第169話 鏡像(4)自分の中の自分

 最後の1人が帰って行き、バレエレッスン室に残っているのは冬美1人になった。

 黙々とバーレッスンを続け、やがて、イライラと鏡に向き直る。

「出て来なさいよ」

 チラリと、他人に見られたら、鏡に話しかけてる変な人と思われるだろうな、と冬美は思った。それでも、やめるわけにはいかない。

 鏡像が、肩を竦めた。

「何よ。機嫌悪ゥい」

「ふざけないで。あなた、わたしの知らない所で何をしてるの」

「何のこと?」

「とぼけないで!」

 鏡像はニヤニヤと笑うと、爪の形を確かめるように眺めながら言った。

「チェンジしてからはあ、適当に楽しんでるけど。あんた、ちょっと地味すぎるのよね。服も髪形もメイクも。爪だってそう」

「わ、悪かったわね――じゃなくて!勝手に変な事しないで!」

 鏡像の自分。自分はこんな顔もするのかと、冬美は嫌悪感を感じる。

「はあ?話せなくて困ってる時とか助けてあげたのに」

 冬美はグッと詰まった。

「それは、助かった、けど。でも、困るのよ。もう、出てこないで。別にわたしは頼んでないでしょ」

 鏡像が、不服そうな顔をする。

「勝手な事言わないでよ。誰か助けて。代わりたい。そう願ったのは自分でしょ?」

「いつそんな事――あ……」

 冬美は思い出した。いつだったか、ここでりみと成田が自然に話しているのを見て羨ましかった事を。代わりたいと思ったら、代わってやろうかと声がした事を。

「思い出した?心配しなくても、成田君?上手くやっといてあげるから。あんたよりもよっぽどね」

 カッと、頭に血が上る。

「ちょっと、あなたねえ!?」

「ああ、うるさい、もう!」

 鏡像は溜め息をついて、うるさそうに頭を掻いた。

「もういっか」

「え?」

「あんたの事はわかったし、もういいわ。全面的に、代わるから」

 冬美は、血の気が失せたのを自分で感じた。

「わたしの方が対人関係も上手く行くし、優秀よ。心配いらなあい!」

 鏡像は楽しそうにケラケラと笑うと、ニイッと唇の端を吊り上げるようにして笑った。

「怖い?でも、これもあんたよ。あんたの中にいたわたし。あんたの一部。

 本当はもっと自由にしたかったんでしょ。りみが羨ましかったんでしょ。隠しても無駄。だって、それがわたしだもの。

 これからは、わたしがあなた。わたしが表よ。交代、こうたーい」

 歌うように、両手を付き出して前進して来る。鏡の表面を突き破ってどんどん出て来、その手を、冬美の首にのばす。

 それを冬美は、引き攣った顔で、ジッと見ていることしかできないでいた。

 手が、首にかかる。その時、その手が感電したようにビクンと痙攣した。いや、鏡像だった自分そのものが、金縛りにあったようになっている。

「冬美!!」

 いつの間にか、りみと御崎君と町田君が、そこにいた。そしてそれを見て、冬美はへなへなと座り込んだ。


 直が、鏡像に分離していた澄川さんの一部を縛る。

「冬美、大丈夫!?ちょっと!」

「心配ないよう。気が抜けただけだよう」

 澄川さんはしくしくと泣き出した。

「突然、声がして、時々切り替わるようになって、段々、ウエイトがあっちになって」

「怖かったね、冬美。もう大丈夫だからね」

「わたし、羨ましかったの。人見知りで、自信がないし、地味だし。りみみたいに、いつも強くて明るくて自信があればって、思ってた」

 りみは、困ったような何とも言えない顔をして、僕と直をチラリと見た。

「わたし、強くもないし、自信もないわよ。

 小学校の頃、レインボー戦隊って流行らなかった?」

「……流行ってたわね」

 澄川さんは、何を言い出すんだろうという風にキョトンとりみを見た。涙も引っ込んだらしい。

「皆何色かに分かれて、レッドグループとかイエロー連盟とか言ってたんだけど。

 怜、直、あんた達も覚えてる?わたしは赤。直は緑だったでしょ」

「ああ。りみはレッド中のレッド。最初に決まったよねえ」

「りみらしい。怖いものなしの正義感」

 クスリと笑う澄川さんに、りみは小さく笑った。

「違うの。

 わたし、怜が怖かった。独りになるのが怖くて、わたしはいつも、皆に話しかけて、顔色を見て、ビクビクしてた。でも怜は、異端を恐れないの。いつも無表情で淡々として、何を考えてるかわからなかった。

 本当はわたし、ピンクとか憧れたのに。何でレッドよ。おかしいでしょ。でも、そう言ったら孤立するかもって思ったら、怖くて言えなかった。

 それを怜は、興味ないってつまらなさそうに言ったのよ。信じられない。小学生にとって、クラスはもう全世界に等しいでしょ。クラス中を敵に回して、それでもケロッとして」

 何を言い出すかと思えば。僕は嘆息した。

「直がいたし、つまらんものはつまらんしな。あんなテレビのヒーローよりも、僕にとっては兄の方がずっと本物のヒーローだからな」

「普通はそれが言えないの。

 やすやすとそれを言う怜が怖くて、憎たらしくて。そのくせ、それでクラスがまとまらなくなっていじめでも起きたらと。それで、悪の大幹部の黒を押し付けたの。それで一応皆納得して、ホッとしたわ。

 わたしは、強くもないし、卑怯よ。冬美は、努力家でしっかりしてるし、かわいいじゃない。そんな、羨ましがられるような人間じゃないのよ」

「りみぃ」

「冬美は冬美でいいの」

 直は落ち着いたらしいのを見て取って、

「ええっと、それでこれはどうしよう?」

と訊いた。

「本人の一部だしな。今回は暴走したとは言え、切って捨てるわけにもなあ。受け入れるのが一番だが?」

 澄川さんは少し考え、しっかりと頷いた。

「はい。もう大丈夫です。ただ羨んだり、逃げたりしません」

 強い意志を秘めた目。これが本来の、澄川さんだろう。

「わかった」

 縛ったそれを、軽くガツンとやってから戻すイメージで、澄川さんに融合させる。

 どこか居心地の悪そうなりみと、自信すらも感じさせる笑みを浮かべる澄川さん。まあ、一言言っておくか。

「りみ。ちょっと引っかかる点は無くも無かったが、まあ、いい。

 うちの兄に言われたぞ。全部の色を混ぜたら黒になる。その子はいい子だなって。まあ、悪の大幹部にされて心配したのかも知れないけどな。結局は、良かったんじゃないか。僕も、親が死んだ直後で、兄は寮に入らないといけないし、僕は施設だし、そんな時にいじめは困る。兄が心配するからな。

 りみは結局、面倒見がいいんだな。正義の人というより、オカンなんじゃないか」

「オカン……」

 ププーッと、直が吹き出す。そして、「おかん。おかん」と繰り返した末に、澄川さんも噴き出した。

「え、ちょっと、オカンはひどくない!?女子高生よ、ピチピチよ!?」

「りみ、そこんとこは、オヤジくさい」

 直と澄川さんは、大爆笑した。

 心ってやつは、いつも面倒臭い。それでも、友人がいれば、まあ何とかなるものだ。

 まあ、これで大丈夫だろう。鏡像の件も、この2人も。

「というわけで、そろそろ帰らないか」

「そうだねえ」

「久しぶりなんだから……あ。カラオケ行かない?」

「面倒臭い」








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