Part.9 直ぐに終わる魔法学
着替えを完了し、股のぶら下がりも準備万端になった完全体な俺は早速アリステラの部屋を訪ねた。
「アリステラ、入っても良いかな?」
「はーい、どうぞー」
ドアノブを捻ると大袈裟なくらい大きくガチャッと音が鳴った。恐らく防犯のためにわざと音が鳴るものを選んだのだろう。しかし昼間でも大きく聞こえるその音が静まりかえった夜中に鳴ろうものならブリックス以外の居住者を起こしてしまうだろうし、これでは夜中に目が覚めてもおちおちトイレにもいけないだろう。
トイレに行きたくなっても大きな音を立てなければならないのは少しばかり恥ずかしい気もするが……それも年頃の娘であれば殊更である。
「お邪魔するよ?」
「あ、ソテルさん。さっきぶりですね」
「今日からアリステラの専属家庭教師をさせてもらう事になってるんだけど、お父さんから何か聞いてるかな?」
「いえ、特には何も聞いてませんが……あ、それなら――」
アリステラが何かを言おうとした瞬間、ドアノブが再び大きな音を立てて回された。次の瞬間勢いよく扉が開かれるとそこからアリシアの姿が見えた。
「ソテル君、ステラ、私もそろそろ仕事に行きますね。もし外に出る時は鍵をちゃんと掛けなさいね?」
「解ってますお母様」
「お願いね。じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃいませ!」
ステラは元気に返事をする。
「それからソテル君。ちゃんと手紙読んだ?」
「あ、はい。今はもう大丈夫です」
「そう、なら良かった。ステラの事よろしくね」
「お任せください、いってらっしゃいませ」
まさか娘の前で下着事情を確認をするとは思わなかった。アリステラは何のことかわかっていない様子で首をかしげてこちらを見ていたが何も言わずにいよう。
流石に朝までノーパンでしたなんて恥ずかしくて言えない。いや恥ずかしくなくても口にすることでは無い。
それにしてもアリステラは昨日とは打って変わって華美な言葉遣いをしていない。恐らく彼女自身はブリックスと同じくどんな人とでも仲良く接したいのだろう。
しかし初対面の相手に対して失礼の無いように言葉を飾り、その上で距離感を感じさせないために態々名前を呼び捨てにさせているのだと思うと幼いながらによく考えた物だと感心する。
「さて、それじゃあ早速授業を始めようかな。わからない事があったらいってね」
――と、言ってから早三十分。アリステラは特に考え事をしたりする様子もなく黙々と勉強を続けている。その間質問は一度も無く、もはや自分が何のために居るのか早速解らなくなってきた。
書き留めているメモをちらっと覗き見るとわかりやすいように広々と紙面を使ってまとめている。字も綺麗だが意識して丁寧に書いていると言うよりも元から字が綺麗なようで、字を書くこと自体はスラスラと時間を掛けずに出来ている。
このままでは自分が居る意味が無くなってしまうため授業形式で勉強を教えようと思ったのだが、授業を始めようにも彼女が今何をしているかを俺が理解しないことには何も始まらない。
彼女が今何を学んでいるのかを確認するために後ろに立ちノートを覗き見ると魔法学の基礎構築について学んでいるようだ。何か助言をしようにもペンの走りを見れば惑ったり悩んだりする様子はやはり見受けられない。
着任早々仕事が無くてこれは困ったと眉根を顰めてしまう。
「先生、ここが少し解らないです」
アリステラは困ったように笑いながら魔法の発動条件の項目を指さしていた。俺に気を使って聞いてくれているのかは解らないがここで失望されないようにしっかりと先生としての威厳を示さねばと意気込んでしまう。無能の烙印を押されれば宿と職、そして食を失いかねない……今の俺は金がないため失敗は許されない。
「んっと、発動法則の所かな?」
「ですです。魔法を構築する際の基礎となる生成物の厳密なイメージと必要な分の魔力を自身の体内で練り上げ放出と言うのはなんとなく解るのですが、補足事項にある放った後の変質とは何ですか?」
今彼女が目を通している項目は魔法の変幻性についてだった。そもそも魔法とは自然物とは違い、霧散してしまう存在しない物質である魔力によって引き起こされる現象の一種であり奇跡なのだ。奇跡と言っても一応法則はある。未だ観測できていない魔力だが研究が進めば恐らく魔力を実値的に観測発見する事も出来るだろう。
