少年と花の呪い

中山絵毬@はじめまして

第1話

躊躇ためらうな」


 その言葉は、なによりも奏多かなたを勇気づけた。


 だから大好きな家族のもとを離れて女子大生として約四年の寮生活が送ることが出来たし、来春には晴れて社会人として都内で働くことが決まっていた。


 ただ、その言葉が誰にかけてもらったものだったのか、奏多は忘れてしまっていた。

 それでも、その言葉はまるで喉の奥に針が食い込んだように奏多の心にしっかりと根を張っていた。

 心の中に住み着いている、といった表現の方が近いかもしれない。


 夏休みに入って奏多は久しぶりに両親のもとへ帰省していた。

 物心ついた時から過ごした町は大学の四年間しか離れていなかったとはいえ、懐かしい匂いがした。

 家族と久しぶりに囲む食卓も、寝る前に思わず涙が滲んでしまうほど愛おしく感じた。


 次の日。


 奏多はひとり、ある思い出の場所を目指していた。

 小学生の頃、通いつめていた雑貨店だ。

 その当時真っ赤なランドセルを揺らし、緑の塗装がげた観音開きの扉を開けて薄暗い店内をひとりで歩き回る——そこはなんだかで、ドキドキしたのを昨日のことのように思い出す。


(もう十年ぶり……に、なるのか……)


 あの優しかった店主さんは元気だろうか。

 会ったら、何を話そうか。



 ——あれから本当に、色々あった。


(まずは、来年から無事に社会人になります、って報告からかな)


 もう少しで辿り着く。


 シャワシャワとクマゼミの鳴き声を浴びながら大量の汗を流して、歩く。


 雑貨店はちょうど、自宅と地元の小学校の中間地点に位置していたはずだ。


「お店のお爺さん、元気かな……」


 奏多は、自然と駆け出していた。


 店があるはずの場所まであと少し——そこで、奏多は、全てを悟った。


 入り口横にある綺麗な正方形の窓硝子はひび割れ、白い漆喰の壁は一面、蔦で覆われていた。

 一目でこの建物はもう長い間、人の手に触れられていないことが分かった。


 もしかすると、そうだろう——と。


 予想していなかった訳ではない。

 ただ、目の前の現実は奏多にとって受け入れがたいものではあった。


 すぐに立ち去る気にはなれず、その場に留まってまもなく十五分ほど経とうとしていた。


 蝉の合唱する声がいい加減鬱陶しく思えてきた頃、奏多はいきなり自分の腕を何者かに強く強く掴まれた。


 それは路地裏からヌウッと伸びて——



「…………えっ?」


 不意をつかれた奏多が反応出来たのは、その一文字だけ。


 そのまま彼女は、薄暗い路地裏に連れ込まれた。


 さっきまで直射日光にさらされ火照ほてった身体は、冷や汗で一気にクールダウンしていた。

 いまだに自身の状況が把握出来ていない奏多は、つかまれた腕を振り払うことも出来ずに両目を左右に揺らし、ただただ動揺するしかなかった。


「オイ、捜したんだぞっ!」


 目の前の人物にそう言われ、彼女はようやく強く掴まれた腕を振りほどいて、目の前の人物を凝視した。


 あれだけ強い力で引っ掴まれたので、どんな野郎だと思ったのだが、奏多の眼前には、前髪まで綺麗に切り揃えたおかっぱ頭の見知らぬ少女——に見紛うほどの、がいた。

 線の細い身体つきから、先程の腕っぷしの強さは微塵も想像出来なかった。


 しかし相手が少年だと分かると、奏多に少し余裕が生まれた。少なくとも身体の震えは止まっていた。


「……ね、ねえ。私を誰かと勘違いしてない?」


 まるで迷子の子どもをあやすような物言いになってしまった。途端に相手が不機嫌そうに顔をしかめた。

 子ども扱いされたくない微妙なお年頃なのだろう。


 私にもそんな時代があったなあ、などと、悠長なことを考えていた時だった。

 目の前が、いきなりチカチカと点滅し始めた。


 白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒シロクロシロクロクロシロシロクロシロクロクロシロシロクロシロクロクロシロシロクロシロクロクロシロクロシロシロクロシロクロクロシロシロクロクロシロシロクロシロクロクロシロシロクロ……



 ハッ——と意識を取り戻した時には、不機嫌そうな顔をした少年がこちらを見下みくだすような体勢で、ぬっ、と、仁王におう立ちしていた。

 奏多は横になった身体を起こそうとして——そこで、に気がついた。


 確かに——


 最初は何かの間違いだと思った。

 気のせいだと思った。


 まさか人間の身体がそう簡単に伸び縮みするわけがない。そんな非現実なことが、起こっていいわけがない。

 しかし、し、なにより無視出来ないのは、そのだった。


 近所にフラッと散歩に出かけるだけだからと、ラフなTシャツとジーンズで出てきたはず。

 なのに今、彼女が身にまとっているのは、小学四年生の時お気に入りで、どこかお出かけに行こうと言われると必ず着用していたタータンチェックのワンピースだった。


 本当に大のお気に入りだったのだが、高学年になって背丈が急激に伸びたため、泣く泣く知り合いの女の子に譲ったはずの洋服——だった、のだが。


「な、なんで……? ってか、一体何が……!?」

「へぃ?」


 突然の問いに、思わず間の抜けた声で反応してしまった。


「何? か、かがみ?」

だよ。

「な、なんのこと?」

「嘘だろっ……!」


 それはこっちのセリフだ。


「あの、そもそも、本当に人違いじゃないんですか?」


 それよりも、もっと大変なことが起こっているのだ。この身に!


 ——私は二十二歳の健全な成人女性なんです! なんで、体が縮んでるの……!?


「……め……」


 少年は確かにそうつぶやいた。


「はい? マ、ジョ……まじょって……?」

「いいから来い」


 まただ。


 少年は奏多の言葉など一切聞き入れず、痛いほどの力で奏多の右腕を掴むとそのままズンズンと歩き始めた。

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