイブ。カナエの憧れの英雄たち。その一人に、目指す目標の中に、今日新たな人物が加わった。

「参った。降参だ」

 満面の笑みで、敗者は告げた。

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