まぁ今現在の段階では観測できていないのだから魔力なんて存在しない物だと考えられてしまうためその法則を説明する事は難しい。
まぁ説明するよりも触れた方が早いだろう。とりあえず魔法についてどれだけ理解があるかを確かめてから実際に魔法に触れて学んでもらう事にした。
「アリステラは魔法を使ったことはあるかな?」
「んー……学校で勉強だったり瞑想したりはしますけど使ったことは……」
「そっか、じゃあちょっとだけ見てて」
右手を前に突き出し、握り締めた拳の中に魔力を溜め始める。
「まずは魔力について考えを改めて欲しい。魔力というのは原子などの世界を構成する因子を構成する世界の最小単位であると思って欲しい。そして今君が勉強している所は世界中に溢れている魔力という物を無理矢理に集めて握り固めているだけに過ぎない。例えばこの魔力を使って火を起こしたければ火の構成図通りに、鉱石を構成したければ目的の鉱石の構成図通りに魔力を配列する。それを完成させると――」
握り締めていたの拳をゆっくりと開くと手のひらの上に水玉が出来上がっていた。
「こうして形になるわけだ。さっき言ってた作りたいイメージっていうのはどんな形の何を作りたいかを明確にして、次に魔力を練るって書いてあるけどそれは間違いで実際には自然物から魔力を集めるイメージをした方が良い」
「何故ですか?」
「生成する物質をより強固にするためにも自然物を想像しながら形作った方が結びつきが強固になるからだね」
ソテルは手に持っている水玉を上に投げてはキャッチしてを繰り返す。少しばかり行儀が悪い手遊びだが、自然界に存在する水と魔法の水とでは違うという事を後々に教える際にイメージしやすくなるだろう。
「それから放つというものだけど、それは今俺が手に持っている生成物に動きを加えると言った方が正しいかも知れない。例えばこんな方法」
ソテルは右手に持った水の玉を絨毯に向かって放り投げる。水玉は放物線を描いて絨毯に着地すると玉の形を保てずに飛び散って床や敷物を塗らした。突然の出来事にアリステラはぼーっとその様子を眺めるばかりだ。
「これは物理的に投げるという放ち方をしたわけだ。次に魔法らしく放ってみよう」
ソテルは再び水玉をつくりあげると何も動きを加えること無く先程と同じように放物線を描かせながら水玉を地面に落とした。
その様子は傍目に見れば水玉が勝手に飛び跳ねたように見えた。
「これがイメージ的、魔法的な放ち方だね」
「ちょっとぉ! 先生何してるんですか!」
アリステラは最初こそぽかーんと口を開けて呆けていたのだが、部屋がずぶ濡れになった事に気がつくと慌てて椅子から立ち上がり濡れた絨毯に触れた。
ぐっしょりと濡れた絨毯の感触を確かめるとわなわなと震えだし、力が抜けるように崩れ落ちるとがっくりと項垂れた。
「あぁ……お母様になんて言おう……絶対怒られるよぉ……」
アリステラは恐々として絶望に打ちひしがれていた。アリシアよ、一体貴女は実の娘にどんなお仕置きをしてきたのだろうか……いや、今朝のブリックスを見ればもはや何も語るまい。アリステラの絶望は御尤もだ。
「アリステラ、大丈夫だよ」
「何もだいじょばないです! もうダメですおしまいです! あたしに明日なんてこないんですよぉ! ソテル先生に殺されたぁ!」
矢継ぎ早にわんわん喚くアリステラは食ってかかる勢いで飛び上がるも今にも泣き出しそうなくらいにパニックを起こしている。これはこれで可愛いかも知れないと思ったがちゃんと事情を説明しないと流石に可哀想だろう。
ソテルはパチンと指を鳴らすとアリステラに笑いかけた。
「アリステラ、もう一度絨毯触ってごらん?」
アリステラは何も言わずにゆっくりと屈むと絨毯に触れた。その瞬間先程までの泣き出しそうな顔が驚きの顔に様変わりした。
「…………え! これ、え!? なんで!? 先生、これどういうことなんですか!?」
驚くのも無理は無いだろう。先程までぐっしょりと濡れていた絨毯が瞬時に乾燥すれば誰だって驚きもする。先程言ったように魔法とは一種の奇跡、種も仕掛けも無い手品なのだから使い方を考えればこうした手品もどきのサプライズも出来るのだ。
「さてここで問題です。何故絨毯は乾いたのでしょうか?」
「え? えーっと……」
アリステラは眉を寄せて悩む。先程まで怒っていたというのにコロコロと変わる彼女の表情に子供らしい純粋さと突然の問題にもちゃんと応えようとする真面目さについ微笑ましくなってしまいヒントを与えたくなってしまう。
