第392話 さかさびな(1)雛の出迎え
電車を降りると、まだ空気が冷たくはあったが、日差しは暖かな、春の兆しがあった。
「ここが雛温泉郷か」
物珍し気に辺りを見廻しながら、言った。
「雛人形で有名なんだよねえ、ここ」
直が、キョロキョロとホームを見回す。
「お雛さんかあ。あれ、飾るん大変そうやなあ」
「京都は男雛と女雛の位置が逆だとは聞いた事がありますけど、それ以外はあやふやですね」
「ケースに入った、セット済みのが便利ですよねえ」
「あはは。確かにね。場所も取るしねえ」
真先輩が笑った。
この春真先輩が卒業となるので、心霊研究部員揃って、記念に旅行に来たのである。
雛温泉郷。雛祭りを売りにしている小さい温泉だ。3月中は『雛祭りスタンプラリー』として、旅館、寺、店などで飾られている雛飾りを見てスタンプを集めると、記念品がもらえるらしい。
改札を出ると、大きな記念写真用のパネルがあった。顔の所がくり抜かれている、アレだ。
「おお、お雛さんや」
「記念に撮りましょうか」
PRのたすきを掛けたミス雛温泉と準ミス雛温泉2人の3人トリオが、にこやかに話しかけて来る。
「そうだねえ。じゃあ、やっぱり真先輩がお内裏様だよねえ」
言われて、真先輩がお内裏様の裏に行く。
後は、3人官女と5人ばやしだ。僕達は5人ばやしにして、3人官女は、ミス雛温泉、準ミス雛温泉の3人、お雛様は、出迎えの雛温泉女将代表に入ってもらった。
「何か、嬉しいなあ」
礼を言って旅館へ向かいながら、真先輩はにこにこしている。
「こういうのって、良いですよねえ」
あの出迎えの4人は、こういう人数合わせの意味もあるらしい。これで足りなければ、売店の人や駅員さん、旅館の送迎バスの運転手、観光協会の職員がサッと集まるそうだ。観光地として、徹底してるな。
「結局は、地元の人とのふれあいとかサービスが、集客の鍵なんや」
智史は感心している。僕達は、智史の実家の家業に対する熱意にも感心するところだ。
ほんの5分も歩くと予約しておいた旅館「千代の家」に着く。
ここで雛温泉郷の真ん中辺りになるので、この雛温泉郷が小ぢんまりしているのがよくわかる。
落ち着いた感じの3階建ての建物で、和モダンというやつだ。玄関から入ると、正面に雛段が飾られているのがまず目に入る。
「うやあ、立派だなあ」
感嘆の声を上げて、まず見に近寄った。
7段飾りの雛人形なのだが、特筆すべきは、その大きさだろう。人形一体、一体の大きさが幼稚園児くらいはあるのだ。それに従って、道具類もそれなりの大きさで、ロビーでかなりの広さを取って展示している。
「凄い迫力だねえ」
「古そう。どのくらいかな」
言いながら皆で見ていたら、いつの間にか近付いていた女将さんが、口を開いた。
「江戸時代の初めだそうです」
30代半ばくらいの上品な人だ。
「江戸時代……雛飾りを、お金持ちだけとはいえ、庶民も飾るようになったのが江戸時代くらいですよね」
真先輩が言う。
「はい。それまでは貴族の子女のものだったようです。
この雛温泉郷ではそれより前から雛飾りをする風習がありまして、平安時代にはそれこそ紙の人形を飾ったとか聞いております。3月はスタンプラリーも行っておりますから、是非、他の雛飾りもご覧下さい」
それで僕達はチェックインをして、部屋に案内された。
12畳程の和室で、スッキリとしている。ベランダからは、川と、川沿いに並ぶつぼみを付けた桜が見えた。
お茶を飲んで、置かれていたお菓子を食べ、夕方だしお風呂に行こうかと皆で立ち上がった。
ロビーに降りて、フロント前を横切って行った先が大浴場だ。内風呂2つ、サウナ、露天風呂は5種類あるらしい。
ロビーに降りて歩きながら、雛飾りを見る。
「直。あれ、大丈夫だよな」
僕はコソッと直に話しかけた。古い物にありがちな、念を感じる。代々の所有者のものだろうか。
「あるよねえ。まあ、悪い感じではないの、かな」
「今はな。でも、何か引っかかるんだよな」
「無事に済めばいいのにねえ」
「ああ。せっかくの記念旅行だもんな」
僕と直は、心の中でお雛様に頼んだ。
どうか平穏無事に旅行を楽しませて下さい、と。
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