第23話出会いは嬉々として、悪魔が囁くように

 翌朝、満貴は中区に建つビルの中を独り歩いていた。

無人の社屋に、満貴の足音だけが響く。既に通勤時間ながら、表の歩道を行くに人の姿はない…人間はいないと言うべきか。

ゾンビと化した海塚市民が、疎らに歩いている。ひょっとしたら街の探索に出た自衛隊を見られるだろうか、自治体が出動を要請したとニュースで見た。


 2階まで階段で昇り、オフィスの一つに入る。

窓に近づき、無人の街を見下ろす。悪くない。煩わしい雑踏のない静謐な景色は、満貴の心を大いに慰めた。

迂遠なゲーム運営の果てにこの景色があるなら、続けた甲斐があったというものだ。


 しかし、愉快であったのもその日まで。

翌日には既に飽きが来ていた。豊島区を壊滅させたアバドン部隊を引っ込めると、早くも事態は沈静化の兆しを見せ始める。

ゾンビたちは熱海署のコアを潰さない限り生産されるとはいえ、一定数を超えることは無い。そもそも、武装した機動隊を潜り抜ける程の戦力は無いのだ。

ゲームから脱落したプレイヤー数にも、殆ど変化はなかった。


(意外とみんないい子ちゃんつーか、人目を気にするのかねぇ?)


 もっと大騒ぎになってくれなければ、楽しくないじゃないか。


(世界大戦まで行ったらチョー受けるかと思ったんだけど……俺、黒幕と無理なのかな)


 憂いを抱えたまま、満貴はオフィスから姿を消した。



 山梨県に近い西多摩郡の山奥に、粗雑なあばら家が密集して建っていた。

辛うじて屋根が葺いてあるものの、木を組んだだけの外壁には染みだらけ。ベニヤ合板で建てたものは、比較的新しく出来た家だ。

100年は時代を遡ったようなこの場所に人が住んでいると、一目で看破できる者はいないだろう。「山神の座」自然回帰を謳い、反マスコミを掲げる宗教集団である。

教祖含めた信者は、この辺りを無断で切り開き、田畑を耕し、時には山野を行く動物を弓矢で狩ってその日を暮らす。


 海塚封鎖から数日後、彼らを発見した満貴は品の無い笑みを浮かべた。

調べれば調べるほど愉快だ。彼自身は無宗教だが、唆す相手としてはこれ以上の相手はいないだろう。

幸いと言うべきか、ここ以外に土地を持っていない。僅か20名ほどの極小組織。簡単に入り込めそうだ。

早速、満貴は教祖である鳶尾永光(とびおえいこう)にインキュバスを通じて語り掛ける。


《トビオエイコウ、トビオエイコウ…私の声が聞こえていますか》


 世界の終末が迫っています。

利便と物欲により荒廃した人類に、まもなく裁きが下されるでしょう。

よき人、エイコウ。あなたは清廉なる人を集め、裁きが逃れなさい。貴方に杖と杯を与えましょう。

この杯は傷ついた身体を癒し、この杖は鞭打たれる貧しき人を勇者に変える。


 満貴は永光の質問には一切答えず、話を一方的に打ち切った。不審に思われたかもしれないが、ボロを出すよりいいだろう。

彼が自室のベッドに乗せていた尻を持ち上げ、凝りを解すように伸びをした。台所から出てきた楓が声を掛けてくる。彼女は料理が乗った皿を持ってくる所だった。


「今日機嫌イイね、ミッチ。なにかあった?」

「えぇ…楓が可愛いからさww」


 満貴は愉快気に笑いながら、楓と共に食事をとった。

山神の座の動向次第だが、明日からは忙しくなるだろう。億劫でしかなかったが以前の生活だが、こうして解き放たれてみると驚くほどやる事がない。


「おぉ、神よ!ついに私の祈りを聞き届けたか!!」


 同じ頃、永光は跳ねるように起きた。

彼は狂人だ。一切の神通力を持っていない癖に、自分を神――これは既存の宗教・神話に存在しない神――の代行だと信じ切っている。

神の名を借りねば、自分の価値観に従う事すらできない小さい男。自分より偉大なものが命じてくれる日を、彼は今まで待っていた。

煎餅布団の隣に置かれている、翡翠で飾られた白金の杯と一個の銀塊から削り出したような六角杖を見て、永光の狂気はますます深まった。


 次の日の朝、祈りと黙想に入ろうとしていた住人達を集めて永光は言った。

彼は夜、跳ね起きてから一睡もする事なく朝を迎えたが、気力は普段以上に漲っていた。


「皆さん、昨夜私の夢枕に神が現れた。私が受けた聖なる使命について、皆さんにもぜひ知っておいて欲しい!」


 語った内容は抽象的なものだったが、信者たちは深く感じ入り、涙を流すものさえいた。

杯の力により、人の関心を引くカリスマのようなものが備わったのだ。

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