第16話 夜間巡回
八時。この世界の夜は、意外に暗くない。電気が通っているわけではないが、代わりに魔法による街灯が道を照らしているし、何より空が明るい。現代の空は光化学スモッグやら何やらが浮遊していて光を下まで通さないらしいが、あれは本当だ。この世界で見える全ての星が一等星以上かと思うほどに輝いている。
約束の時間よりも少し早めに、教わった場所に来たはずだが、上原は既に監視塔前にいた。彼は両手に毛布を抱え、近付いてくる私を発見し手を振った。
「ごめん。待たせた?」
「いや、大丈夫。まだ時間前だし」
そう言いながら上原が毛布を差し出してきた。受け取り開くと、真ん中に穴が開いていた。
「夜は冷えるから持っていけって、バーリさんが」
なるほど、外套代わりか。頭をここから出して、ポンチョや縄文時代の貫頭衣のような使い方をするのだ。
「じゃあ、少し早いけど、上に上がろうか」
この国の正規兵に、上原は木札を見せる。兵はそれを確認すると、くいっと顎で自分の後ろを示した。指し示された方向には、石造りのアーチがあり、奥に階段が設けられていた。昔博物館として第二の人生を送っている灯台の中に入った事があるが、あれに良く似ている。上原が先にアーチをくぐり、私はその後に続く。所々に小さな蝋燭があって、弱々しい灯りが幅の狭い螺旋階段を照らしている。踏み外さないよう、慎重に階段を昇ることしばし。ぶわ、と強い風が吹き込み、髪の毛が逆巻く。押さえつけ、視線を上げた先に階段はなく、代わりに外に続く出口があった。入り口と同じようなアーチをくぐると、幅二メートルほどの回廊になっていた。
「城壁の上って、こんなのになってたのか」
上原が率直な感想を漏らす。言葉につられて、私もぐるりと視線をめぐらす。ラテル守護国の広さがどれほどのものかはわからないが、中に人間が何千人も住んでいるのだから、野球場何個分かの広大な敷地面積があるはず。それを一周囲んでしまう城壁の巨大さを改めて感じることになった。
「凄い」
「うん、凄いな」
呟いた言葉に上原が同調した。これを人力で、機械も何も使わずに積み上げたとは信じがたかった。けれど、成したからこの国は城壁で守られているのだ。
「おい、何してんだよ」
背後から声をかけられた。振り返ると、二人の兵士がこちらに向かってきていた。
「お前ら、夜間の見回りの交代要員だろ?」
兵士の一人が、寒そうに両肘をかき抱きながら尋ねてきた。
「あ、はい。そうです。ガリオン兵団からきました」
「ああ、今日はガリオン団長のとこの若いのか。聞いてた通り、本当に若いな」
上原の答えにもう一人が頷く。口ぶりから、事前に話が通っていたようだ。
「どうでもいいだろ。そんなことは。それより、交代だろ? な?」
期待を込めた目で兵士が言う。
「ええ、そうです。今から見回りは僕達が引き継ぎます」
「助かるぜ。立ちっぱなしでもう足がヘトヘトなんだ」
じゃあ、後は任せるな。そう言い置いてサッサと階段を降りて行ってしまう。
「ったく、仕方ないやつだな。まだ引き継ぎの申し送りが済んでないってのに」
相棒であるもう一人の兵士が苦笑する。
「俺はロッソ、先に帰っちまったのがグリン。マルクディ傭兵団の者だ。今日みたいに、またお宅のとこと共闘するかもしれんから、その時はよろしくな」
「あ、じゃあ、お二人も、今日の掃討戦に?」
「ああ。一応な。見回りの順番があらかじめ決まっているからとはいえ、終わってからすぐここの見張りに就いたもんだからな。グリンの気持ちもわかる。許してやってくれや」
「いえ、そんな。気にしないでください」
「そう言って貰えると助かるよ。っと、そうだ。引き継ぎだな。ちなみに、ルールは知ってるか?」
初めて来た事を察して、ロッソは気を利かせてくれた。
「はい、一応。来る前に教わりました」
「そうか。じゃあ、後は物の場所くらいか」
ロッソは腕を伸ばし、指差す。その方向には鉄の板と小さなハンマーが木で作った台にぶら下がっている。
「城壁は大雑把に分けて東西南北の四辺。ここはその東側に当たる。で、あそこにあるのが警鐘。何か問題が発生した場合は、一緒にぶら下げてあるハンマーで思い切り何度も叩け。急を要さないが、何かが発生した時は、階段降りたところの詰め所にいるラテルの正規兵に報告しろ。来る時に会っただろ?」
頷く私たちを見てよし、とロッソは言った。
「次の交代は四時間後だ。それまで頼むぜ」
ポンと上原の肩を叩いて、ロッソも階段を下っていく。城壁には私たち二人だけになった。
「え、と、ルールって?」
二人きりの空間で、沈黙が嫌だった私は場を繋ぐように質問した。
「ああ、うん。ここの仕事の仕方というか、簡単なマニュアルのことだよ」
そう言って、上原はメモを片手に説明してくれた。