「あっ! もしかしてこれが変質ですか?」
「んー。まぁこの場合はちょっと違うかも」
再度悩み込み段々眉間の皺が深くなり始めたのであまり悩ませすぎるのも良くないだろうと思いヒントを与えることにした。
「アリステラ、泥をぎゅって握り固めると何になる?」
「はい? ……えっと、泥団子が出来ます」
「うん、それじゃあ普通に握り固めただけの泥団子を壁にぶつけたらどうなる?」
「砕けてしまいます」
「その時泥団子はどうなってる?」
「えっと、ただの泥に戻って……あっ!」
ようやく合点のいく答えにたどり着いたようで目を爛々と輝かせて答えを言う。
「状態が維持できなくなったから!」
「うん、正解。やっぱりアリステラは賢いね」
思わず頭をぐりぐりとなで回してしまう。
「せ、先生やめてくださいー!」
「ごめんごめん。説明に戻るけど、魔法って言うものはさっきも言ったように世界を構成するとても小さな粒だ。そんな粒を集めただけのものだからいくら握り固めたところで力が加われば霧散してしまう。魔法の基礎で言う所の消失という現象だね」
「消失? そんなもの何処にも書かれていませんが……」
「うん。どうやらエンデルの魔法技術は大分遅れてるみたいだからその影響もあるんだろうね。それに加えてほっとけば消えるなんて現象に名称をつけなくとも魔法なんてそう言うものだと納得してしまえばそれはそれで特に困らないから名前が無いのはそのせいもあるかもしれないね」
「でもそれじゃあ軍が使うような攻撃魔法なんて威力が無いんじゃ無いですか?」
「それがそうでもないんだよね。今さっき僕が作ったのはただの水だ。だけどただの水でも表面に魔力の網を作って使えば網が壊れるまでは水のままでいてくれる。後は使いたいように水を操る事が出来る。これが攻撃魔法の基礎だね。例えば水なら浸透圧を高めればたいていの物は切れる刃物の代わりになるし、風も相対方向に引っ張りあう突風が発生すれば真空波を生みだして刃物になる。火魔法だって土魔法と混ぜ合わせれば火山弾のように使えるし結局は使い方なんだよね。それに霧散する瞬間までは確かに存在する訳だし」
厳密に言えば網など無くても攻撃魔法は成立する。握りを甘く作られた泥団子でも剛速球で向かってこられれば相当な痛みを感じるだろうし、強い力で握れば塊となって壁に投げても粉に戻らない様にする事だって出来る。それと同じで魔力も高密度に圧縮することで魔法精製物も霧散しないようにすることが理論上は出来る。しかし実際にそれを体現したものは居ない。
「まぁでもアリステラの言うとおり一番起こりやすい現象は消失だ。魔法っていうのは結局『これはこういうものだ』っていう認識から生まれてるから認識が続いている限りは形を維持してくれる。だけど手元を離れると術者の認識、つまり意識から遠ざかってしまう。すると魔力を押し固めていたイメージが緩んで崩壊するって事だね」
「はぁ……」
いまいちピンときていないようだな。まぁここは実践すれば解ることだ。今はそれよりも変質について理解を深めた方が良いだろう。
「あれ? でもそれじゃあ魔法って何度も再利用できるんですか?」
話を進めようとした矢先、疑問を投げつけられてしまった。
「残念ながら出来ない。例えばだけど、さっき僕が放った水玉、あれって地面に落ちたら埃や汚れ、細かな微生物なんかと混じっちゃうよね? そうすると構成してるイメージではその姿を保てなくなってしまって瓦解していくんだよね」
「そうだったのですか……あ、じゃあ毎日何気なしに使ってますけど。歯磨きも魔法で作られてますよね? アレはどうして霧散せずに形状を維持しているのですか?」
「あれは魔法というか魔道具の一種だからね。推測になっちゃうけど材料に元々自然発生した水を使ってるんじゃ無いかな?」
「自然発生した水?」
「あーっと、この場合は生活する中で魔法で生成したものでは無く魔力が自然に集まって結合して出来た自然物って感じかな」
「何が違いますの?」
「さっき魔法はどうして消失するのか説明したよね。その逆の事が言えるのかな。自然物は結びつきが強固だから瓦解しない。まぁ言ってしまえば生成物が泥団子なら自然物は粘土の塊や宝石って感じかな」
「なるほど……あの、もう一つ質問なんですけれど、自然から集めるイメージというのは極論無くても構成出来るのですか?」
