第567話 トラップ(2)どこにいますか

 官僚の結婚は、遅い。学生時代に結婚していた者はともかく、働き出したら、忙しすぎるのと出会いがなかなか無いのとで、晩婚傾向にあると言われている。

 問題の堺田課長も37歳、独身。美人が熱い目を向けて来るのに慣れておらず、ころりと騙されたようだ。

 日本の官僚はハニートラップに弱いと海外で言われているらしいが、残念ながら、反論は難しい。

「お見合いパーティーで会ったらしい。女は外資系の企業に勤めていると言ったそうだ」

 昼休みを待って陰陽課に来た豊川のために、うどんを炊いてレトルトごはんで焼きおにぎりを作って、昼ご飯にする。

「お前ら、いつもこんな飯食ってんの?」

「いや、これは夜食とか用。うどんはこの前出張で四国に行ったから、多めに買っておいた」

「ご飯も、非常用だねえ」

 徳川さんと、今日は出かけていない小牧さん、芦谷さんも一緒、6人だ。

「ちょっと聞いて来ましたよ。

 女は日本では加藤るみと名乗っていたけど、実際はお隣の工作員で、他にもこれまでリーファ、河田真紀子、リカ・宮田なんて名前で活動して来たらしいです。

 外事では目を付けてずっと張っていたらしいですね。加藤の仲間も日本に潜入して来てたから、外事ではS(スパイ)を潜入させてずっと動向を監視してたらしいんだけど、とうとう捕まえるって事になった矢先に、全員が姿を消して、Sだとバレて潜入者が殺されてたらしいですね」

 小牧さんが報告する。

「ああ。Sってバレて殺されたんじゃ、あっさり死なせてもらえなかっただろうなあ。こっちの情報を搾り取ろうと拷問されたり、見せしめに惨殺されるか」

 芦谷さんが恐ろしい事をさらりと言う。

「それで、堺田課長はどうなるんですか。謹慎、降格あたりで済むかな。まさか、退職なんて事には……」

 豊川が心配そうに言うと、徳川さんが考えながら言った。

「堺田さんは一期違いになるんだけど、堺田さんと外事の外川さんが最後まで残るんじゃないかって言われてて、ライバル心剥き出しでね。多分、外川さんはこれを好機と捉えて、徹底的に追い落とすよ」

 その途端、シーンとなる。

 口を開いたのは芦谷さんだ。

「キャリアはキャリアで大変なんですねえ」

「はあ。面倒臭い」

「その通りだよ」

 徳川さんが肩を竦めた。


 その、Sだったという人の遺体を視た。

 腫れあがった顔、抜き取られた歯、剥がされた爪、折られた手足。内臓も破裂しているそうだ。

「これは……苦しいなんてもんじゃないな」

 その凄惨さに、僕、直、豊川は胃の辺りが重くなった。

「結果から言うと、霊はいないな」

「現場かねえ。それとも、殺した相手かねえ」

「そうか……」

 遺体安置所から出て、僕達は、次の行動について考えた。

 どうがんばっても、逃げたスパイを見つけ出す事は難しい。ならば、どうだ?

「後を尾けてた外事課員は、どうかな。女がスパイとわかってて、堺田課長がハニートラップにかかっているとわかって放置していたわけだろう?」

 豊川が言う。確かに間違いではない。ないが……。

「どうだろうなあ。でも、他にないしなあ」

「一言注意していれば防げたかも知れないよねえ、確かに」

「痛み分けに持って行って、処分の軽減を図るか」

「気持ちだけで充分だよ」

 3人で相談していると、当の堺田課長が、外事課員に見張られながら来た。

「課長!」

「引っかかったという、間抜けな事実は変わらないさ。

 ただ、情報を漏洩させた覚えだけはないんだがね」

「だとしたら、漏洩元は別口。それこそ、殺されたあの人かも知れないですね」

「確かめようがないんだよねえ。この人の霊、どこかで誰かに憑いててくれないかねえ」

「そうだよなあ」

 僕と直の会話に、全員がギョッとしたように身を引く。

 え、何で?いたら、訊けるじゃないか。

「そ、それより課長、どうしてここに?」

「まあ、手を合わせておこうと思ってね。どんな人だったかも知らないし」

 堺田課長は言って、霊安室へと入って行った。

「現場にいないか視て来る」

「殺した相手に憑いて行ってない事を祈ってて欲しいねえ」

「ああ。頼むわ」

 僕と直が歩き出そうとした時、下りて来た男に目が釘付けになった。

 これといって特徴のない風体、薄い影。そして、恨めしそうな顔の霊が背後にピッタリと憑いて、顔を凝視するかのように覗き込んでいた。

「ああーっ!」

 ビクッと、全員が僕達を見た。

「いたねえ!」

 直も言って、僕と直2人で霊を指さし、ハモって言う。

「さっきの人!」

 霊はこちらを見て、ヒシッと両手をその男の首に回した。



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