第21話 嫌な予感
何となく、嫌な感じが朝からしていた。
体調が優れないとか、そういう事じゃない。悪臭を嗅ぎ過ぎてきかなくなった鼻以外は特に問題ない。
星座占いで、最下位が出た時のような、これから何か起こる、それも、あまりよくない事が起こるんじゃないかという不安。胸の中を胃もたれに似た不快感が鎮座している。前にこういう感じになった時は何があったっけか。
朝の天気は良かったのに、学校から帰る頃にはひどい土砂降りになっていた。
抜き打ちのテストがあった。
好きなアイドルが引退した。
そして、あの日もそうだった気がする。夏休みが終わり、新学期の登校日。モヤシが死んだと噂され、そして、私たちがモヤシによって、この世界に飛ばされた日。
「どうかした?」
上原が私の顔を覗き込んでいた。
「また、寄生虫が入ってないかと心配してたの?」
またロストルムの虚ろな目を凝視していると思われたようだ。違う違うと笑いながら否定する。
「嫌な予感がするのよ」
「嫌な予感?」
「他に語彙を知らないからそう言うしかないんだけどね。ほら、朝から何となく、よくない事が起こりそうだな、って思う事ない?」
「朝の占いで最下位だったときみたいな?」
「そんな感じ。占いなんて多くの人間に当てはまるような事しか言わないのが分かってるし、実際何か起きた事なんてほとんどないのに」
「それでも、何か起きたら『ああ、今日は運勢悪かったから』」
「その『何か』が起こる前というか、不安が胸の中につまって胃もたれみたいな気持ち悪さがあるの」
「朝から?」
「そう、朝から」
「気分が本当に悪い、とかじゃない? 大丈夫?」
「ああ、そういうのじゃないから。心配しないで。体は本当に大丈夫なのよ。鼻以外は」
苦笑しながら自分の鼻を指差す。手にはロストルムの血が付着してかなりの悪臭のはずだが、気にならない。それを見て上原が笑った。
「いちゃついてんじゃねえぞオラ!」
怒声と一緒に、私たちの前に新たなロストルムが台車に乗って運ばれてきた。
「手を動かせ!」
「ら、ラス隊長」
彼の小遣い稼ぎは継続中で、ここ以外にも鍛冶屋の手伝いや大工などの他、意外にも居酒屋で料理人まがいのこともしているらしい。
「いちゃついてなんか」
「俺がいちゃついてるように見えたらいちゃついてんだよ! 文句抜かすな! 台車でひかれなかっただけ、マシだと思え!」
反論は受け付けないようだった。これ以上何か言っても倍になって返ってくるので、諦めて目の前の新たなロストルムに視線を移す。
「あ、これって」
上原が声を上げた。私も気づいた。運び込まれたのは、他のロストルムの二倍はあろうかという巨躯。ロストルムの群れのボスだ。
「自分で仕留めたんだ。自分で捌け」
言い捨てて、ラスは次の仕事場に向かった。ここでの仕事はこの運搬で終わりにしたようだ。確かに三日目にもなればあれだけあったロストルムの屍骸も、肉はラテル内のレストランや酒場に卸され、骨や皮は鍛冶屋や装飾品店に卸されていった。私たちと同じように解体作業をしていた傭兵たちも最大数からみて五分の一ほどまで人員を減らしていたが、それでも今日の昼には完了しそうだ。おそらく私たちの担当も、このボス一匹でほぼほぼ終わるだろう。
「じゃあ、サッサと終わらせましょうか」
上原と頷きあい、私は慣れた手つきでナイフを取った。軽トラックくらいの大きさのボスは、他の個体よりも皮が厚く、筋肉質で硬く、骨は太い。何度もナイフが滑り、自分の手を切りそうになった。ふと手を見れば、大きな傷が手の甲に二つ、手のひらに三つほどあった。細かな引っかき傷になると数えるのが嫌になるほどだ。爪はボロボロで、ネイルなんか既に剥げているし表面はデコボコでところどころ白くなっている。他の女子達に比べてればまだまだだったが、それでも身だしなみには気を使っていたはずだ。手荒れしないように注意をしていたはずが、いまや引っかき傷の一つや二つ気にならなくなっている。化粧水をふっていない今の自分の顔はどうなっているのか怖い、とも思わなくなっていた。環境が人を作るとはこういうことか。
「よく、こんなの倒せたよね」
頭側から作業を開始していた上原が、ボスの首の切断面を撫でながら言った。
「人間よりも強靭な肉体、鋭い爪と牙。知ってる? 何の道具もない状態だと、人間の強さって猫より下らしいよ」
そして確実に、ロストルムは猫より強い。
「上原君、それに向かって突っ込んでいったのよ?」
呆れ半分に言ってやると、上原は苦笑した。
「あの時は、本当にどうかしてたんだと思うよ。多分、昼間の興奮、みたいなものが残ってて、アドレナリンは出っぱなしで。何の根拠もなく助けられる、なんて思っちゃったんだよね」
実際はあの体たらくだったわけだけど、と彼は口の端をひん曲げた。それでも、彼が駆けつけなければ、トリブトムの連中は助からなかっただろう。見ていたこっちはひやひやものだったのも違いないけれども。
「ま、分相応を考えろって事かな。あの時は本気で、僕はヒーローになれると思ってたけど、そうじゃなかった。調子に乗ったら痛い目を見るってのは本当だね。篠山さんに助けて貰わなかったら、僕は今頃こいつの腹の中だったわけだし」
「それでも」
放っておけば自虐が続きそうな上原の言葉を遮ったのは、多分少し前の私と同じだからだ。
「それでも、あなたは人を救った。その結果は、曲げようがない事実よ。失敗は失敗で反省すればいい。けれど、人を救った結果は、誇るべきだと思う」