「まぁ出来ない事はないけど難しいから慣れるまではちゃんとイメージしてね。構成するための基礎配列だけで魔力を配置しても細かな魔力の移動はそこまで繊細に操れない。だからイメージで補完して魔力を動かしている訳だからどちらにせよ自然から集めるイメージという想像で魔力を自然に並べ替えてあげた方が精度がいい」
「重ね重ね申し訳ありません。基礎配列を完璧に出来れば問題ないのですよね?」
この子はどうしてもイメージをせずに魔法を使いたいのだろうか。ここまで来るとイメージする事自体が嫌いなように感じる。
「形とか構成している物質くらいは一致するだろうね。その質問と同じく、極論で言えばどんなに腕のいい刀鍛冶が刀の形状をした鉄を魔法で作っても鉄の刀でしかないけど、頭の中で鉄の塊を熱して叩いて冷やして、刀を造る工程まで全てイメージして生成すればその作り方で通りの名刀が出来るって事かな」
「へー! 魔法って自由に一手間加えたり出来るんですね!」
「まぁね、ただ脳内で複数の属性の構造を想像するのも難しいしなかなか器用に思い通りにはいかないんだけどね」
話が脱線し始めている。そろそろ話を戻すか。
「さて、それじゃあ次は変質についてやっていこうと思うけど大丈夫かな?」
「ちょっとだけ待ってください! メモしますので!」
そういってアリステラは紙にサラサラと文字と図を紙面に書き残す。急ぎ気味に書いているにも関わらず乱れず綺麗な字を一直線上に書いている姿は流石の一言である。俺は字が汚いと自分で自覚しているので見習いたいところだ。
「――お待たせしました!」
「それじゃあ変質についてやるよ。まずはさっきと同じように水玉を作ります。で、ここからが変質って言う現象だからよく見ていてね」
ソテルは目を瞑り意識を集中させる。五秒ほど何かをブツブツと唱えた後、右手に浮かんでいた水玉が出来の悪い人形のような形になり踊り始めた。
「わぁ! 先生なんですかこれ!」
「これが変質だよ。普通の水はこんな動きしないけど、魔法で作った水だからその水がどんな水で、どんなことが起こるのか、僕のイメージ次第でその通りに動いてくれるんだ」
「それが変質……?」
「そういうこと」
出来の悪い人形は自分で独りでに窓の外に飛び込み霧散した。
水を自由に動かせるように火や土、雷なども自在に操れる。しかしその為には様々な条件をクリアしていく必要がある。魔法は段階的に初期魔法、基礎魔法、開発魔法と存在するが、自分の想像に見合っただけの条件指定が必要になるため原型から形を変えない初期魔法までは使える者でも変質を含む基礎魔法の段階で敷居が高くなってしまって多くのものが魔法使いの道を諦めてしまう。
先程何気なく作った不出来な水人形も位でさえ基礎魔法に分類される。つまりその程度の魔法ですら難易度が高いため魔法使いは希少種なのだ。実際に帝国に軍属していた頃は魔法使いなど二百人ほどしか居なかった。他の武装団の兵数がゆうに万を越えていたことから魔法の難しさを窺い知れる。
「変質って、変わると言うだけの意味じゃないですよね?」
「そうだね、本来の自然物ではあり得ないような動きをすればそれはもう変質だね。昔は消失も変質の一部だと考えていたみたいだけど今では消失は別枠扱いされている。まぁ正直なところを話せば魔法についてはまだ誰も確固たる法則を見つけ切れてないっていうだけなんだけどね」
一応これでも俺は開発魔法の階位を得ているため魔法については最前線に立つものだが、それでも魔法について詳しいことは解っていない。
「でもそれって魔法を勉強する方法は無いって言うのと同意義じゃ無いですか?」
「いや、そうでもないさ。研究をしていればそのうち成果が上がる。その収集の結果が今の魔法学となってるわけだから今の魔法使い達が魔法学を見て魔法が使えるようなったように誰かが魔法使いになる切っ掛けを作るくらいのことは出来る」
「ほへぇ……」
アリステラは自分が抱いていた魔法というものへのイメージと現実の相違に落胆しているのかどこか呆けている。
「……意外と不便ですね」
「そうだね。流石に万能とまでは行かないね」
アリステラの直球な言葉に苦笑いで答えるしか出来ない。
「そういえば、エンデルでは自分の魔力を練って魔法を使うって習うの?」
「はい」
「ちなみに試験とかあるの?」
「はい。でも殆ど誰も成功しなくて……」
