第938話 苦いチョコ(1)噂
今年の、バレンタインデーが終わった。
「今年のチョコレートも上手にできてたなあ」
「優維と千穂ちゃんのお手製のチョコレートが食べられるなんて、本当に感慨深いよう」
直がしみじみと言う。
「優維ちゃんも春からは小学校だしな。早いもんだ」
兄がそう言って、小さく笑った。
今日は会議があったので兄も警視庁に来ており、昼食を一緒に摂っていたのだ。
「それにしても、日本中で、チョコレートを巡る悲喜こもごもがあったんだろうな」
兄が少し遠い目をして言い、僕と直も、苦笑した。
「何せ、死んでもバレンタインに『無念』とか言って出て来る霊がいるもんな」
「あれは、悲しいねえ」
そんな雑談をかわしながら食事をしていると、隣のテーブルについたグループの噂話が耳に入った。
「広報の子でしょう、佐川さんって。元何とかってアイドルグループの1人で、引退して警察官になったって子」
「そうそう。歌はヘタで、顔はそこそこで、たいがい端っこにいた子」
辛辣である。まあ、大抵の場合女子は女子に対して辛辣である。
「不倫って、マジ?相手は?」
「それが、キャリアらしいのよ。今月誕生日で、人事部の」
僕と直と兄は、緊張した。
芸能人などが不倫騒動を起こして叩かれたりするが、警察はそんなものでは済まない。監察対象となり、辞めなければならなくなるのだ。
「でも、間違ってメールを送るって、ドジよねえ」
「バレンタインチョコも人事には配りまくってたみたいよ。その彼がいるのと、どこかいいところに配属してもらうためじゃないの?」
「よくやるわね」
彼女達は笑って、別の話題に変わって行った。
僕達は声を潜め、額を寄せた。
「人事のキャリアで今月誕生日ってわかるか、直君」
「2人該当するねえ。片方は三宅勇人。ボク達の1期上だよう。人事第二課試験第二係。去年上司のお嬢さんと見合いをして、婚約中だねえ。
もう1人は、人事第一課庶務係の、城北真留だよう」
「え。あの城北か?」
僕は念の為に訊き返した。
直は頷いた。
「そうだよう。同期の城北だねえ」
兄が訊く。
「どういうやつだ?」
それに、端的に答える。
「上に上り詰める事が目標の、融通の利かないお坊ちゃんだよな」
「トチ狂って不倫とか、あり得ないけどねえ」
「結婚も昇級の手段の一つくらいにしか思わないタイプだし」
「うん。あり得ないよねえ」
「そうか。
まあ、同期として何か監察に訊かれるかも知れん。その時は協力しろよ。変に庇ったりするな。いいな」
兄に言われ、僕達は素直に頷いた。
しかしこの噂が、大事件に発達する事になるのだった。
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