千変万化

壱ノ瀬和実

死神

 私は、死を掌る神であります。


 悲しいかな、あなた方よりほんのちょっぴり高い所から、あなた方の命の終焉をじいーっと見続けているのです。ずっとですよ? 死と言うものはあまりにもせつなく、儚く、いつまでも見ていると、死神のくせして気がおかしくなりそうです。


 我々死神は、命を刈り取る権利を頂いております。故に、死神は自らのルールで、あなた方の命の期限を決め、死に様を演出しているのですが、死神仲間には少々残酷な者もおりまして。


 例えば、私の同僚にあたるマードルという死神は、人の寿命を生まれた瞬間に決めてしまいます。産まれた日付、時間、産声の上げ方、その瞬間に見せる母の表情。他にも住む環境等を加味し、それらを独自の方法で数値化して、それによって赤ん坊が何歳で死を迎えるかを決めるのです。


 これらは覆すことが出来ません。我々死神には自由自在ですが、あなた方人間にはどうにも出来ない。


 先程アメリカ合衆国で産まれた赤ん坊は、運悪く命の期限を十四年と九十五日、と決められてしまいました。どう死ぬかは分かりません。病でしょうか、事故でしょうか、それとも誰かに殺められるのでしょうか。死因は不明ですが、つまり我々が決めた寿命は絶対であり、死に関するルールはそれぞれの死神の裁量に任せられているのです。またこのマードルは、決して命の期限を延長しません。なので、あの赤ん坊は必ず十四歳で死に、十四歳までは確実に生きることが出来ます。


 しかしこれはあくまでマードルの基準。私、ショウバのルールは違います。


 ご紹介しましょう。


 私は担当する人間の寿命を決めておりません。と言うよりは、そこまでの権限を有していないのです。死神にも階級があります。同僚と言えどマードルは上位の死神ですので、人間の寿命を分単位で決定することが出来ますが、私のような下位の死神は、命を奪う権利こそあれ、寿命を決めるなどということは許されていないのです。


 私の場合は死に様、というよりは、その者が死ぬときどう感じるか、をルール化することが精々。


 簡単に言うならば、どれだけ苦しんで死ぬか、ということです。


 よく、ぽっくり逝けるなら幸せだ、などという民族がいますが、逆に言えば苦しみながら死にたくはない、ということでしょう。


 そういうことです。


 私は、死に際に苦しみを与える死神なのです。


 具体的には、酷い行いをする者に苦しみを与えます。


 最も分かりやすい例を挙げれば、人を殺した者の死は想像を絶するものになります。全身を串刺しになってそれをグリグリと抉られるような痛みが途方もない時間続く。地獄に行った方が幾分かマシでしょう。


 他には、無理矢理に性暴力を働いた者も、それはもう想像を絶する痛みです。ひたすら下半身を殴られ続けるような痛みだそうですよ、体験したことはないですが。


 端的には、罪を犯せば苦しむのです。単純でしょう?


 ですが、あなた方にはあまり関係がないかも知れませんね。何故って、あなたは罪を犯さないでしょう? 犯すのですか? 犯さないでしょう。


 しかし、あなたにも関係のある「罪」があります。これは多くの人間が、もしかしたらあなたも罪人になっているかも知れません。


 それは、「死ね」と言ってしまうことです。「殺す」、なども同様です。所謂悪口と呼ばれる類いのものは概ね罪としていますが、とりわけ死を連想させるものを特筆すべきと考えます。


 多くの場合、それをいくら表現しようと罪にはならない。冗談で言うことが大半だからです。


 ですが、私はその冗談をも罪としてカウントさせて頂きます。


 他人の死を冗談でも言ってしまうなど言語道断ですよ。


 一回につき、十秒。


 他人の命を蔑ろにするような発言をする度、十秒、死に際に苦しみを与えるのが私なのです。


 どのような苦しみか。


 単純です。溺れるのですよ。呼吸が出来ないのです。


 結構な苦痛ですよね。しかも死に際です。


 想像してください。一分だって我慢することが出来ないあの苦しみが、延々と続く恐怖を。


 死ね。殺す。一回につき、十秒です。


 勿論、それらは累積ですので、六回で一分。六十回で一時間。


 実際の人の死など一瞬であることもありますが、体感でそれだけは与えられますので、その点は確実に苦しむことになります。我ながら恐ろしいルールを作ってしまいました。


 さて、ではここで、とある男性を見てみましょう。


 小さなアパートの二階に住む彼の名は、田中宏樹、二八歳。日本人ですね。私は下位の死神なので、日本国内の人間のみを担当しているのです。


 彼の寿命はとある死神によって二九歳で終えることになっていました。


 彼の誕生日は明日です。今はもう夜ですので、ああなんて悲しいのでしょうか、あと数分で彼は命を落としてしまう。決められたことです。覆せません。


 ですが、田中宏樹はとても温厚な人間として知られていました。間違っても「死ね」などと、それはもう冗談でも口にしないような男性と評されているのです。職場では「彼ほど腰の低い人は見たことがない」と囁かれるほどですから、よっぽどなのでしょう。


 畳に敷かれた布団の上で、田中宏樹は眠りにつこうとしているようですが、何故だか眠れないでいます。夜勤続きで身体は疲弊しきっているのですが、どうしたことでしょうか。


 それは、彼の寿命が尽きつつあることの証左でした。


 寝付きが悪いのではないのです。死を間近に、心臓が眠ることを良しとしないのです。もうすぐ永遠の眠りが待っていますから、眠っている場合ではないと判断したのでしょう。


「ちっ」と舌打ちをした田中宏樹は、スマートフォンを手にして何かを見始めました。どうやら動画を見ているようです。最近の若者は眠れない時、よくこういった行動を取っているようですね。日頃の行いで寿命を増減させる死神だったら、こういった行いは間違いなく寿命を縮めます。気をつけた方がいいですね。


