第104話 傘(3)大切なもの
協会から回って来た仕事の依頼人に会いに行き、僕は暗澹たる気持ちになった。あの、スーパーで見かけた大学生風の青年だったからである。
「やっぱり、他人の傘だったんですね」
仁科というその依頼人は、驚いたように言った。
「傘くらい、誰でもやるだろ?そうやって、世の中回るというか」
こっちが驚いた。
「そんなの、した事ありませんよ。そんなので世の中の傘は回りませんし、それ、窃盗罪ですよ」
直も、目を丸くしている。
3人は、どっちがおかしいんだと考えるように、しばらく無言だった。
「まあ、それで、その幽霊が現れたと」
「ああ、はい」
「傘は、見付からなかったんですよねえ」
「誰かが持って行ったんだ」
「なるほど。傘がまわっている、と」
「うっ」
ブーメランで、自分の攻撃にやられているようだ。
「よっぽど、大事な傘だったのかな。
何か、特徴とかありましたか」
仁科さんは考えて、
「臙脂で、持ち手が木目だった。無地だったような、何か模様があったような・・・」
と答えるが、どうにも頼りなさそうだ。故人の写真や周囲の人からの証言を頼りにするしか無さそうだった。
「協会と警察で決められたマニュアルに従って、警察の捜査力を借りるしかありませんね。捜査依頼を出して、その傘がどんな傘かわからないか、調べてもらいます。ですから、書類に署名をお願いしたいのですが」
「え、警察?」
「はい。家に入ったり持ち物を調べたりは、僕達に調べる権利はありませんから。あくまで霊的なものに対する調査で必要だと思われた時に、陰陽課に依頼するんです。だから、書類がいります」
「ああ、うん。そうだよな」
しばらくは後ろめたさと戦っていたようだが、仁科さんは、書類にサインした。取り敢えず写真で送り、徳川さんに電話をする。
「現物は今度持って行きますので、よろしくお願いします」
というと、快くすぐに引き受けてくれた。お役所と言っても、緊急性のある事が少なくないので、こういう融通を利かせてくれるのがありがたい。
「傘はこれでわかったとしても、どうしよう?同じのを用意する?」
「傘を諦めてくれればいいんだが……どうかな。物凄く執着してるみたいだし」
「一応、用意してみた方がいいかなあ」
「そうだな。とにかく、僕達もその人の家に行こう。また夜までにここに戻ればいい」
「じゃあ、また後で来ますから」
仁科さんは心細そうな顔をしていたが、僕達は部屋を出た。
しとしとと、相変わらず雨が降り続いていた。
亡くなったのは20代終わりの既婚者で、先頃、若くして夫を事故で亡くしたらしかった。名前は森山晴人と陽奈。写真には仲良く寄り添う2人が写っていて、中に、臙脂色の傘を大事そうに持つ写真があった。
「あれ。この旦那さん、駅前の電気屋さんの人だよ。この奥さんの方は、死に別れてから、喫茶店でパートをしてる人だね」
相変わらず、直はよく知っている。
「傘の事は?」
「それは知らないや」
「勤務先に行って来よう」
と、兄と沢井さんが出て行く。
その間に、ひととおり、部屋の中を見る。まだ新しい仏壇に、花と果物が供えられていた。子供はいなかったようで、晴人さんの持ち物が、まだそのままに近いんじゃないかという感じで残っていた。まるで、まだここで、夫婦2人が暮らしているようだ。
ぼんやりとした気配を辿ると、居間、リビングと通り越して、奥の部屋に行きつく。
そこに、まだ若い男が佇んでいた。
「心配で、ここからずっと見守っていたんですか」
男――晴人さんは、悲し気に頷いた。
「陽奈はおっちょこちょいだし、急に僕がいなくなっちゃって、泣いてばかりいて、心配で……」
彼は困ったように、苦笑した。
「その陽奈さんですが、事故に遭われた事は」
「はい。でも抜け殻で、どうしたらいいものやら……」
「陽奈さんを、迎えに行きませんか。陽奈さんも、困っているようなんです」
「是非、お願いします」
「良かったねえ。まあ、亡くなっちゃったのは残念だけど、旦那さんと2人なら、心配ないもんねえ」
直も、ホッとしたように笑う。
晴人さんを連れてリビングに戻り、写真などを調べていた刑事に事を説明し、仁科さんの家に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます