第313話 新しい戦争(4)狙撃指令

 1キロ離れた建物の屋上で、イワンはスコープを覗いていた。

 イワンというのは本名ではない。この役職に就くものが代々名乗る、役職名のようなものだ。他にもこれまでに色々と名前を使い分けて来たので、本名はいい加減忘れた。

 本国から狙撃命令が下ったのはつい先ほどだ。ターゲットは青年で、本格的な脅威となる前に排除せよということだ。

 日本人は若く見えるから余計にか、まだ、子供と言っていいように見える。だが、イワンには関係ない。命令通りに処理するだけだ。

 狙撃用ライフルは、すでに修正も済ませてある。南風秒速2メートル。気温は37度。あとは、レティクルの真ん中にターゲットを捕えて、そっと引き金を引くだけだ。

 来た。

 護衛艦が港に入り、タラップがかけられる。そして、ターゲットと、彼と同じくらいの年齢に見える青年とが、船を降りる為にタラップに近付いて行く。

 ターゲットが前だとありがたいが……しめた。チャンスだ。

 が、スコープの中でターゲットが不意にこちらを見た。はっきりと目が合う。ばかな。

 その時、イワンの視界は、いきなり閉ざされた。

 驚いてスコープから目を離す。

「誰だ貴様は!?」

 いや、ここには誰も立ち入れないようにしていた。それに、誰か近付いて来たらわかる。

 目の前の男は、洋服でもなく着物でもない、見た事の無い服を身に着けていた。ヘアスタイルも個性的だ。それよりも、存在そのものが異質だ。

 すぐに、反撃を試みる――が、その前に、男はライフルの銃身を無造作に掴んだ。と、そこから柔らかい飴のように銃身が曲がり、グニャリと丸く丸まる。

 抵抗も撤退も忘れて、ただ茫然とそれを見つめる。

「うそだろ!?」

 我に返って、ナイフを出す。

 するとそれはいきなり燃え出して、熱くて放り出した。

「何がどうなって……」

 自分の正気を疑う。

 男は冷たい目をして、

「身の程をわきまえろ」

と言うと、スッと消えた。

 それを見て、イワンは真夏だというのに背中がゾクゾクと寒くなり、体中が震え出すのを止められなかった。


 行きは空自のヘリで府中から飛び立ったが、帰りは海自の護衛艦で横須賀へ着いた。

 送ってもらえるんだろうな。交通費、持ってないぞ。

 そんな心配をしていたら、騰蛇からパスで連絡が来た。

「こっちを見てみろ」

 何だ?面白いものでもあるのかと目をやる。すると、遠くの方で何かが光った。

「ん?」

「どうしたのかねえ」

「騰蛇がこっちを見ろと言うから見たら、何か光ったんだ。

 え、もういい?何がしたかったんだ?」

 僕と直は事情がつかめないまま、護衛艦を降りて行った。

 そこからヘリに乗せられ、降ろされたらそのままスーツの人達に囲まれて、危機管理室へと直行する。まずは報告らしい。

 思い切りのいい命令を下して来た総理は、テレビで見た通りの、気さくでダンディな御仁だった。

「いや、お疲れさん。アレを送り込んで来んで来たところも、覗き見した挙句に手出しして来たところも、えらい騒ぎになってるらしいぞ。いい気味だ。スカッとするぜ。

 それと、横須賀で狙撃しようとしていたやつも、『ばれてますよ』と大使館にお知らせを入れておいたしな。せいぜい、未成年の一般人に攻撃しようとしたことをチクチク突いて、北方領土関連では有利なお話合いをさせてもらう。いやあ、助かった。礼を言うよ」

 そう言って、豪快に笑った。

 横須賀で騰蛇がそいつに何かしたらしい。こちらを見ろと言って来た時にだろう。

「上陸を阻止できて何よりでした」

「ほっとしていますぅ」

「また何かあった時は、よろしく頼むぜ」

 総理は肩を叩いて、上機嫌で笑った。


 あの霊は、『生きていた恐竜』『UMA』『実験施設から逃げ出した遺伝子操作された動物』と一部が騒いでいたほかは、何も詳しい報道はどこもしなかった。ただ、某国で聖域とも呼べる清浄な地区が突然できた事、そこの霊能師が廃人になった事、その国を含む日本に近い国々の霊能師が、大量且つ同時に精神的にダメージを受けて病院や寺院に駆け込んだ事が漏れ、まとめて『神の鉄槌』と呼ばれる事件として扱われることになった。

 誰がしたかわかっているのに、僕も直も、一切名前が表に出ないのはありがたい。地味に安全に安定した人生を送りたいものである。

「今日も暑いなあ。さっぱりしたものにしようか、それとも兄ちゃんはクーラーで冷えてるかも知れないし、それなりのものがいいか。ううん」

 悩みは尽きない。







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