 ですが田中宏樹には関係がありません。もうすぐ死にますから。あとはどれだけ苦しむかだけです。


 とは言え、彼は「死ね」とは決して口にしない男です。きっと大丈夫でしょう。


 残り一分を切りました。


 彼は誕生日を迎えた瞬間に異変を感じるでしょう。悲しいかな人生の終焉を迎えます。


 いい加減私も慣れてきましたが、しかし人の死を見るのは心地の良いものではありません。ですが仕方ないのです。人は必ず死に、我々はその命を頂くのですから。


 枕元に置かれた時計の秒針が、着実に「12」に向かって動いています。


 せめて苦しむことなく、逝けると良いですね。


 田中宏樹の命のカウントダウンです。


 お子様がこんなにも早く旅立つとは、ご両親にしてみれば辛い話です。ご友人も悲しむでしょうね。まあ、幾らか経てば過去になります。心配には及びません。


 三、二、一。


 はい、時間です。ハッピーバースデーを迎えました。おめでとうございます。


 直後、田中宏樹の心臓が痛み始めました。どうやら心不全のようです。


 もがいています。呻き声が大きい。


 確か正確には、誕生日を迎えて一分後に絶命、だった筈ですから、心不全の中でも救いのない部類です。まあ寿命は決められてますから、救いもなにもあったもんじゃないですが。



 ……あれれ、おかしいですね。


 彼、相当苦しんでいるようですよ。


 彼は間違っても「死ね」と口にしない男です。それに、目に見える罪を犯すような人間でもなかった。何故こうも苦しんでいるのでしょうか。不思議です。


 例え心不全でも、苦しむだけの罪がなければ痛みもなく逝けるはず。


 しかし現に田中宏樹は布団の上でのたうち回っています。声にもならない声が室内で響き、階下には住人もいるというのに床を叩いている。助けてとも叫べないのでしょう。可哀想に、ひたすら苦痛に喉を鳴らすことしか出来ないのです。


 おかしいじゃないか! と、そうお思いですか?


 実を言えば、私にしてみれば何もおかしなことはないのです。


 彼は冗談でも死ねなどと口にする人間ではなかった。


 確かにそうだったのです。


 が。


 残念ながら今の時代、死ねと表現することはあまりにも容易になってしまいました。


 彼は、ネット上にそのような書き込みを何度もしていたのです。


 死ね。

 しね。

 氏ね。


 類する表現、数えること、三八二〇回。


 一回につき十秒の苦しみが与えられますので、なんと彼はこれから十時間もこの苦しみに苛まれることになるのです。


 随分と数を稼ぎましたね。死ね死ね死ね、と連投した経験が幾度もあることが徒となったようです。たった二文字の入力で一カウント。ご愁傷様です。


 さて、彼は実際の時間では既に絶命しています。


 もう心臓は止まりました。まだ筋肉は動いていますが。


 しかし先述した通り、苦しむ時間は体感です。彼は十時間苦しむのと同じ体感をするのです。彼にとって死に向かうまでの一分は、体感では十時間。なんと途方もない時間でしょうか、想像したくもありませんね。


 可哀想に。可哀想に。


 私は下位の死神ですので、彼に同情することは出来ても、彼を救うことは出来ません。


 改めて思うのです。


 自業自得、という言葉の、なんと重いことかと。


 他人を貶めるような行為は、いずれ何らかの形で跳ね返ってくるものです。それが生きている内に起こる悲劇かと想像すると、それは違うかも知れません。死ぬとき、あなたが最も安らかでありたいその瞬間に、あなたの人生に於いて最も苦しい時間が、罰として返ってくるのです。


 私は、安らかに死にたいです。あなたもそうでしょう。


 であるならば、罪は犯さぬことです。


 自分だけが良ければそれで良いなど、間違っても思わない方が良い。


 私は死神。


 あなたは人間。


 私は命を刈り取ります。


 あなたは、誰かを傷つけることしか出来ない生き物なのですか? 人間は、そういう生き物なのですか?


 私はそうは思いません。


 相手を思いやることが出来る生き物のことを人間という、と死神の学校では教わるのですが、違うのですか?



 ――おっと。


 あそこにも一人、今にも死のうとしている人間がいました。


 あらら、彼女は自殺ですね。


 これまた可哀想に。


 人生に疲れたから死のうとしているのに、ああ、なんて可哀想な子だ。


 彼女はこれから、三時間強も苦しむことになる。


 死など選ばなければ良かったと後悔することでしょう。死で楽になれるのは、途方もない苦しみの後なのです。……まあ、自殺などしなくても、彼女は死神により決定された命の期限に従って、今日死ぬことは決まっているのですがね。


 とは言え、可哀想に。


 端から罪など犯さなければその苦しみからは逃れられたものを。


 他人の死など軽々に表現してはいけないのです。


 お天道様、もとい、我々死神が、あなたの毎日を、じーっと、見ているのですよ。


 優しいあなたでいることです。


 自らを、隣にいる誰かを、顔の見えない誰かさえをも心から思いやる人間でいることしか、罰を避ける術はないのです。……とても難しいですよね。お察しします。


 あなたは是非とも素敵な死をお迎えください。


 死神ショウバより、人間の皆様にご忠告申し上げました。


 まあ……あと二時間で変わるとも思えませんけど――。

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