第2話

(いつの間にこんな場所までやって来たんだろう……)


 空が遠く感じる。


 昼間なのに異様に薄暗いその場所は、赤みを帯びたレンガ屋根の建物が密集し迷路のようになっている。

 否応無く連れてこられたのはこれまで奏多が見たことのない街並みだった。

 赤い砂岩の外壁がひときわ目立つあざやかな外壁。その間を縫って、さらに暗い路地へと入って行く。

 見知らぬ少年に連れられて抵抗せずにここまでやって来たが、奏多はここでようやく自分が何かややこしいモノに巻き込まれていることを悟った。

 よく分からないが、マズイことだけは確かだ。それだけは断言出来る。というか——そもそもここは日本なのだろうか。

 そう疑問に思うほどに異国めいた酷く狭い道をひたすら歩かされ、少年と奏多は、とある薄暗い路地に面した木の扉をくぐった。


「——ただいま」


 少年がそう言うやいなや、部屋の奥から間髪入れずにどデカイ声が飛んで来た。


「どうだ! 見つかっただろトーマ!」


 少年はその声に応えることも、立ち止まることもなく、ただ一直線に部屋の奥を目指して歩いて行く——ソファの上で満足げな笑みを浮かべている男の頭を無言で叩く。


「っ痛ぇ〜〜〜!」


 涙目になった男を見下す格好で、少年はソファの前で仁王立ちになると、


「何が『見つかっただろ』だ。もう、最悪だ!」

「一体どうしたんだよ……。ん? オイ、その子は……!」


 浅黒い肌に少し伸びた後ろ髪をチョンと短く束ねた男が、奏多に気がつく。


「あ、えっと……私は……」


 言い終わらないうちに少年が大きな溜め息をつき、不機嫌そうな表情を浮かべながら立て続けにこう言い放った。


「ホンット最悪だ! 魔女の思うがままだ! オレたち……アイツの手のひらで踊らされてんだ!」


《魔女》


 確かに、さっきもそう言っていた。


「……その名を口に出していいのかな」


 男がやや低いトーンで少年に返す。

 瞬間、少年の瞳孔が開いた。

 先ほどまで強気だった少年は首を垂れると一歩引き下がった。


「……いや……ごめん……。今後、気をつける」

「ウンウン! 素直なトーマが俺は好きだな!」


 それから、蚊帳の外になっている奏多に対してその男は笑顔で「俺はクロイ」と名乗った。


「クロイさん、ですか。あ、えっと、私は奏多です」

「カナタちゃん。改めてよろしくね。……で…………何があったの?」


 それだ。


「それが……あの。あの、私もイマイチよく分かってないんですけど……」


 困惑した表情を浮かべながら、隣りの少年を見る。


「えっと、この子に、勝手に、連れてこられたんです」

「……。あらら〜……」

「あの、突然のことでびっくりしちゃって……ごめんなさい。よく、分かってないです、私」

「いやいや。謝るのはこっちの方だよ。本当に、びっくりしたよね。ウチのトーマがゴメンね」

「……誰がお前のトーマだ」


 トーマの機嫌はしばらく直りそうもない。


「そうだなあ……」


 困惑しているのは奏多だけでは無かった。

 クロイもまた、タンクトップから伸びた頑丈そうな腕を胸の前で組んで、ウンウン唸っていた。


 そうして、しばらくした後、


「そうだ。カナタちゃん、ちょっと待っててね。あ、そこのソファに座っといて、自由にしてていいからね。で、トーマは俺についてきて欲しいな〜」


 そう言って、二人は奥の部屋に篭ってしまった。

 自由にしてていい。とは言われたものの、知らない人の自宅を好き勝手するのは、奏多の良心がはばかられた。

 とりあえず、指されたソファの端に座った。

 真ん中に座らなかったのは、そこに——食事の時にこぼしたのであろう——大きなシミがあったからだ。

 部屋の中は、雑多な感じであった。

 壁一面に棚が据えられており、本やら書類の一部が引き出しから飛び出していた。


(もう少しキチンと整理したらいいのに——)


 部屋の中を見渡しながら、奏多はそんな感想を抱いた。

 奏多の足元には食べかけのパンが生身のまま転がっていた。

 この部屋の主はとても大雑把な性格らしい。

 否——良く言えば、大らかな性格と言えよう。


「…………。う゛」


 えづいてしまった。

 とにかく、二人が戻ってきたらすぐに自宅に帰ろう。

 早く帰りたい。

 ……とは言え、身体は小学生に逆戻りしてしまったのだから、どうしたもんか……。


 悶々としているところへ二人が戻ってきた。

 クロイの両の手には二つのグラスがそれぞれ握られていた。

 思わず「洗ってますか? ソレ」と言いそうになって、奏多は慌てて口を塞いだ。



「歓迎の乾杯だよ」


 クロイは人懐っこい笑みを浮かべて、奏多にグラスを手渡した。

 その後ろでトーマが口を一文字に結んで立っていた。手にはグラスを持っている。


 奏多は赤い液体が注がれたそれを手渡された時から、妙な胸騒ぎを感じていた。


 とは言え、歓迎してもらっているのだ。

 見知らぬ人たちとはいえ、強い拒否反応を示すのも何か違うと思ってしまった。


「あ、ありがとうございます」


 得体の知れない液体に、口をつける。

 トーマと目が合った。

 今度はクロイと。


 執拗に二人の視線を感じる。


 あっ……と思った時には、すでにグラスの中身を飲み干した後だった。


 謀られた。


 薬が混ざっていたのだろう。

 急激な眩暈。


 睡魔が、奏多を襲った。


 混濁する意識。



 奏多は、そのまま深い眠りに落ちていった。

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