「そりゃ成功しないだろうね」
思った事をそのまま告げると不思議そうに首をかしげた。
「え? 何か間違っているんですか?」
「うーん、間違ってるかな。人間が自前で持っている魔力なんてたかが知れてるからね。せいぜい出来たとしても水一滴を出すに満たない何かを発生させる程度の事しか出来ないんじゃないかな」
「そうなんですか?」
「うん。さっき言った話で魔力は目に見えないほどの粒っていったよね?」
「はい。それが何か?」
「まぁ言ってしまえば原子とかに置き換えて考えれば良い。人間としての身体を保つ為の許容領域があってそれを上回っても下回っても人間では無い何かになってしまうんだ。大昔に強大な魔術師を生み出そうと魔力量を無理矢理底上げしようとした実験があってね。その被験者はみんな異形に成り果てて死んでいった」
アリステラは実験の話を悲しげな顔で聞いている。
「今でもその実験は続いている。ほぼ無駄だとしても――」
「魔力という物が目に見えないほどに小さいが故に存在を理解出来ない人達によって意味の無い犠牲者が生まれている」
「その通り。アリステラは賢いね。さてここで一つ報告したいことがあります」
「はい?」
「魔法学はもうこれで終わりです」
「え?」
「うんとね、突き詰めてしまえばさっき言った魔法の基礎は構築配列とイメージである事の理解と魔力というものの存在の認知、それから自然物との違いを理解すればもう魔法学の全てを学んだと言ってもいい。他に書いてあることはただ意味の無い言葉を無駄に小難しくそれらしいように書いてるだけで何の意味も無いからね」
これは魔法を独自に研究し開発している俺が感じた現代魔法学についての見解だが大体は間違っていないと思っている。
「結局、人間の持つイメージと言うものは自分の認知の枠を越えることが出来ない。だけど世界に存在する物を完全に理解するなんて同じ次元の存在には出来ないことだし、だからといって証明を後回しにして良いものでもない。だから世界をもっと広く深く見て、物の一つ一つの生まれを知ることが魔法使いになる為の試練だと思ってもらえたら嬉しいな」
「うーん。魔法って結局は真理を求めようとしなければならないって事ですか?」
「そこまで難しく考える必要は無い。だけど水には水を構成する原子の他にも要素があると言うことを知って、調べていくことでより自然な水に近づけるってだけだよ」
全てを知ろうなんて事は無理だ。ただ自分の手の届く範囲の事であれば知っておいても損は無い。そしてその知識が力になるのが魔法なのだ。
身体的に弱くとも武において剛を制するために技があるように魔法もまた技術も力も無い者のために存在する武の一つであるとする国もある。しかし俺は魔法を単純な力なんて言葉で片付けたくなんてない。
人がより人の為に可能性を導き出すために生まれた奇跡なんだと信じたい。そうでなければ過去の俺が費やしてきた時間が無駄になってしまうのだから。
「でも要素って言われても解らないですよ」
「そればかりは自分で補っていくしか無いからね。でもまぁ水だって温度が違えばものも変わるし名前も変わってくるでしょ? 今どんな状態だとか何でも良いから情報が多ければ多いほどその通りに出来上がってくれる」
「じゃあ仮にですけど、完璧にイメージされた水を作ったらそれは自然物の水と変わらないんですか?」
「理論上はね。ただ実際には結合率とかを測ってみないと解らなし、魔力を含んでしまうから使用用途は限られてくるだろうね」
「と言う事は違う物ですよね?」
「まぁそうなるね。でも魔法も捨てた物じゃ無くてさ、言ってしまえば無限資源だから魔法の為だけに魔法とは関係なさそうな道に進む人もいるんだよね」
「魔法の為に関係なさそうな? って言うと、どんなのですか?」
「俺の知っている人だと魔法で刀を作るために鍛冶師になって工匠にまで登り詰めた人、万物への理解を深めるために錬金術師になる人だっている。俺の師匠なんかは世界を作るために世界中を旅してるみたいだし道は沢山あるよ」
「へぇ……先生の先生も興味ありますけど、鍛冶師になった人は何で鍛冶師にならないといけなかったんですか?」
「単純な鈍器やただの刃物であれば鉄を目的の形に成形すればいいけど、特殊な方法でしか作れない物、それこそ刀なんかは折り返し鍛錬によって軽量で高強度な鉄を作り出している訳だけど、あれって鉄の純度を高めているのと同時に鉄を多層化する事で断面係数を高くしているんだ。それを再現する為に鍛冶師になったみたいだよ」