だから、前にプラエに言われて私が救われたように、彼にもこの言葉を送りたくなった。彼こそ、この言葉を受け取るに相応しい者はいないのだから。
目をまん丸にした彼は、しばらく私の顔を凝視した後、ふうと体の緊張を解いて、笑った。
「ありがとう」
「う、うん。別に」
彼のその笑顔を見て、自分こそ分不相応な発言をしていると途端に恥ずかしくなって、彼から目を逸らす。
「その、傷は、もう大丈夫なの?」
彼の肩のことを話題に出し、今の話を打ち切る。かなり強引だが、不自然ではないはずだ。多分。
「ん? ああ、うん。もう塞がってる。まだ筋肉痛みたいな鈍痛は残ってるけど、問題なく動くよ」
こちらの心情を慮ってくれたのかどうかは分からないが、上原は急な話題転換にも関わらず乗ってくれた。
「凄いよね、魔術師の軟膏。普通なら何針も縫ってるところだよ? それが翌日には塞がってたんだ。しかも、回復の原理がまた凄いんだ。この軟膏、塗りつけた相手の体組織と同化して、隣の体細胞をコピーし、欠損部分を補うんだって。普通に万能細胞代わりなんだよ! 京大も驚きの技術だよね!」
上原の口調が熱くなっていく。確かにこんな中世くらいの文明で、現代医学の再生医療最先端を凌駕する物があるなんて信じられない。彼の興奮ぶりも分からなくはないが。何となく、面白くない。自分で話を変えておいてなんだが。今、私、自分で言うには相応しくないかもだけど、良い事言った気がするし。どうしてプラエが凄いって話が? いや、別に構わないんだけどね?
「しかも、しかもだよ。この軟膏の原料、何だと思う?」
「原料?」
ここで乗らないと、別にどうってことないのだけれど負けたような気がするので、一応乗る。あまり乗りたくはないが、乗りかかった船からは降りられないってことで。
「寄生虫だよ」
「寄生、え、寄生虫? 寄生虫ってもしかして前にラス隊長が言ってた?」
「そう、それ! 死体を動かす寄生虫の話、覚えてる? 実は、あの寄生虫が軟膏の材料の一部なんだって! 死体を動かすって事は、脳の変わりに神経に繋がって電気信号を流すらしい。それって、寄生虫が死体の肉体に同化して実行してるんだって。その特性を魔術で抽出して軟膏に付与するんだって。とんでもないよね!」
「とんでもないっていうか、キモい」
思わず上原から距離を取った。
「あ、もちろん僕は生きてるし、操られてるわけでもないよ。安心して」
「操られている人間が操られてるって言うわけないでしょ?」
「まあ確かにそうなんだけど。死体を操る寄生虫はつまり、生きている人間を操る事は出来ないと思うんだ。以上の理由によって、僕は寄生虫に操られていない」
「数学の証明問題じゃないんだから」
言いつつも、確証はないが、私も上原が話す理由が概ね正解ではないかと思う。寄生虫は死体に寄生するのは、生きている生物に寄生するよりも都合がいい理由が存在するからだ。理由までは分からないが、おそらく体の主導権を取る取れないに関係しているのではないかと推測する。腐らないが自分の思い通りに動かない生物と、制限時間はあるが自分の思い通りに動く死体、どちらが便利かで、寄生虫は後者を取ったのだ。
生物の行動原理は、野生ではあるが、極めて合理的であると思う。全てにおいて理由が存在する。ダーウィンの進化論じゃないが、必要に応じて必要な事を必要なだけするのが生物だ。人間だけが、たまに感情に揺さぶられて合理的とは対極の行動をしてしまう例外なだけで。
「あれ?」
自分で言っておいてなんだが、変だ。何かがおかしい。何がおかしい?
「篠山さん?」
再び上原がこっちに呼びかけている。その声が遠い。意識の八割以上は、その疑問の解明にフル稼働中だからだ。
今、私は何を言った? そう、生物の行動は合理的だと言った。これが引っかかった。何故って、例外があったからだ。ごく最近に。人間の事じゃない。人間以外の生物でだ。ここで出会った生物と言えば、ロストルムだ。
点と点が繋がっていく。パズルの欠片が埋まっていく。そんな感覚だ。
ロストルムの特性を列挙していく。
ロストルムは群れで生活している。
強靭な体と牙、爪を有する。
知能が高く、群れで連携して獲物を狩る。
群れは、一匹のボスによって率いられている。
そう、だからおかしいのだ。目の前にロストルムのボスの屍骸があるのが、矛盾の原因だった。
知能が高いロストルムの中でも、群れを率いるボスは群を抜いて賢いはず。ロストルム掃討戦の包囲網からも逃げ出せるほどだ。だが、そのロストルムのボスが、幾ら自分達より数が劣っていたからといって、トリブトムのマグルオたちを襲う理由はなかったはずだ。私たちがここに送られた時、城壁から射られているのをみるやいなや、ボスは簡単に獲物である私たちを諦め、撤退の合図を出していた。リスクを避けていた。そのボスが、どうして上原に圧し掛かって襲っていた? すぐ近くにマグルオたちも来ていたのに。そこで判断を誤るわけがない。生存本能は最も強いはずだ。獲物の取得と命の危機を天秤にかけたはずだ。なぜ天秤は傾かなかったのか。
違う、上原じゃない。急に私に顔を覗き込まれた上原が当惑顔でこちらを見返しているが、気にしている余裕がない。あの時、もう一人いたじゃないか。上原よりも前に、しつこく襲われていた人間が。
傭兵団トリブトムの依頼主、トリギェだ。
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