それは、私のための物語

@DomusAurea

第1話 図書室の中の私、恋を知らず

『恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。』


 とにかく貸し出されたのだろう、表紙が汚れに汚れた名作、『人間失格』の始まりを、ゆっくりと、ゆっくりと黙読する。

 夏休みだから人は少ないにせよ、「図書室では喋らない」というルールは守らないといけない。自分が嫌がることは自分でするな、これが私の基本原則だ。


 ミンミンミーンと蝉が鳴き続ける。一番窓際だからか、全く協調性のないオーケストラが絶え間なく聞こえてくる。

 彼らはいつもいつも同じ音を出している。メンバーが入れ替わろうとも、公演を続けるたびに同志の数が減ろうとも、その音がやむことは無い。

 それこそ何年、何十年と世代を交代しながら短いながらに「個性」を出して、地へ落ちる。

 

 それは彼らにとっての生きた証になるのだろう。その場所で音を出した、ただそれだけでありながらその価値はあまりに高すぎる。


 そんな彼らを見て、いつもいいなぁ、と思ってしまうのが私だ。


 人は何かをなす為に生まれてきた存在である。それはどの人間にも一番下の土台にどの程度であれ張り付いている言葉だ。

 その言葉の通り、必要とされている人ももちろんいるだろう。何の迷いもなく、ひたすら誠実に前へ向かって走り続ける。

 

 あぁ、そんな人になれたらなんて素敵だろうか。そんな人の終わりは、昔話のように「めでたし、めでたし」と大団円で終わるのだ。


 でも、私は違う。


 いつかは分からないが、気付いてしまったのだ。私は多分、必要じゃない存在なんだと。

 そう思うと、今までやってきたことが全て崩れていくように感じられた。

 

 私は昔から小説家になりたかった。絵本でもいい、脚本でもいい、小説でもいい。見知らぬ誰かに自分の思いを共感してもらえるのって、すごくいいなと思ったから。

 でも、私は必要ではないと思った瞬間、いともたやすく理想は壊れ、現実へ戻ってしまった。

 

 私と歳が同じなのに社会に出て輝いている人はたくさんいる。彼らは持って生まれた才能という原石を努力という名のやすりでピカピカに磨いてできた宝石。

 

 こんな道に落ちているような石ころはダイヤモンドになれもしないし、そもそもそれと同じように考えることがそもそも間違っている。

 

 ここまでくれば道は無いに等しい。折れた茎を支えたところで、折れている茎をもとに戻すことなんてできない。

 まだ努力もしていない私がこう思ったとき、最初から夢なんてなかったんだ、と思った。


 だから蝉はいいなぁと思う。彼らは最初から必要とされて生まれてきたのだ。夏という季節に。人間に。迷いもなく彼らは、音を残せばいい。たったそれだけで地球に跡を残せる。

 人間もこうだったらよかったのに……そう思いながら、私は本を読み続ける。理由は無いが意味はある。

 私にとってはこれが唯一の娯楽だから。


*************************************


 一時間、二時間と時間がどんどん過ぎていくが、本は読み終わらない。


 とにかく話が難解な上に知らない単語がどんどん出てくる。そういうのはそのとき調べておかないと気が済まないので、本を読みながら辞書で言葉を調べてみたり、解説書を探してみたり。


 そう。これだから夏休みはいい。人がきれいにいないので、ほぼ図書室を貸し切りにしているみたい。だからこそ静か。本を読むには最適な状態で一日を過ごすことが――


「おい、お前昼飯何にする!?」


「俺!? もちろんカツカレーに決まってるだろ!」


「やめなよ……人いるよ……?」


 ……うげー、一番来てほしくないタイプの人がやってきちゃった。

 仕方がないので本に顔を近づけて見えていないことをアピールしつつ、本の上からじーっと観察する。


 まぁ何というか、ドラマとかマンガでよくありそうな三人組だった。


 一番最初に昼ごはんを聞いた奴とそれに答えた野郎はサッカーとかスポーツをしてそう。典型的なスポーツ少年といったところだろうか。

 すると部活で一緒?なんて疑問もでてくるが、それにしては最後のおどおどしている少年がスポーツに向いていないイメージがある。うーむ、気になる。


 そうやってちらちら、いやもう視線が完全にその三人組の方へ向いていると、あのカツカレーと目が合ってしまった。


「おい、そこのお前! 何俺たちのことじろじろ見てんだよ!」


 やばい。今まで平穏な時を過ごしていたのにどうして急に標的にされなきゃいけないんだ!そう焦っているとそいつはどしどしうるさい音を立てながら、私の方へ歩いてきた。やばい。やばい。やばい……!


「おい、見て見ぬふりをするなこのや……」


 あ、死ぬかもしれない。そう思うほどに彼は近づき、胸ぐらをつかもうと――


「ねぇ……いっかい落ち着こうよ……図書室で騒いでるこっちも悪いんだから……」


 危機一髪。あのおどおどしていた少年が間に入り、何か起こる前に手を広げてその荒事を阻止してくれていた。


「……ちっ。おいちび! 後で覚悟しとけよ」


 そういうと彼はもと来た道を戻っていった。どんどんと、怒りを感じるくらいの音を出しながら。


「怖かったぁ。ねぇ、後でって言ってたけど……大丈夫なの?」


 助けてもらったのに知らんぷりはさすがにまずいので、ちょっと気になったことを聞いてみる。

 ひと悶着終わった後ゆっくりと崩れ落ちたちびと呼ばれていた子は、振り向いて乾いた笑みを浮かべながら口を開いた。


「うん……もう慣れてるし。ありがとう心配してくれて」


 そう答えると彼はあの二人組へとついていった……と思ったらくるりと回って戻ってきた。


「どうしたの?」


「いや……別に深い用事ではないんだけど……ここにある本今から?」


「うん……全部読む予定だけど、それが?」


「すごくいいなぁと思って。いい趣味してると思うよ……じゃあね」


・・・・・・へ?今褒められたの?私が?ただ読んでるだけなのに?


 一瞬のうちにいろんなことが起こりすぎてよくわからなかった。それが今の心境。

 

 しかし、何故かものすごくバクバク音を鳴らす心臓を手で押さえながら、あのちびの少年の背中を見えなくなるまで見続けていたのであった。




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