「実際に刀は作れたんですか?」
「うん。時間制限付きではあるけどそこそこ立派な刀だったよ。まぁ僕は知識的にしか知らないからその人にしか出来ない魔法だけど、刀をその場で作れるのであれば無駄な物資も運ばなくて済むし資源も節約できるから魔法はやっぱりすごいよ」
俺も自分だけの魔法はいくつか持っている。しかしやはり俺と同じように魔法に命をかけている人間達はどの人も別の道を歩んでいる。俺は魔法の為に別の道に進もうとは思えなかったから魔法研究者となったが、結果としては何か別の道を追った者達と変わらなかった。結局の所魔法とは突き進み続ける者、想像力豊かな者、考え続ける事が出来る者にだけ開発魔法を得る権利を与える代物なのだ。
普遍な存在であっては何も得られない、それ故に異端とみなされ現状を変える切っ掛けを生み出すものとなる。それが魔法だ。
「でも人が使っている高レベルの魔法はやっぱり使えないんですよね?」
「うん。魔法は知識科学と言われているくらいだからね、良い知識があればそれだけで良いものが作れてしまう。その反面で知識だけがあっても正しく世界の理に沿って構成、配列していかないと思った通りの物なんて出来ない。それを補う為のイメージな訳だけどこればかりは実際に触れないと想像つかないものもあるからね」
なんとなく知識的に知っていても適当に作り上げて物になる事なんてなかなか無い。それこそ自分の追い求める物があって道に進んだのであれば尚更目標に到達するには道は険しくなってしまうのは仕方ない事だ。
「でも魔法を学びながらなにかを習得するって手間も掛かってしまいますし、一心にその道を歩む人達よりも習熟出来ない気がするんですが」
「そうでもないよ? 例えばさっき言ってた刀職人で言えば自分好みの地金を自分のやりたい最適な温度で積み沸かして自分好みのやり方で下鍛えをして自分好みの上鍛えをする事が出来る。薬の波紋や仕上げの研磨も自分好みに出来るから集中力と知識があればとても優秀な刀が出来る」
「でも現実にも優れた物は存在するじゃ無いですか」
「現実では与えられた環境で一番良いものを目指すしか無いでしょ? それに壊れたらお終いだ。魔法なら常にベストを保てる上に反復することで生成速度を上げられるし集中力の続く限り無限に作れる。まぁでも緻密なイメージが鍵になるから少しでも曖昧なイメージが混ざれば弱い刀に成り下がってしまうのは難点なんだろうけど」
「曖昧なイメージ?」
「まぁ言ってしまえば全ての項目に於いて知り尽くしていて最高のパフォーマンスを発揮し続ける事ができないと粗悪品になる事もある」
「やっぱり魔法は大変じゃ無いですか! それじゃあ現実と変わらないですよ!」
「でもほら! 無限の可能性を秘めてるんだよ! 普通の刀鍛冶だったら作れないような金属も精製できるわけだし」
「それはそうですけど、その領域に達する頃にはお祖母ちゃんになっちゃいますよ」
「まぁでもそれは普通の職人でも同じ事が言えると思うけどね。職人は天性のセンスと運とひらめき。魔法使いは運の要素を思考と想像で補えるんだから良いと思うよ」
「でも出来上がっても制限時間付きですよね」
「……でもまぁ! いざ消えそうになったら二本目を作れば良いしね! と言うかアリステラは魔法に否定的だね。もしかして魔法が嫌いだったりする?」
「いえ、魔法は好きですしいつか使ってみたいと思ってましたけど……なんだか想像と違うなぁって思ってるだけです」
「それなら案ずるより産むが易しの精神で行こうか。ちょっと庭に出よう」
実際に使ってみると言う言葉にアリステラは食い気味に「ぜひっ」と答えた。現実での魔法というものへの落胆から魔法に否定的なのだと感じていたが、実際に魔法に触れる機会があれば目を爛々と輝かせている。魔法自体に憧れはあるようだ。
想像していた魔法との違いを落胆で終わらせずに感動で塗り替えることが今俺に課せられた最初の仕事と言っても良いだろう。
何も無い空間から何かを生み出す瞬間というものは本当に驚きや感動がある。それを体験してもらえればきっと彼女は魔法使いを目指してくれるだろう。
