第269話 豆腐の根性(1)充電中
真冬は空気が澄んでいて、星が綺麗に良く見える。寒い中、夜中に散歩するメリットはここにある。
週に3時間も寝れば済む身だと、いくら夜中に時間を有効活用と言っても、やはり暇にもなる。それで、プラプラと散歩することもあるのだ。
その足が、ふと、止まった。こそこそと背中を丸めるようにして、墓地を徘徊する人影がいた。
墓泥棒か?それとも何かのイタズラか?
様子を窺っていると、墓場に居残る幽霊姉妹が、僕に気付いてやって来た。
「ちょっと、ちょっと。あれ、何とかした方がいいわよ」
「行き倒れ寸前なのかしらね。かなりヤバイお供えにも手を出しかけて、見てる方がヒヤヒヤするわ」
「腐ったお供えで死ぬのは、気の毒だわ」
幽霊達が同情の声を上げるその人物は、今まさに、墓に供えられたヨモギ餅に手をかけていた。
「わかった。ありがとう」
幽霊姉妹に礼を言い、その人物に声をかける。
「こんばんわ」
彼はギョッとしたようにこちらを見て、
「お化け!?」
と、尻もちをついて、齧りかけていたヨモギ餅を放り出した。
いや、ヨモギ餅ではない。青カビの生えた餅だった!
放り出したいが、それをこらえて墓に戻しながら、僕は言った。
「生きてます。散歩中です」
「何だ。夜中に墓場に来るなよぅ」
「そちらもでしょう。何かと思いましたよ」
その人物は20代後半という感じの青年で、気まずそうに頭を掻いて、お腹が鳴った事で余計に気まずそうに横を向いた。
「肉まん好きですか?」
バカにするなとか言って怒られたらどうしようと思ったが、青年は嬉々としてついて来た。
知らない人に肉まんあげるからと言われて付いて行く彼に、一抹の不安を感じる。
それでも最寄りのコンビニで手を洗い、肉まんを買って、並んで座った。
「ありがとう。いただきます」
嬉しそうに、肉まんにかぶり付く。しばらく、ロクなものは食べてなかったらしい。
「はああ、美味かった。生き返るなあ。
お礼って何もできないけど、サインをあげよう」
「サイン?」
「俺はこう見えてもロッカーなんだぜ。今は、あれだ、充電中だけどな」
「充電中」
「そうさ。まあ、バンドは解散して、その後は女の子の世話になってたけど、新しい彼氏ができたからって追い出されて、今はその、あれだ。魂のまま何にも縛られずに自由に放浪していたところだ。ロッカーだからな。ははははは!クシャン!」
「いや、魂が肉体から放浪しそうですよ」
「ばれたらしょうがない。頼む、家に置いてくれ。掃除、洗濯、マッサージ、何でもやるから」
「ロッカー?」
「充電中だからいいんだよ。なあ、頼むから。せめて一冬」
「長いな」
「凍死しそうで」
困った。でも、悪い人ではなさそうだ。このまま放って置いて、明日の朝冷たくなっていたら目覚めが悪いし。
「わかった、わかりました。
そうだなあ。どうしようか」
考え込んだ時、目の前に、何者かが立ち止まった。
「こんな夜中に何やってるんだ。夜遊びか?感心しないなあ」
「あ、寺崎先生」
その隣に、初老の男がいた。
「こんばんは。
いや、実は、この人は腐ったお供え物に手を出すほど困っている行き倒れで、一冬の宿を頼まれたんだけど、流石にちょっと困っているところなんです」
青年は照れたように笑っている。照れる要素がどこにある。
「一冬?」
「野宿するのに辛いんで。
あ、俺はロッカーの竹本直治です。今は充電中ですけど」
堂々と名乗った。
と、初老の男が、竹本さんを上から下まで眺めて言った。
「ふむ。雑用を手伝ってくれるなら、うちに来てもらっても構わないが」
「親父!?」
「え、先生のお父さんですか」
「良いんですか!?」
声が錯綜する。
「あ、コホン。親父だ」
「という事は、御住職」
寺崎先生の実家が寺だというのは聞いている。
「初めまして。そこの先の寺です」
にこにこして言う。その先の寺……お供えを狙っていた墓のある寺だな。
運命を感じる。
「御崎 怜と申します。先生にはいつもお世話になっております。あの、よろしいんですか」
「構わないですよ。お客扱いはできませんが、バイトなら。うちの墓のお供えで死なれても、ねえ」
竹本さんは気まずげに笑い、
「よろしくお願いいたします」
と頭を下げた。
「はい。では、行きましょうか。寺の朝は早いですからね。
では、失礼します」
「肉まん、ごちそうさま。ありがとうな」
僕と寺崎先生は、並んで、去って行く住職と竹本さんを見送った。
「そういや、寺崎先生はどうしてここに?実家にいらしたんですか」
「ああ。墓地にホームレスが住み着いたようだが、もし墓地で死なれたらどうしたものかと相談されてな」
「竹本さんのことですね」
「らしいな」
「大丈夫かなあ」
「ま、悪いヤツには見えなかったし、また様子を訊くわ。
それより、御崎もそろそろ帰れよ」
「はい。じゃあ、失礼します。お休みなさい」
「おう。お休み」
寺崎先生もひらひらと手を振って去って行く。
もう一度、竹本さんの去って行った方を見る。
竹本さんには初老の男の霊が憑いていたが、あれは誰なんだろうなあ。お供えを横取りされた霊とかじゃなかったらいいんだが……。
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