第18話 沁みる成功体験

「気がついた?」

 真上から覗き込まれ、半分寝ぼけていた意識が完全に覚醒する。ひょわ、なんて恥ずかしい悲鳴を上げて体を捩った。

「失礼な態度ね。看病してやったってのに」

 プラエだった。頬を膨らませてこちらを見下ろしているが、本気で怒っているわけではなさそうだ。

「看病?」

 彼女の言葉を鸚鵡返しに呟いて、自分の体を見下ろす。めくれた毛布が腰の辺りにかかっている。見渡せば、散らばった本や紙の束、気味の悪い多足生物の入ったビン、床の隙間を埋め尽くすように転がった実験道具の数々。見覚えがある。プラエの部屋だ。今自分がいるのは、道具と資料の海に浮かんだ浮島、彼女のベッドだった。

「どうして、私こんなところに?」

「こんなところって、あんた、人のベッド占領しておいて」

 苦笑いしながら、プラエがコップを差し出した。中に入っている水を見て、口がカラカラに渇いている事を自覚した。受け取り、すぐに飲み干す。カサカサだった喉の内部が滑らかになっていくのがわかった。

「体の調子はどう?」

 私が一息ついたのを見計らって、プラエが声をかけてきた。

「調子がどう、とは?」

「吐きそうとか、どこか痛いとか、だるいとか、ない?」

「いえ、そういうのは特には・・・」

 強いて言えば、少し体が疲れているな、と感じる程度に重いことか。それも、気にするほどのものではない。テスト前の一夜漬けの時の方がまだ疲れた。

「それならいいけど。もし何か異変があるならきちんと話すのよ?」

 念押しされる。そこまで体調を気遣われる理由は何だろう。

「あんた、もしかして覚えてないの?」

 どうして自分が心配されているのか理解していない私の様子を見て、プラエは言った。

「そういえば、どうして自分がここに寝ているのかも理解してないみたいだしねえ」

 ううん、とプラエは顎に人差し指を当て、斜め上の虚空をしばし見つめてから、再び私の方を向いて切り出した。

「アカリ、あんた、昨晩の事を覚えてる?」

「昨晩?」

「あんたが始めて夜間巡回に出た日の事よ」

 言われて記憶を探る。言われるまで記憶を遡ろうとすらしなかったのは、やはり疲れていたからだろうか。

「あんたとマサは、東門で巡回任務についていた。そして、ラテルに接近してくる影に気づいた」

 プラエの話がとりもちのように記憶を引っ張り出していく。そうだ。上原と夜間の巡回に出て、ちょっと変な空気になって、それを誤魔化すようにして遠くを見たら、近付いてくる影があって。

「マサは階下の門番に連絡に走って、あんたはその場で待機。影の動向を追い続けた。そのうち、影は四つに増えていった。マサからの報告ではそうなってたんだけど、どう? 思い出してきた?」

 彼女の言葉に頷く。そうだ。影は四つに増えた。一つずつ門の前に集まってきて、それが人だと言う事も判明した。上原が、彼らの行動からラテルに来た事がある人間で、もしかしたら門番とも顔見知りじゃないかと推測して、実際その通りっぽくて。そして。

「門番が彼らを招き入れる前に、今回の掃討戦で討ち漏らした、ロストルムが彼らを襲った」

 そうだ。一番後方にいた、大きな荷物を背負っていたサンタクロースみたいな影が襲われた。しかも襲ったロストルムは普通の個体よりも大きい、群れのボスだった。私たちを最初に襲った群れを率いていた、因縁のボスだ。

「あんたたちは、襲われた彼らを助ける為に動いていた。マサは前線に出て、あんたは後方からの支援を行った。そして、あんたは自分の剣、ウェントゥスの最大火力をもって、ロストルムのボスを討ち取った」

 どう? とプラエが訴えかける。覚えている。記憶にある。転がるロストルムの首と、驚いた上原の顔があった。それから、それから・・・、あれ?