まだ幼い彼女が身を守る護身術として魔法を使えるようにさえなれば武術で身体武装せずとも使い方次第では強大な力を手に入れる事になる。願わくばそんな事態に遭遇して欲しくないし人を傷付けるために魔法を使っても欲しくない。しかしブリックスが言うように人を疑うことを知らない者の危うさとは恐ろしいもので、悪人というものは意外と身近に存在していたりするものなのである。勿論多方面から見てみれば悪人と言えなくとも一方面で見れば悪人と言われても仕方ない人間も含めて、だ。
あくまで私見だがアリステラには魔法を使うだけの才覚はあるように見える。理解が早く聡明で、あとは魔法に触れる切っ掛けさえあれば自分で独自の魔法を開発していくことだろう。その切っ掛けを与えられるのかどうかが俺の両肩に掛かっているわけだが上手くいくだろうか……
アリステラがメモを書き終えると勉強をきりの良いところで切り上げさせ庭へと場所を移し早速魔法の練習に取りかかることにした。
「早速だけど、アリステラは魔力を感じ取ることは出来るのかい?」
「自信は無いですが…………やってみますね!」
アリステラは目を瞑り静かに息を止め集中する。魔力の流れを感じ取るには精神を集中して魔力が流れ込みやすい状態を作るのが一番いい。
魔力は人間の意識との親和性が高く、魔力を要している意識に反応して身体に流れ込む性質がある。恐らく魔力を必要とする時の脳の電気信号パターンが偶然にも魔力の親和性とマッチしているのだろう。
アリステラの周りを見ると魔力自体は少しずつではあるが流れ込んではいる。問題はその流れを感じられるかどうかだが、果たして……
「…………」
なおも意識を集中させ続けるアリステラ。もしかしたら魔力を感じ取れていないのでは無いだろうかと心配になってくる。初めて俺が魔力を感じられた時は自分の中に異物が入り込んだような違和感に身の毛が弥立ち、直ぐに集中が切れたものだ。
その後も五分程集中し続けていた。途中息を止めていないか確認してみたのだがそれでもなお取り乱す様子もなく集中し続けた。そして静寂に終わりが訪れた。
「んー……魔力は感じられるみたいです」
「それなら良かった! ここで躓くと少し苦労するからよかったよ。それじゃあ魔法の基本系、水を出してみようか」
「先程の様な水玉ですか?」
「んー、最初から水玉は難しいから水道から流れ落ちる水を想像してみて」
「はい!」
俺でも未だに魔力を身体に流す時違和感を覚えるというのにこの子は魔力が感じられたことに何も感じなかったのだろうか。まぁ魔力自体は感じているようだし魔力についての問題はなさそうだ。ここで転ぶと面倒なので何も無くて良かった。
手を前に突き出し、意識を集中し始めるアリステラ。しかし何も起きない。
「アリステラ、ちょっと待って」
「はい?」
小首をかしげこちらを見上げる。大きな瞳には成功しない難色と呼ばれた事への疑問で不安げな表情を携えている。
「魔力を直接集めようとしてないかな?」
「え? だって自分達の魔力じゃ魔法って使えないんですよね?」
そうか、言われてみればどのようにして魔法を使うのかを教えていなかった。
「ちょっとごめんね」
一言謝罪をしてからアリステラの目を手で覆い隠す。
「わっ! せ、先生? 突然どうしたんですか?」
「……はい。アリステラ、魔力は見えるかな?」
覆っていた手を外すと突然の出来事にアリステラは腰を抜かし尻餅をついた。
「わぁ! なんですかこれ!」
「その青白く見えるものが大気中の魔力。で、赤いのが生物の持っている魔力」
「へぇ! こんな魔法があるんですね!」
「実際の魔力を見ているわけじゃないけど感知系の魔法だね。それじゃあ見てて」
何度も見せた水玉を作り上げ地面に放つ。再度水玉を作り不出来な水人形を踊らせ元の魔力に崩壊させ消失させる。
「わかった?」
「なんとなくはわかりました」
今見せていたのは魔力の流れである。
魔法教育の遅れたエンデルでは自身の体内の魔力から魔法を使うと教わるようだがそれでは魔法なんて発動しない。魔力は大気中にいくらでもあるのでこれを利用して魔法を使うわけだが、そのまま集めようとしたところで自身の魔力とは違って言う事を聞いてはくれない。その為ある手順を踏むのだ。
「魔法を使う時は一度自分の法脈と呼ばれる魔力のバイパスに流し込んでそのまま外に放出する。溜めておくとそのまま魔力を取り込んでしまってさっき言ったように異形の者になりかねないから体内に溜めるのだけは辞めた方が良い」
「でも何で法脈を通すと魔法が使えるんですか?」
