第79話 さく(1)春を待つ人
日本画の作品だった。左側から右上に向かって梅の木が伸び、その木の下で、女性が幹に寄り添うようにして右向きに座っている。そして梅の木には、花のつぼみがたくさんついていた。
女性はまだ若く、木共々、これから春ということなのか。
美術の解釈は、よくわからない。
僕は
「ええっと、きれいな絵ですね」
素直に直が感想を言う。
町田 直、幼稚園からの友人だ。要領が良くて人懐っこく、驚異の人脈を持っている。夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた、大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、新進気鋭の札使いであり、インコ使いでもある。
「ああ、美しい」
うっとりと絵を眺めて呟くのは、キリスト教の神父、エドモンドだ。金髪碧眼の青年で、日本のアニメで日本語を覚えたそうだ。
その隣に立って同じように絵を見ているのは、同じくロイ。年齢は30代といったところか。しっかりと鍛えられたような体格で、浅黒く日焼けした、スポーツ選手のような男だった。
「そう思わないかい、ロイ」
「そうだな。この女性もこの花も、構図がいいな」
「そうだよな。
あちらの2人は、この美しさを介さないようだけど」
2人はイタリア語で話しており、分からないと思っているらしい。生憎だったな。わかってるぞ。
この絵の持ち主の妻からの依頼で僕と直は呼ばれたのだが、神父2人は持ち主からの依頼でここに来ていた。ひとつの案件に依頼人が2人というわけだ。コミュニケーション不足だな、オーナー夫婦は。
オーナーは金融業をしている田所正吾さん、尊大な態度の男だ。
妻の舞さんは、背が高いのに高いピンヒールの靴を履いて、ブランド物の服とバッグで固めている。
「借金のカタに手に入れた絵だ。作者が最近死んで、無名だったのが急に価値が上がってきてね」
田所さんはそう言って、嬉しそうに笑った。
「その作者が夢枕に立ったのは、一昨日だった。この梅の花が満開に咲いたら、俺の首を裂くっていいやがる」
「花に変化はあるのですか」
「ああ。少し増えた」
「ふうむ」
エドモンドは腕を組んだ。
「悪魔の仕業ですね。私達が、何とかしましょう」
そして、ニッコリと笑って、僕達に言う。
「ご苦労様でした」
まあ、いいけどね。
「では、キャンセルの旨を協会に連絡ください。これで失礼します」
と僕と直は軽く頭を下げたのだが、ここで舞さんが待ったをかけた。
「いえ、困ります。懇意にしている経済界のお偉方にご紹介頂いたのに、キャンセルなんてできませんわ」
「何を言う。バチカンのエクソシストだぞ。一流じゃないか、自慢できるぞ」
夫婦で言い争いを始め、どちらも引かない。
呼ばれた4人はぼーっと突っ立って決着を待っていたが、結局話はこう着いた。
「皆さんでやって下さい」
それ、凄い無茶振りってやつだな。
「それは……難しいかと……」
流石にエドモンドも、困惑顔だ。
「じゃあこうしよう。バチカンの神父さんにやってもらう。それで、霊能師の君達には、控えとして残ってもらおう」
舞さんは、溜め息を堪えている。
「ああ……別に、キャンセルで構いませんよ。誰かの紹介だったからといって、どうこうというわけでもありませんし」
「キャンセルの知らせを、その紹介者に知らせたりもしませんよ」
僕と直は、キャンセルしてくれて別に構わない。というか、して欲しい。面倒臭い事になりそうなのは目に見えているし。
「いや、それでもまずい。話がどこかから伝わったらどうするんだね。
バイト代が入るんだし、見学しておきなさい。はっはっはっ」
「はあ」
「お任せください。正しい悪魔祓いをお勉強させてあげましょう」
僕と直と舞さんは、溜め息をついた。
面倒臭い事になる予感しかしなかった。
兄が、鰈のあんかけに箸を入れて、目を丸くした。
「バチカンの神父と、一緒に?」
御崎 司、ひと回り年上の兄だ。若手で1番のエースと言われる刑事で、肝入りで新設された陰陽課に配属されている。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。頭を良くてスポーツも得意、クールなハンサムで、弟の僕から見てもカッコいい、自慢の兄だ。
今日のごはんは、鰈の唐揚げ野菜あんかけ、水菜サラダ、大豆煮、ジャガイモとにらの味噌汁、ひじきご飯で、鰈のあんかけは兄の好物のひとつなのだが、バチカンの神父との共闘は、それを上回る驚きだったようだ。
「そう。まあ、向こうがやるのを見学してろって事なんだけど。見学してもねえ」
兄も苦笑して、
「その人は、よほど、権力とかブランド力とかに弱いと見えるな」
と言った。
「その通り。もう、面倒臭いよ」
「しかし、田所正吾か。なかなかやり手であくどい手を使っていたらしいぞ、法改正前は」
「絵を手に入れた経緯も、そうなってくると気になるな。命を狙うほどの恨みを抱かせたわけだし」
「ある意味、かわいそうな人だな」
「同情はしないけどね」
僕と兄は頷いて、鰈に箸を入れた。
同じ頃、エドモンドとロイは、イタリアンのコースに舌鼓を打った後、ホテルの部屋に戻っていた。
「日本のイタリア料理はなかなかのものでしたけど、あの学生達はどのくらいなのでしょうね」
「さあ」
「バチカンのエクソシストとして、負けるわけには行きません、ロイ」
「そうだな」
「しっかりと、悪魔を祓います」
「ああ」
エドモンドは鼻息も荒く、決意を表明した。
ロイは静かに、考えていた。
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