Part.2 絶望後希望

 俺は再び絶望した。


 オディロンのお金がエンデルでは使えないのである。オディロン帝国のお金は他国と違って金属を使用していない。と言うのも軍事力のみで統治されたオディロンでは貴金属は軍備強化のために使われ貨幣などに使われていないのだ。


 結果としてオディロンのお金は木製で、国内では通常のお金として使用することができたのだが賤貨同然のそれは国外に出した瞬間ただの木屑になってしまう。


 ではオディロンがどのように他国と外交をしているかを想像してみる。想像は簡単に答えを導き出した。商売の根源である物々交換と武力による脅迫が主体なのだろう。いざ従わないとなれば戦争をけしかけ戦果として目的物を回収する。なまじ軍事力だけで大国化した国だけに敵に回したいと思う国も少ないだろう。言ってしまえば大国化しただけでやり方はならず者のそれなのだろう。


 そんなことよりも今の状況は非常に不味い。このままじゃ俺はまた金無しの浮浪者になってしまう……遠路はるばる他国に来たというのに帝国にいた頃と変わらない。なんなら余計に状況は悪い。そんな状況を打破するために俺はとにかく動き始めた。



 そして俺は一日で三度も絶望した。



 工場、店、大道芸人、エトセトラ……仕事ならば何でもチャレンジしようと面接を希望したのだがどこもかしこも人を雇う余裕なんて無いと言われ断られてしまった。


 見たところ店は繁盛していたし、工場だって大道芸人だって他の町に比べれば景気が良さそうだった。体よく断られてしまったと言うのが一番しっくりくる。


 現在夕方、俺無職。完全に浮浪者への道を着々と歩み始めてしまっている。そして心折れかけた俺は悲痛な思いを口にする。



「ダメだ……このままじゃ死んじまう……」



 薄汚れた格好で路地裏の壁にもたれてずるずると崩れ落ちた。


 景色は既に夕暮れ。このままでは今日の宿を確保することも難しい。木製の賤貨では何かを買うことはおろか物々交換も期待できないだろうし今自分が持っている物と言えばせいぜい今着ている衣服と少し特殊な腕輪くらいなものだ。


 腕輪の方は売れば金になるのは間違いないだろうが、それは死ぬ直前までしてはならない行為だろう。今は別の手段を模索しよう。動ける内に動かないと後が怖い。このままでは寒空の下で野宿な上に空腹で動くこともままならなくなってしまう。


 控え目に言って状況は最悪。詰みとも言える状況である。


 働こうにも雇い手はいないし自分の持ち物の中にはエンデルで通用する物なんてない。何かを作って売ろうにも作る場所も売る場所もない。護衛をしようにもキャラバンを組んでいる連中は既に馴染みの者がいて、俺が新たに雇われる可能性は低い。


 どうすれば事態が好転するかも解らない状況に段々と気持ちが落ちてくる。でも諦めるわけには行かない。このまま諦めていたら俺の夢なんて到底叶う事は無いだろう。何事も『やる気・元気・直向き』が大切である。素直で真面目に生きた人間が一番偉いのだと両親も言っていたし俺もそうなれるように努めたいと思っているのだが……俺を取り囲むこの状況は厳しい。


 座り込んでいても仕方が無いのでフラフラと歩き始めようとしたその時だった。



「君がソテル君かい?」



 突如として見知らぬ声に名前を呼ばれビクッと身体が跳ねたが、声を発した相手をそのままにしておく訳にもいかないので警戒しながらも振り向き返事をした。そこには大柄な初老の男がにこやかに立っていた。



「……失礼ですけど、どこかでお会いしましたかね?」


「いやなに、そう構えないでもらえると助かる。僕はブリックス=ヴァン・アスールライトという者だ。一応この町の役人をさせてもらっている。実は友人から惜しい人材を泣く泣く手放し、採用を見送ったと言われてね、それで君を探していたんだよ」


「お言葉ですが俺は今日ここに来たばかりでそう言った知り合いはいなかった様に思うのですが俺の勘違いですかね? それとも何か別のご用があって俺に?」



 ソテルの言葉に偽りはなかった。彼はここに来てから何度も働かせてもらおうと面接を頼み込んだが資格ナシに始まり、断られてばかりで今に至っている。中には面接を受けてくれる所もあったのだが彼の言うように『惜しい人材を手放した』と思うような人物は思い当たらなかった。


