第268話 交換日記(4)今度こそ

 203号室の前で、マリアさんは泣きじゃくっていた。

 幽霊がいる部屋と聞いてまず驚き、それが斉田さんを気に入ったのか、斉田さんと勝手に交換日記をし、斉田さんが気になった人を襲ったと知って、憤慨した。そして、

「和臣は私の恋人。ダメ」

と203号室に向かって言ったらどこからか水が飛んで来てずぶ濡れになり、悔しがって泣いているのだ。

 飛んできた不動産会社の社員は、先程からとにかくおろおろしている。

「事故物件ですよね、ここ」

「いやあ、でも、この前に入居した人からは何も苦情は出ていませんので……」

「ふうん。そうですか。現入居者であるマリアさんの彼氏に横恋慕するように、彼の周囲に近付いた女性を2人、ケガさせているんですがね。

 いいでしょう。そこまで自信満々におっしゃるんなら、ここであなたに生活していただきましょうか。いや、あなたの奥さんに入居して貰ったほうがいいかな」

「そうだねえ。でも、一社員よりも、支店長がいいんじゃないかなあ。支店長か、奥さんか、息子さんか、お嬢さん」

 お鉢が回って来て慌てたのは、今までは余裕を見せながら考えを練っていたらしい支店長だ。

「え!?いや、私には我が家が」

「支店長!?私にもありますよ」

「幽霊なんていない、安心したまえ」

「だったら支店長が」

 押し付け合いだ。

「幽霊はいない、ねえ。

 わかりました。じゃあ、本人に選んでもらいましょうか」

「は!?」

「本人!?」

 203号室の中にたたずむ幽霊を、見えるようにする。

「ヒイッ!!」

 ジャージ姿の女が、長い髪の間からこちらを窺い見ている。

「ナイスミドルとこっちのイケメン、どっちがタイプか」

 女はザアッと接近してきて、食い入るように社員2人を見比べている。

「た、助けて下さい、お願いします!」

「ええー?何からですかねえ?」

 直がとぼける。

「認めます、幽霊はここにいます。事故物件と告知して家賃が入らなくらるのを恐れて、形だけここに新入社員を入居させました。すみませんでした」

「では、取り敢えずお祓い費用などはそちらに請求します。サインを――」

「後でいいですか!?取り敢えず早く助けて下さい!」

 社員2人がガタガタ震えながら叫んだ。

 斉田さんとマリアさんは、抱き合って事の成り行きを見守っている。その後ろで、智史と真先輩が笑いをこらえて変な顔をしていた。

 こんなもんか。

 ジャージ姿の女の霊に、パスをつなぐ。花井雅子さん。彼氏を作ろうとしてダイエットをしたが、拒食症になって衰弱死したらしい。その後はここに居付き、次に入居した若い男性に迫ったら「何となく気持ち悪い」と逃げられ、次の男子学生に迫ったら「何かいる」とすぐに出て行かれ、次の不動産会社の新入社員は実質ここに住む事は無かったらしい。その次がマリアさんで、ポストに交換日記が入って、それを介して斉田さんに目を付けたという事らしかった。

 交換日記を書く時にこもる気持ちから、記述の女性像を知り、襲ったようだ。

「花井さん。残念ですが、あなたはもう亡くなっています。生きている人を彼氏にするのは、無理です」

 若い、でもこっちは経済力が、とかブツブツ言っていた霊──花井さんが、ギロリと目だけをこちらに向けて来た。


     ドウシテ マダ ヤセナイトダメ


「そうじゃないです」


     カレシガホシイ

     ヤセナイト


「花田さん。あなたは、亡くなったんです。生きている人とは、恋愛できません」


     シンダ シンダ シンダ

     ナゼ

     ガンバッタノニ


「ダイエット、頑張り過ぎたんですね。次は、そのままのあなたがいいという人が現れますよ。たぶん」


     ナットクデキナイ

     ヤセタノニ

     ワラッタヤツラヲ ミカエシテヤリタカッタノニ

     オマエモ ワラウノカ

     オマエタチモ ワタシヲ ワライニキタノカ

     ミンナ コロシテヤル


 花田さんは顔を狂気に歪め、冷たくて重い気を撒き散らし始めた。

「花田さん、もう、逝きましょう」


     イヤアアァ


「花田さん。花田雅子さん。誰もあなたを笑ったりしません」


     ホントウニ?

     ジャア ワタシトツキアッテ


「……あなたの幸せをお祈りします」

 浄力を当てると、花田さんは光になって、消えて行った。

 社員2人は、へたり込んで放心していた。

「サイン、お願いしますねえ」

 直が笑顔で、そんな支店長にサインを迫っていた。


 斉田さんとマリアさんは、今度こそ、交換日記を始めたらしい。

 そして例の不動産会社も、アッサリと料金を振り込んで来た。

「交換日記かあ。味わい深いよね」

 真先輩が、溜め息をついた。

「小学校の頃、女子がやっとったなあ。学校来てしゃべくりまくり、家帰ったら交換日記やで。ようそんなにネタあるわ、思ったで」

 確かに。

「シール張ったり、内緒事を書いたり、可愛いもんだよねえ。

 斉田さんのも、その延長というか、真面目だよね」

 処分してくれと頼まれた大学ノートを、直がパラパラとめくり、ん、と眉を寄せる。

「どうした、直」

「最後の日、読んでなかったからねえ。何が書いてあるのかと……」

「何、何」

 智史と真先輩が、素早く寄って行く。

「ええっと、『その人はBL趣味ですか。そうなら、今後も見守りたいです』ぶわっはっはっ」

 智史と真先輩が爆笑した。

「直、誰の目にも触れないように処分して」

 はああ。僕は机に突っ伏した。





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