「基本は城壁の外の監視。城壁の端から端まで巡回しながらね。で、さっきロッソさんが言ってたみたいに、異常があったらあの鐘を鳴らす」
「なるほど」
会話がそこで途切れた。沈黙が嫌なのは上原も同じらしく、ぎこちなく「それじゃ、行こうか」と歩き始めた。私もその後に続く。
「あのさ」
先を行く彼の背に声をかける。
「何?」
立ち止まり、上原が振り向いた。
「いずれ、ちゃんと返すから」
「返すって、何の事?」
「借金。あの、ガリオン団長に借りてた分。上原君が、立て替えてくれたんでしょ?」
「はいはい。それのことか。気にしなくていいよ。一応僕が、あの一匹を仕留めた事になってて。それで、プラエさんに聞いたら、銀貨三十枚分位に換金できるって。丁度いいから、それで返す手はずをギースさんに整えて貰ったんだ。今の所、食事も寝床も団から支給されるし、使う所が無いしね。それに、借金は速く返すに限る」
「借金で何かあったの?」
「え、いや、無いけど? どうして?」
「何かその言い方だと、前に何かあったみたいに聞こえるわ」
「ないない。ないよ。でも、そうだね。こういう性格は、親の教育の影響かな。貸しは作っても借りは作るな、って親父が良く言ってた。貸し借りの事なんか良くわかんないけどさ、多分精神的な余裕のことを言いたかったんじゃないかなって、今は思う。なんかこう、軽くなった気がするもん」
上原が数歩スキップする。これが肩の荷が降りたってやつかなと嘯く。
「だから、気にしなくて良いからね」
「ありがとう。でも、そういう訳にはいかないわ」
「気にしなくていいって言ってるのに」
「なら、助けて貰ったお礼ってことで、返させてよ。そっちは軽くなったかもしれないけど、こっちは借りがあるから、肩の荷は重いまんまなの」
「じゃあ、そういうことなら」
苦笑しながら、上原は承諾した。
「・・・でも、どうして」
「え?」
「借金を立て替えてくれたり、団長に地起訴してくれたり、どうして、私を助けてくれたの?」
聞きたかった事を、ようやく尋ねる事が出来た。別に普通の質問のように思っていたが、いざ口にするとなると、何だか妙に気恥ずかしさを覚える質問だった。だって、何だか、捉えようによっては、カマをかける様な質問じゃないか? 深い意味があるわけでは、ないんだ。だから、ああ、とかええと、とか言いながら虚空を見ないで欲しい。
「前にも言ったかもしれないけど」
咳払いして、上原が言った。
「僕は、いずれ元の世界に戻りたいと思っている。その為に傭兵団に身を置いている。色んな場所を巡る事が出来るからね。お金を稼いだら、ゆくゆくは団と別行動を取る事になる。その時、僕と同じ目的を持った人はひとりでも多い方が良い。特に、篠山さんみたいに僕と同じ考えに至った人にはね。今退団されると、きっと戻ってこれないと思った。離れるのは得策じゃない。だから、あの、そういうわけ、なんだけど」
本人は理路整然と話しているつもりなんだろうが、お願いだから照れながら目を泳がせないで欲しい。話している言葉とはまた違う理由を、どうしても汲み取ってしまいかねない。上原の照れが、こっちにまで伝染してきた。寒いと聞いていたが、少し汗ばんできたんだけれど。
「ん? あれ?」
視線を逸らせた上原が、眉根を寄せた。
「どうしたの?」
「いや、あれ、何か動かなかった?」
そう言って彼が見つめる先。目を凝らして見る。星明りに照らされて、小さな、何か黒い影がモゾモゾと動いている。小さいのは距離のせいだろう。おそらく本来のサイズはもっと大きい。人間か、それ以上の大きさが推測できる。この辺りで、人間以外で動く生物といったら、奴らしかいない。
「ロストルム、かな?」
「かもしれない。でも、一頭だけかな。あいつら、集団で動くんじゃなかったっけ?」
確かに、ロストルムは群れで狩りをする。単独で動くなんて奴らのこれまでの生き方に反している。
「討ち漏らしかな」
考えられるとしたらそれくらいだ。今日掃討戦で討ち漏らした個体が、回収しても価値がないと捨て置かれた仲間の死肉を漁っているのかもしれない。
「正体が見極められたら、こっちから攻撃できるんだけど」
未だ、この距離では影にしか見えない。もっと近付いて、シルエットがハッキリしなければ。もう少し近付け、もう少し近付けと私たちは影をじっと観察した。祈りが通じたのか、影は徐々にだが城壁に向かって近付いている。
「ロストルムじゃない」
影の形がくっきりとし、正体が判別できたとき、私たちは同時に安堵の吐息を吐いた。影はロストルムではなかった。ロストルムではなく、安堵する者、つまり、人間だった。しかし疑問も残る。
どうしてこんな夜分に人間が外に出ているのか? という疑問だ。
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