 不信感を抱き、先ほどよりも警戒の色を濃くしたソテルにブリックスは語る。



「あぁなに、最近仕事がね……溜まりにたまってしまっていてどこから手をつけたものか困ってしまっていてね、かといって手抜き工事で済ませて済む問題でも無いから仕事を任せられる人を見つけるほか無いなと思っていた矢先に君の話を聞いたものだから声を掛けてみる価値はあると思ったのだよ」


「そうですか、それはわかりましたが俺には貴方を信用するだけの材料が未だ手元には無い。こんな状態では何とも答えられませんよ」


「いやぁ、これは失敬した! 確かに君の言う通り私を信用するに足る情報がなさ過ぎたね。君は今日教員試験を受けたのだろう? そこに皺の深い男がいたと思うのだが、彼は学長で、私はその友人だ。彼からの紹介で君を探していたんだよ。しかし話に聞いてはいたが……大分若く見られないかね?」



 ソテルはそう言われると『またか』と言った調子で溜め息を吐いた。


 ソテルの見た目はおよそ二十歳手前程度にしか見えないが実際は歴とした成人男性であり、二十歳の頃などとうにに超えている。しかし見た目は若いものだからいつも舐められてしまい彼にとっては軽いコンプレックスだった。



「……なるほど、学校に確かにそんな人がいましたね。解りました。今の所は貴方のことを信用することにします。先ほど町の役人と言っていましたけど、俺に任せたい仕事もこの町に関する仕事でしょうか?」


「いやなに、そう急かなくても大丈夫だよ。君の能力に合わせてしっかりと仕事を任せたいと思っている。友人から君を推されはしたけれども僕は君の事を何も知らない。だから君と一度面談した後に決めようと思うのだが、どうだね?」



 ブリックスの提案は至極当然のものだった。確かにソテルの能力も知らずに仕事内容を決めるような愚行を役人が働くはずも無いだろうなと考え直すと自身の軽薄な進言に少しばかりの恥ずかしさを感じた。



「まだまだ年若ではありますが……誠心誠意努めさせてもらおうと思っています。一応学校教員試験での筆記では満点を取らせて戴きましたので学に関してはそこそこには修めていると自負しておりますので何卒よろしくお願いします」



 そう言って軽く会釈する。挨拶をしておいて損は無いが未だにブリックスという男が何者なのかはわからない。町の役人というのが嘘の可能性もあるため迂闊に視線を外すことは出来なかった。失礼ではあったが視線は落とさず会釈するに留まった。



「なるほど。やはり君がソテル君であっていたのだね。良かった良かった」


「改めまして、ソテル=ユージン・アリアです。よろしくお願いします」



 そう言っておきながら態々俺がソテル本人だと確認する事に違和感を感じ腰に差している短剣に手を添えるとブリックスは両手を挙げて降参のサインをした。



「あぁなに、そう警戒しないでくれ。僕の所作を見ればわかるだろうが争い事は苦手でね。とりあえず君が友人の言うとおりの人物か家で話を聞かせておくれよ」



 ブリックスに促され、腰に当てていた手を元の位置に戻す。確かに彼の言うとおり彼自身は戦い慣れしている様子はない。しかし筋骨隆々なその体がいざ猛威を振るえば危険であることには変わらないし疑問に思う点が一つあったので聞く事にした。



