第7話 同じ方向を見ていた

「今日はここまで」

 壁にへたり込む私と上原を見下ろしながら、ギースが言った。

「また明日訓練を行う。それまでに、なぜ今日自分は上手く出来なかったか、どこを直せば上手くいくのか復習しておけ」

 顔を上に向けて口をパクパクと開閉させながら喘ぐ私たちは、上から降ってくるギースの言葉を餌のように啄ばんでいるわけではけしてない。時間をきちんと計ったわけではないが、朝日が昇ると同時に叩き起こされて、食欲ないのに無理やりまずい、ドロドロのゲロみたいな見た目最悪の飯を胃に詰め込まされて、日が暮れるまでフォルミと戯れていたからだ。満身創痍だ。明日も筋肉痛だろう。

 言うだけ言って去って行くギースを見送りながら、私は薄目を開けて、上原を見た。彼をここまで近くで見たことは、ほとんどない。教室の出入り口付近ですれ違ったくらいだろう。親しくなかったどころか、接点すらほぼなかったのだ。

 改めて、彼を見る。全体的に、ほっそりとした印象を受ける。首も細いし、ウエストなんか、私と同じくらいではないだろうか。弁明のために言っておくが、私が太いのではない。私は身長からみて標準体重の標準体型だ。彼が男の癖に細っこいのだ。モヤシもかなり細かったが、彼も負けていない。まかり間違えば、彼の方がモヤシとあだ名され、いじめを受けていたかもしれない。

「何?」

 見ていたのを気づかれた。鼻の辺りまで伸びた前髪の隙間から、彼の目がこちらを捉えている。心臓が違う意味で跳ねる。別にこいつに何かしらの感情を抱いているわけではないが、変に思われたりしないだろうかと焦る。

「あの、どうして」

 ぐちゃぐちゃになっている頭のまま、話を切り出すという悪手を打った。それでも何とか、格好の話題を探り当てる。昨日、一昨日と、聞くタイミングを逃していた話題があった。あらかじめ用意しておいたのなら、想定とは違えど言葉は出てくる。

「どうして、傭兵になったの?」

 彼には私のように、選択肢が無かったわけではない。現に、最初は経理としてどこか別の傭兵団に雇われるのが決まっていたはずだ。

 赤坂が、別の団の経理として働いているのを見た。計算が出来る人間は重宝されると言うのは本当のようで、特にこういう、土地に定着しない、流浪の生活を送る集団に付いてきてくれる経理はなかなかいないから歓迎されているようだ。赤坂が重宝されて、彼が重宝されない理由はないはずだ。

「上原、君も、たしか経理として働けたんじゃなかったっけ」

「それはっ・・・」

 少し怒ったような、驚いたような、そんな反応をみせてから一旦止まり、顔をぐるぐる巡らせて少し考えるそぶりをみせてから、上原が答えた。

「今後の事を考えたら、この方が得策だと思ったんだ」

「得策、って?」

「日本に、元の世界に戻る為に、だよ」

 彼も私と同じ事を考えていたようだ。同士がいたみたいで、少し嬉しい。

「命の危機が去って、とりあえず何とか生きていく算段はついた。そこでようやく、ゆっくり考える時間が出来た。真っ先に考えたのは、どうにかして日本に戻れないか、ってこと」

「上原君も、やっぱり」

「やっぱりって事は、篠山さんも? だから、他の皆みたいに武器を売らなかったし、団長が勧めてた、その」

「娼婦?」

 彼が言い難そうにしているのをみて、代わりに答えた。少しだけ顔を赤くして、上原が「うん」と頷く。

「娼婦、にならずに、傭兵になったのも、日本に帰るためだったんだね」

 本当は様々な葛藤があったが、わざわざ彼の話の腰を折ってまで言うものでもないので同意だけしておく。

「傭兵なら、この世界中を渡り歩く。もちろん危険は伴うけど、日本に戻る方法は、どうしたってこの世界中を回って、情報を集めなきゃならない。戦う集団と一緒にいるのは、自分が戦う確率、死ぬ確率ももちろんあるけど、同時に、同じく戦う兵隊と一緒に行動出来るって事。これは、多分この世界では物凄い強みだと思う」