「まぁアリステラに見てもらったとおり少しだけ俺の魔力を混ぜ込むんだ。俺の魔力を核に大気中の魔力を結びつけて魔法を発動させる。これを帰属式魔法っていう」
「式ってことは他にもいくつかあるんですか?」
「そうだね。大まかに言えば魔道具に用いられる陣術式魔法、大気中の魔力を無理矢理爆発させる暴走魔法、詠唱と舞を踊る事で魔力を従わせる古式魔法、精霊と呼ばれる者達の力を借りる精霊魔法くらいかな。そのうち精霊魔法と暴走魔法は式って付かない通り厳密には魔法には分類してないけどね」
「結構種類があるんですね。どんな特徴があるんですか?」
「まぁそれは追々教えていくよ。まずは帰属式魔法を覚える事に専念しようか」
「はぁい」
間延びした声を聞き届け、再度魔法について説明する。
「帰属式魔法を使う時に注意点が一つある。それは魔力の質を確かめなければならないという事だ」
「魔力の質?」
「そう。魔力には友好的なものと敵対的なものとがある。友好的なものは素直に法脈を通って言うとおりに動いてくれるけど敵対的なものは身体の中に入った後に法脈を通らずに身体に閉じこもったりする」
「え、でもそしたら異形になってしまうんじゃ……」
「うん。そのままにしておいたら間違いなくそうなるだろうね。だからそうならないために青白く見えるもの以外は法脈を通さない方が良い」
「でも私その魔法使えないですよ?」
「それは後で教えてあげるね。ちなみにだけど、魔力の質を確かめないで無闇矢鱈に魔法を使おうとすると不帰属魔力爆発や魔力中毒を起こしやすい」
「不帰属魔力爆発?」
「まぁ字の通りなんだけどさ、帰属してない魔力が怒って体内で爆発してしまうんだ。タチが悪い事に爆発する時に限って法脈の中に入ってくるせいで魔力回路がおかしくなってしまって最悪の場合魔法が一生使えなくなってしまう」
ちなみに、魔力中毒とは体内の許容量を超える魔力を一定時間内に使った時に起こる魔法使いにとって最も注意すべき状態異常だ。この状態になると上手く魔力が操れず暴発する危険性が高くなる。自分の保持している魔力量は大した個人差は無いが大気中から法脈に流し込める魔力の許容量は人によって大きな差がある。
不帰属魔力爆発については口で説明したが、どうやらアリステラを変に怯えさせてしまったらしく不安げな表情を浮かべ、意欲的に真っ直ぐ伸ばされていた腕がやる気を無くしたようにダランと下がってしまった。
これはちょっと元気づけてあげないと可哀想かも知れないな。
「大丈夫だよ。もしそんな気配を感じたら直ぐに止めるから。安心して?」
「は、はい! …………あの、先生……絶対、絶対ですよ?」
「うん。任せといて」
笑顔で応えてあげるとようやく安心したようにアリステラは再び目を瞑った。
桃色の髪が風に吹かれて揺れ始める。やはり彼女には素質がありそうだなと感じていると段々雲行きが怪しくなってきた。
アリステラの周りにだけ突風が吹き始めたのだ。当の本人は気付いていない様子で間違いなく魔法は失敗していた。この様子は何度も見た事がある。魔力暴走だ。
魔力暴走は術者には被害が殆どないが周囲に何が起こるか解らない。場合によっては術者の魔力量に応じて一面を焼け野原にする危険性もある。
俺は急いでアリステラに魔法を解除するように持ち掛ける。
「アリステラ! 今すぐ集中を解きなさい! アリステラ!」
しかし俺の叫び声は届かず、なおも魔力を膨らませていく生徒に戦慄する。
このままでは大惨事を招く事になる。なんとか止めようとアリステラに近寄ろうとする、不思議な結界の様な力に拒まれた。
「なんなんだ、これは……」
初めての経験だった。魔法を詠唱中の者と模擬戦をしたことがある。それも一度や二度では無く毎日何十組も戦った過去があるのだ。中には魔力暴走を起こした魔法使いに立ち向かったこともあった。しかしこんなことは初めてだった。
単純に守りの堅い結界や接触者を攻撃する結界など、結界には様々なモノがあるがこの結界は何の効力も持っていないように感じる。しかし何故か前に進めないのだ。
何かに触った感触はない。何も無いのに何故かその先に近づきたく無いと本能が感じ取ってしまう。
このままではいけないとは理解しつつも、脳裏では決して近寄ってはいけないと防衛本能が訴えかけてくる。結局、俺はアリステラを止められず悲劇を迎えた。
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