「そこで、あんたは倒れたの。ウェントゥスに全魔力を注ぎ込んだせいね」

「倒れた? 私、倒れたんですか?」

 自覚は全く無いが、確かにそこから記憶が途切れている。

「そうよ。魔力を扱い始めたペーペーが、調子に乗って使いすぎて、魔力の枯渇で倒れるってのは良くある事なのよ。あんた、ウェントゥスのトリガー引いて、レベル三を使ったでしょう?」

 指摘され、自分が取った戦法を思い出す。恐怖で脚が竦んでいたのは覚えている。それでも上原を助けなければと思ったのも覚えている。だから、遠距離からの攻撃が、あの時自分が取れる最善の方法だった。

「あのね、最初に説明したと思うけど、レベル三はもっとも魔力を消費するの。しかもそれを、最大強度で長距離伸ばしたでしょう? そりゃ倒れるってもんよ。幾らなんでも、過剰に過ぎるわ。もっと出力抑えても討ち取れたでしょうに」

 呆れるプラエ。だが、言い訳ではないが、あの時は必死だったし、上原も危うく、再び狙撃のチャンスが訪れるとも限らなかった。一撃で終わらせる必要があったのだ。

「それも踏まえて、あんたは学ぶ必要があるわね。自分がどれだけ魔力があるのか、ウェントゥスのレベル一から三の使用量から消費量も。その剣で戦っていくつもりなら、もっと貪欲に、真剣に学ぶ必要があるわ。生き残る為に。力を使いきって倒れて、今回みたいにベッドまで運んで貰えるなんて、二度とないと思いなさい」

「・・・はい。すみません」

 再び私は、失態を犯したのだ。項垂れる私の頭に、プラエのため息が当たる。

「アカリ、立てる?」

「え、あ、はい」

 踏み場の少ない部屋の、僅かに見える茶色の床に足裏をおいて、立ち上がる。

「ちょっとついて来なさい」

 プラエが飛び石を渡るように床の部分をぴょんぴょん飛んでドアまで辿り着いた。彼女の後を追って、私もドア目掛けて移動する。が、ここで残酷な現実を叩き付けられた。プラエが簡単に移動していたその歩幅は、私にとってはかなりぎりぎりだという事だ。彼女のスタイルが良いのは分かっていた事だが、それでもここまでとは。生まれの差を、こんなところで思い知らされるとは思わなかった。


 案内されたのは、同じ宿屋の中にある食堂だった。テーブルやカウンターには客がちらほらといるが、夜の飲み屋の風景とは違い、パンとスープなどのこれから働く人間にとってエネルギー源となるようなメニューを取っていた。当たり前のような事だが、寝ている間に朝になっていたのだ。

 テーブルの一つに向かって、プラエは歩を進める。ついて来いと言われたきり、何も知らされない私は、そのままついて行くほかない。テーブルに座っていた男性三人がこちらに気づき、席から立ち上がった。

「待たせて申し訳なかったわね。ついさっき気がついたところよ」

 私を横に並ばせて、プラエは男性達に話しかけた。

「いや、大丈夫だ。こちらはお願いした立場なのだから。こっちこそ、わざわざすまなかった」

 真ん中にいた男性がそうプラエに話す。この声、聞き覚えがある。どこだったか。傭兵団の中にこんな人いたっけか。男性が、プラエから私の方に向いた。揃ったように、後ろの二人も私の方を向く。同時に三人の男性に見つめられ、たじろぐ。

「あ、あの、何か・・・」

 別に彼らに何かした記憶もないが、何かしたのではという前提で謝罪の言葉を述べようとした。けれど、それは遮られる。男性たちは両手を胸の前で合わせ、まるでお参りのように私に向かって頭を下げた。

「ありがとう」

「・・・へ?」

 神様仏様のように恭しく頭を垂れられても、困るしかないのだが。

「敬礼の一つよ」

 小声でプラエが説明してくれた。このお参りスタイルが、この世界の敬礼、それも最敬礼の一つとして存在するらしい。日本人の挨拶を勘違いした外国人にしか見えないが、彼らは至って真面目で、プラエにもふざけている様子はなかった。

「あの、頭を上げてください」

 戸惑いながらも声をかける。どうして感謝されているのかサッパリ分からないのに、礼を言われても困るだけだ。

「覚えていないか? 俺たちは昨日、君に助けられた者だ」

 声と記憶が繋がった。そうか、この声、あの夜に指揮を取って戦っていた影の声だ。トリブトムという傭兵団に所属していると真ん中の男性、マグルオは名乗った。彼の右にいるのがヒラマエ、左がマディと紹介される。

「君と、君の相棒のマサの勇敢な行動によって、俺たちは救われた。心から感謝と敬意を表する。本当にありがとう」

 再び手を合わせて頭を下げるマグルオたち。困惑する私の横で、プラエが言った。

「今回の行動で犯したミスはミスとしてきちんと反省し、修整しな。でもそれとは別に、誰かを助ける事が出来たっていう結果を出した事、これは誇って良いと思うわ」

 私が、助けた・・・のか? その実感がまだ無くて、彼女を見上げる。プラエは悪戯っぽい笑みを浮かべて、こっちに向かってウインクした。

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