「あの、失礼かと思ったのですが……ブリックス氏と学長では歳の開きがあまりに大きいような気がするのですが……」



 ブリックスはまるで豆鉄砲を食らったかのような表情で目をぱちくりとさせると次第に小さく笑い、最後には腹を抱えて大爆笑し始めた。



「あの、何か可笑しな事でも言いましたか?」



 突然笑われた不快感から少しばかり突き放すような声色で話すソテルにブリックスは笑いを堪えようと必死になりながら言った。



「いやなに、あいつは…ははっ、あいつはな。僕よりも二つ……くくく、いやだめだ……」



 なおも笑いが漏れるブリックスにあきれ顔で何を言うかを待っているとようやく落ち着きを取り戻したのか息を一度大きく吐き息を整えた。



「失礼したね。いやね、あいつは僕よりも二つ年下なのだよ。それを君は歳が開いて見えると言ったものだから、、またあいつは勘違いされているのだなと思ってね」


「え」



 ブリックスの言葉にソテルは固まる。



「あれだろう? 君は彼が僕よりも二三十程年上に見えたのだろう?」



 そう言い終えると再びブリックスはクククと愉快そうに笑い始めた。ブリックスの言葉を耳にしたソテルは学長に申し訳ない気持ちを抱き、心の中で陳謝した。


 それにしても、学長の方が年下などとは解るはずも無い。何故ならどこからどう見ても学長の見た目は御年九十を超えていそうな老人にしか見えなかったのだ。



「あぁそうだ! あいつから伝言を預かっていてね、君のこれからに大変重要な事だからもし会うようなことがあれば伝えてくれと言われていてね」


「学長からですか?」


「うむ、何でも今回試験に落ちた原因はたった一つの問題点があって採用を見送らざるを得なかったらしい。君にそれを伝えて欲しいとね」



 つまりは自分が資格ナシの烙印を押された原因というわけだが問題点が一つとは一体何だろうか。もし自身の手で治せない部分であったならどうしようか。


 ソテルは生唾を飲み込み、その原因がなんたるかを聞く覚悟を決め、ブリックスに心の準備が整ったことを伝えるとブリックスはソテルの目をジッと見据えて言った。



「見た目が汚い。何処の町から浮浪者が混じってきたのかと思ったわ! だってさ。たしかにソテル君、君は非常にくっさいなぁ!」



 ブリックスは伝言を言い終える前に再び笑い始めて、言い終えた今では再び腹を抱えて笑っている。ソテルはどうしているかというとブリックスから伝えられた事実に対し驚きを隠せず口をぽっかりと開けたまま呆けてしまった。


 そう……この際ハッキリと言ってしまおう。ソテルは汚らしかった!


 軍管轄ではない学校で教育を受けることが出来る子供達だ。その素性はハッキリとしており恐らく商会や町役人、各種協会の上役の子息令嬢が訪れるのだろう。


 そういえばレバノンがそんなことを言っていた気がする。確かにそう考えてみれば将来組織を背負う子供達に対して浮浪者のようなソテルを教師として前に出すのは生徒である子息令嬢だけに留まらずその親たちにまで至る不敬なことである。


 そんなことになれば商業で成り上がった町であるエンデルにおいて絶対的権力を持つ商会から迫害され、いくら学校と言えども不利益を被ってしまう事は想像に難くない。そんな無茶をする為にソテルを雇うなんて事はあり得ないしそうした意味で言えば確かにソテルには資格が無かったのだ。



「僕の正直な感想としてもだがあいつの言いたいこともわかる。綺麗事並べたところで人間は結局まず見た目で人柄を判断してしまうからね。今回は残念だったね」



 ソテルはブリックスの言葉に呆けたままでいたが暫くして気を取り戻し彼の言葉が恐らく誠であると判断すると今までの不敬を謝ろうと身なりを正した。と言っても服はほつれているし風呂にも入っていないものだから身体からは腐臭が漂う。ブリックスは今も我慢してくれているのだろうが先に言われたとおり臭いだろう……しかし自分で理解していても面と向かって言われると傷付くものだ……



「先ほどから失礼な物言いを重ねたこと申し訳ありませんでした」


「いや、僕は気にしていないからそんなに畏まらなくて大丈夫だよ。むしろ警戒心がある事は良いことだ。人を疑うことを知らない者の危うさと言ったらないからな」

 


ブリックスはソテルに向き直り微笑みかけると言葉を続けた。



「君は人に物事を教えることが得意だと聞き及んでいるが間違って無いかね?」


「はい。一応これでも軍学校は首席でしたので」


「結構。とは言っても僕はまだ君の人間性はおろか、能力すら何も知らない。せいぜ

い僕が知っている事と言えば君がオディロンの軍学校を卒業したこと位だね。もしソテル君さえ良ければだが……この後どうだね、僕の家に来ないかい? 君の能力と人間性さえ解れば任せられる仕事も自ずと出てくるし、もしかしたら……」



 ブリックスはそこでいったん言葉を句切り何かを考え始めた。


 もしかしたらの先は何なのだろうか。気にはなったがその先を聞くより先にブリックスが再度言葉を紡ぎ始めたため何も聞き返さずに黙っていることにした。



「あぁそれから、今日の宿は見つけてしまったかい?」


「いえ、まだですね」


「なら今日は僕の家に泊まると良い。君にとってもそれがいいんじゃないかな?」


「……もしかしてご存じでしたか?」


「オディロンで少しの間だけだけど働いたことがあったからね」


「なるほど。実はお察しの通り貨幣がこちらでは使えなくて困っていたんです。先ほどのお誘い、ご迷惑で無ければ是非お願いします」



 ブリックスのオディロン賤貨への認識があったことに多少の驚きを感じたが、それを察してか親身になってくれた提案はソテルにとって願っても無い申し出だっただけに即座に快諾し、ブリックスの屋敷へ二人で他愛ない会話をしながら向かった。

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