第2話第一の遭遇者

(人!)


 悲鳴の聞こえた方に駆けだす。

再び声がした時、身体がふわりと浮かび上がったように感じた。

満貴の脚力が上昇して、5秒弱。満貴は怪物に襲われている一人の女の元に駆けつける事が出来た。


 グレーのビジネススーツに身を包んでいる20代前半の女だ。

髪をボブカットにしており、やや垂れ気味な目元は子犬のように優しい。

手も足も長く、やせ型だが、華奢ではなく程よく筋肉のついたアスリート体型。しかし、乳房は服の上からでも存在感がある。

引き攣った顔の彼女に、宙を舞う男の首が迫る。耳が蝙蝠の羽根のようになっており、それで空を飛んでいるのだ。


 満貴は無我夢中で地面を蹴り、飛ぶ首に体当たりを浴びせた。

見かけはチョンチョン――飛頭蛮のようだが、正確な事は分からない。とにかく殴る。

ステッキを振り上げ、首に打ち下ろす。その腕に不可視の力が乗り、チョンチョンの頭部をスイカ割りのように砕いた。


 満貴が顔を向けると、女は息を吸って後じさった。

今しがたの満貴の姿が暴力的で、手にするステッキには血が付着している。窮地を救われた感謝より先に、野蛮な闖入者への怯えが生じた。

壁に背中をつけ、これ以上離れられないと悟ると右手に走り出す。その肩を掴むと、力強く引っ張られた。


「は……嫌…!嫌ァ!!」

「待ってください!ここは危ないから!」


女は頑強に抵抗する。

掴む手を叩き、膝に蹴りを浴びせてきた。体重が乗っていないとはいえ、痛い事は痛い。


「化け物じゃないから!何もしないから!」


 一緒に来て下さい、という前に女の瞳に光が戻る。

抵抗が緩んだと見て、満貴は慎重に指を離した。女のその表情は、目の前の人物が怪物ではないと初めて気づいたようだ。

人間と理解してなお、顔には恐怖がこびりついているが、それを晴らす手段は満貴

にはない。満貴は女を連れて、通路内に生じた自宅への扉前に戻った。


「ここ…は」

「俺の家。朝、出勤しようとしたら、こうなってて」

「え…?」


 女を家に上げ、冷蔵庫から麦茶を出した。

ローテーブルの側に腰を下ろし、満貴はこの場所に来てからの経緯を話す。

女の名前は佐々石楓(ささいしかえで)。現代文担当の教育実習生で、学校に向かっている所、突如この場に入り込んでしまったらしい。


「あの…どうやって帰れば」

「いや、あ…わからないです。探してるところで……」


 楓は泣きそうな顔を伏せる。

放っておきたかったが、死ぬ事を承知であの通路に送り出す事は出来ない。


「力になれなくてすいません。あの、スマホ持ってますか」

「…スマホ?」

「えぇと、外に連絡取れないかと」


 楓は縋るような手つきで取り出し、しばし指を動かす。


「圏外です……」


 楓はぼそりと呟き、また黙り込んだ。

落ち着くまでそっとしておいた方がいいか、と満貴はバルコニーに目をやる。

外はまだ明るく、せいぜい正午を回った辺りだろう。


「台所の方にいますんで、何かあったら呼んでください。後、バルコニーからは出ないで、危ないから」

「…はぁ」


 佳大は本棚から文庫本を一冊取り、台所に回る。

気の利いた言葉は思いつかないが、楓を独りにして出発するのも気が引けた。

半ば勢いで連れてきてしまったが、彼女はこれからどうするだろう。もしここにいるというなら、寝る場所を考えなければなるまい。

見知らぬ若い男と一つ屋根の下…さぞストレスが溜まるはずだ。


(いや、けどなぁ…)


 出ていけとは言わないが、こちらも出ていく気はない。

楓の身の上はほとんど知らないが、自分と同じように家ごとこの場所に迷い込んだのでは無さそう―だ。

そのあたりは後で確かめるとして、今日は楓の様子を見よう。


 楓は陰鬱な気分で、桐野宅で一夜を明かした。

主人の満貴は気を遣ってキッチンに布団を敷いていたが、仕切りすらないのだ――夜這いを掛けようと思えば掛けられる。

自分が男性からどのように見られるか、楓も把握している。

どうしようもないんだろう、しかし気は進まない。諦めて掛け布団を被り、満貴が使っていたベッドで眠りにつく。


 この日は早く目が覚める。

身体を確かめているが、着衣に乱れはない。楓が目を覚ました時、満貴はまだ寝ていた。

黙考し、本棚の文庫本を取り出して読み出す。並んでいたのは呼んだことの無いタイトルばかり、ジャンルはホラー・ミステリーに偏っている。

読書を始めて5分ほど経ち、満貴はのっそりと起き出した。


「…お早うございます」

「……お早う。まだ5時?人間の起きる時間じゃないって」

「そう…ですね」


 満貴は冷蔵庫から適当に食材を選び、朝食を作る。


「桐野さんて、料理できるんですね」

「うん。興味があって、なるたけ自炊してたから…食料見つかるかなぁ」


 満貴は嘆息する。

怪物以前に、食料が得られなければ、それだけで死ねるのだ。


「あの…私も、一緒に……」

「大丈夫?気持ちは嬉しいけど無理はしないで」


 満貴は楓の答えを待つ。


「大丈夫です。行きますから…」

「ありがとう」


 2人は一緒にダンジョンに出た。

昨日と同じように右に進み、扉が並んでいる区画に出る。

他にも通路に向かって店を開いている、薬局らしいスペースも見つけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る