第103話 傘(2)傘がない

 ジメジメとした日が続くので、サッパリしたのがいいかと、ごはんに甘酢漬けのみょうがのみじん切りと白ごまを混ぜたみょうがご飯、厚揚げの梅しそ焼き、チキンステーキ、玉ねぎとわかめの味噌汁にした。混ぜご飯に、漬け汁も少し加えるのがちょうどいい。

「さっぱりしてて、爽やかだな」

 兄が、気に入ったようだ。良し!

 御崎 司、ひと回り年上の兄だ。鋭くて有望視されていた刑事だったが、肝入りで新設された陰陽課に配属されている。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。頭が良くてスポーツも得意、クールなハンサムで、弟の僕から見てもカッコいい、自慢の兄だ。

「今年の梅雨明けはいつ頃だろうなあ」

「明けたら明けたでまた暑くなるけど、ジメジメよりはましだな。傘も荷物になるし」

「学生はまだカバンを持ち歩くからいいけど、社会人だと、傘は結構邪魔になりそうだなあ」

 鉄道の忘れ物などで傘が多いのも、そういう事が関係しているのだろうか。

「昨日スーパーの近くで事故があったらしいな。傘を差してない女性が急いで歩いていて、前方不注意の車にはねられて亡くなったらしい。雨の日は、歩くのも注意しろよ、怜」

「わかった」

 答えながら、そう言えばあの少し後、救急車のサイレンが聞こえたな、と思い出した。

「徳川さんとか沢井さんとか、洗濯はどうしてるんだろ。乾燥機かな」

「そうじゃないかな。ああ。沢井は今日、ワイシャツを乾燥機に入れておいたら、ぬくもりでまた湿って、白いワイシャツが、色落ちしたやつに染まってピンクになったとか言ってたな」

 気の毒に。

「部屋に吊って除湿器を付けた方がよっぽど乾いていいって、教えてあげたら」

「そうだな。ピンクの迷彩柄のパンツを穿かれてもな」

 思い出したように、プッと噴き出して笑った。

「その、亡くなった人、傘を最初から持ってなかったのかな。それとも、スーパーの傘立てに立てておいて、無くなったのかな」

「ん?」

「実は、夕方スーパーに行ったんだけど、出たら雨が降り出してて。大学生くらいの人が傘立ての傘を差して行ったんだけど、マジで降り出した、とか言ってたから、自分の傘なのかなってちょっと思って」

「んん。わからんなあ。しかしそうなら、モラルのない奴だな。れっきとした窃盗罪だとわからないのかな。

 怜も、それじゃあ傘が誰のものかわからなかったんだし、気に病むな。ヘタに言ったら、何をされるかわからん時代だからな」

「うん。

 おかわりいる?」

「もらおうか」

 気にしない事にしたが、小さな棘のように引っかかりが残った。


 仁科は、戦々恐々として、夜を迎えた。

 コンビニも行った。駅も、スーパーも、ゴミ捨て場も。それでも、あの傘は見つからなかったのだ。

 大体、どんな傘だったかも、あんまりハッキリとは覚えていない。臙脂の無地で、持ち手が木目の柄だった筈だ。いや、何か柄が入っていたような気もしないでもないような……。

 要するに、あやふやなのだ。

「今日も来るのかなあ。参ったなあ。どうしよう」

 困って、ビールをガブガブと飲んでいる内に、寝てしまった。


 水の匂いを引き連れて、女が現れる。

 やっぱり来た、と、ゴクリと唾を飲みこみ、正座した。

「あ、あの。探したんですけど、見付からなかったんです。誰かが差して行ったんだろうと……」

「わァたァしィのォかァさァ」

「傘なんて、急に降って来たらその辺の借りるでしょう?」

 声が震えるのが自分でもわかる。

「持ちつ持たれつ、というか」

 女が、ギロリと自分を睨んだ気がした。

「あ、あの、だから」

「かァえェせぇ!」

 女は両手を肩の高さに上げ、仁科の首にその手を近付ける。

「ギャッ!」

 仁科は声を上げ、そこで、悪夢から覚めた。

 床に、水溜まりができており、それが現実だと知らしめていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る