第509話 カーマニア(4)その時、見ていた物は

 結理さんは憎々し気に車を見ている。

「ゆ、結理。どうして」

 英介は青い顔で問いかける。

「落ちながら、納車されたばかりのこの車が見えたわ。落ちて地面に叩きつけられた後も、ずっとこの車を見ていた。この車がなければ、あなたは欲しいなんて言い出さなかった。そして、ケンカせずに済んだから、私も殺されずに済んだでしょう」

 衝撃発言だったが、英介には別の部分が衝撃だったらしい。

「この車がどれだけ素晴らしいか!言っただろ?子供の頃から憧れてた、お爺さんの写真にあった車なんだぞ。もう世界に1台か2台しかない、貴重な車だ。しかもこんないい状態なんて、2度とない!

 まさか、事故を起こさせたのはお前か?何をしたかわかってるんだろうな!?」

「いや、岩宮さんこそ、何をしたか――」

「自分のした事はどう思ってるのよ」

「あの――」

「この車の価値もわからないなんて、なんて芸術オンチなバカ女だ!」

「もしもーし」

「何ですってぇ!?」

「……ダメだ。聞いてない」

 岩宮さん夫婦はケンカを始めてしまい、生者と霊の珍しい夫婦ゲンカに、交通課員は目を丸くし、強行犯と盗犯の皆はウンザリとした。

 益田さんですら、青い顔をしながらも呆れかえって眺めている。

「大体あなたは、車の事以外にはケチで」

「お前だって、似たような服を持ってるくせにまた欲しがって!」

「似たようなものは、似ているだけであって、別物なのよ!あなたこそ家ではダサい中年でしょ!」

「なんだとお!?」

「はい、ストーップ!!」

 黒井さんが声を張り上げ、夫婦は口を閉じた。

「……ゆっくりと話を聞かせてもらうから。場所を変えて」

「……直。これが結婚か?」

「怜……。まあ、こういう事も、あるかも、ねえ」

 畑田さんは優しい顔で僕と直の肩を叩き、無言で笑った……。


 車買いたさに結理さんに薬とアルコールを飲ませ、ベランダから抱え落とした事は、英介も結理さんも認めた。そして結理さんは車に憑りついて、英介がドライブに行くたびに、壊してやろうと、事故を狙っていたという。1年間の転勤がなければ、とうに死んでいたに違いない。

 そして空き巣の矢代が見たのは、「私は悪くないでしょ」と同意を得たくて見せたのだと言う。完全にその意図は伝わっていなかったが。

「幽霊でも、目の前でくだらない口ゲンカをしている分には怖くないもんだな」

 とは、益田さんの言葉である。

 証拠は無いかと探したら、フラフラの割にはすんなりとベランダの手すりに乗った事と、その日の昼間に手首を痛めて外科を受診しており、そんな手で手すりを乗り越えるのは難しいとの外科医の見解、それを踏まえての手すりの指紋の位置と向きから、どうにかできそうだった。

 桂さん達は面白くないんじゃないかと思ったが、引っかかりはあったから良かったと、サバサバしていた。当時は、手首を事件前に痛めていた事がわからなかったそうだ。

「しかし、いろんな動機があるもんだなあ」

 しみじみと僕は言った。

「そうだよねえ。車だよ?車……。

 千穂ちゃん、早い車を欲しがるんだろうねえ。その時はどうしようかねえ」

 直は顔色が優れない。

「それで殺人は無いにしても、ケンカはあるかもな」

「どうしようかねえ」

「積み立てをして、範囲内で買う事に決めておくとか?」

「積立金でもめたら?」

「……僕は直の味方だぞ」

「怜……」

 僕達は友情を確かめ合った。

「しかし、あれだな。趣味も、入れ込み過ぎると怖いな。ああ、面倒臭い」

 これにはどちらの係の者も、全員、嘆息して頷いた。




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