 おそらく、と前置きした上で、上原は自分の考えを並び立てた。

「この世界には、僕たちの世界に当たり前に存在した物がなくて、僕らの世界に無かった物がある。舗装された道はこういう都市周辺だけだろうから、交通網なんてものはないんじゃないかな。ということは、車なんていう移動手段はないと考えて良い。馬とか馬車とか、そういうのはあるかもしれないけどね。多分高い。なので、街から街への移動は、基本徒歩。舗装されていない道で、しかも外にはロストルムとかがいる、地域が変われば、別の化け物もいるかもしれない。普通の人間が、単独で街と街を行き来するのは不可能だ。それこそ彼らのような傭兵を雇わなければ難しい。なら、彼らの中に入り込めば、コストがほぼかからずに雇っているようなものだ。戦う知識もあり、化け物に対する知識もある彼らと共に行くのは、利に適ってる」

「でも目的地に行くとは限らないでしょ?」

「そもそも、目的地がどこかすら、僕らは分かってないんだよ。情報ゼロだ。なら、片っ端から色んな街を歩く他ない。好きなところに行くのは、ある程度情報が集まって、また、お金が溜まってからでも遅くない。最悪、死ぬ前に戻れれば良いんだ」

 モヤシの姿を見ただろう? 彼の言葉に、私は別れ際のモヤシの姿を思い浮かべる。ムキムキのむさ苦しいおっさんが、一気に若返った。あいつは、揺り戻しだとか何とか言っていたが、ようは、日本に戻る事が出来たら、その当時の年齢に戻れる。

「だったらなおさら、余所の傭兵団で経理として働いていた方が、より安全に旅が出来るんじゃないの?」

「戦わないで済むのは、確かにそっちだ。けれど、日本に戻る為には、ガリオン兵団のほうが都合が良いんだ。この団には、篠山さんがいる。赤坂君は他の団に行っちゃったけど連絡を取り合えれば問題ない。同じ目的を共有できる人が二人いるんだ。それこそ、さっきの話で、もしある程度の情報が集まった時。傭兵団とは別の街に行かないといけなくなったら、一人で離反するのはリスクが高い。けれど、二人、三人いれば、旅の成功率は上がる」

 なるほど、と思わず唸った。そこまで考えていたとは。娼婦なんてたかが単語で顔を赤らめるような、初心なお子様かと思いきや、かなり先のことまで計画している。少し見直した。

「それに、僕たちが固まっていたら、他の連中も集まってくるかもしれない。海外で日本人同士が集まるみたいに、一緒の方が安心するって心理が働くかもね。で、重要なのは、人数が多い方が、行き着いた街での調べ物が捗るって事だ。一人一人バラバラで動くと、無駄が出る。同じ所を調べたり、同じ文献を購入したりね。けど、全員が情報を共有しあえば、コストは下がって効率は上がる。こと調べ物に関しては、大人数の方が良い」

 これが、彼が傭兵になって、ガリオン兵団に入団した理由だった。ガリオンも渋りはしたが、私の時ほどの拒絶反応は表さなかった。男を雇うのは慣れているからだろう。ハードルは低かったようだ。

「もうすぐ日が暮れる」

 自分の考えを言うだけ言った上原は、尻に付いた土を払い立ち上がった。彼の言う通り、訓練場は既に影が大部分を支配しており、訓練を行っていた別の団の傭兵もほとんど撤収している。僅かに残った傭兵たちも、出入り口を抜けて、各々のねぐらに戻ろうとしていた。訓練場に、宿屋や飯屋、酒場にあるようなランタンはない。完全に夜になると、視界が確保できずに出られなくなる。

「あの、体、大丈夫? 立てる?」

 今日の、私のあの見事なまでに無様なやられ方を見ていた彼は、気遣わしげに声をかけてきた。痛撃を食らった場所が場所だけに、言葉には出しにくいのだろう。モラルハラスメント、セクシャルハラスメントと大人が叫べば子どもも覚え、理解する。そして大人以上に浸透する。今日話しただけでも、彼がかなり言葉や態度を選びながら話す人間だと言う事がわかった。日本でなら、ただのつまらない、退屈な男子だったろうが、この世界ではかなり頼りになるし、そこそこ信頼できる。それが、私が上原に下した現時点での評価だ。

「大丈夫。行こう」

 遅れて立ち上がる。尻を払ったとき、まだ痛みはあった。動けないほどではないが、一応、プラエのところには寄ろう。打ち身用の軟膏を貰ったほうがよさそうだ。

 訓練場を出て、私たちもまた、ねぐらに戻る。

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