第80話 さく(2)バチカンのエクソシスト

 十字架を突き付けて、

「悪魔よ!姿を現せ!名を告げよ!」

とエドモンドは続けていた。

 が、絵はウンともスンとも言わない。

 一休さんが虎の屏風を前にして、虎を追い出せと言っている姿を思い出す。

「聖水をかけるわけにもいきませんし……」

 エドモンドは困りきっていた。

「額の上からならいいかも。

 君、壁から離して持っていてくれるかな」

 僕か。面倒臭いな。

 そう思いつつも、仕方なく言われた通り、額ごと持つ。

 直は面白そうに見ていた。

「はい、これでいいですか」

「フォルテ!!」

 興奮しているのか、イタリア語だ。

 まあ、注文通り、強くしっかりと持つ。

「悪魔め!」

 エドモンドは顔を真っ赤にして、グイグイと十字架を押し付け、聖水をかける。

 が、変化はない。やれやれ。

 見たところ、この絵に念は憑いているわけでもなさそうだ。むしろ、これをやるのは、田所さんだろうに。これは意味があってこうしているのか?

「エド――」

「黙って見ていたまえ!」

 ちらりとロイを見たが、真剣な顔を崩さず、見守っている。

 これがバチカンの流儀なんだろうな。

「ふう。休憩しよう」

 エドモンドが言って、ロイが手を伸ばして来たので、絵を渡した。

「なあ、直」

「バチカンの流儀なら、黙って見ておこうよ、怜。まだ今は、向こうのターンだしねえ」

「まあ、そうだな。まだ余裕もあるし、エドモンドの試験らしいしな」

「だねえ」

 エドモンドが正式にエクソシストとなれるかどうか、ロイが監督、採点しているらしい。だから、まずいと思ったら、その前にロイが何とかする気だろう。こっちが手を出したら、試験にならないだろうからな。

 にしては、エドモンドは上から目線だが。

 絵を改めて見る。

 花は昨日より少し開花していた。六分咲きというところか。モデルの女性は、作者の知り合いだろうか。親しさを感じさせる微笑みを浮かべている。

「日本の霊能師のやり方は、昔の原始的なものしか知らなくてね。こちらも興味深いよ」

 ロイが話しかけてきた。

「霊能師を取り巻く環境も、大変興味深い」

「そうですか」

「君は、長いの?霊能師協会ができるどのくらい前からこの活動を?」

「去年の春に、突然ですよ。だから、一年弱ですね、見えるようになってから」

 ロイは驚いたように、目を見張った。

「そうなのか」

 そして、何やら考え始めた。

 僕は直と椅子のある所に戻り、座った。

「満開までどのくらいだと思う」

「3、4日ってとこじゃないのかなあ」

「来歴とか作者のついてとかを知りたいな。ちょっと、課長に電話してくる」

「あ、僕が行ってくるよ」

 直は僕を押さえて立ち上がり、小声で、

「色々と報告する事もあるしねえ」

と付け足した。


 夜、僕達4人は、絵の前にいた。

 開花が夜中らしいので、それに合わせての事だ。

「田所さん、詳しく、来歴の経緯を教えていただけますか」

 軽食のサンドウィッチをつまむ田所さんに頼む。

 あまり言いたく無さそうにしていたが、仕方なく、口を開いた。

「バブル景気の頃、ある個人投資家が失敗してね。私が、この絵と土地を買い取ってやったのだよ。1憶で。

 まあ、その当時はこの作者も無名に近かったんだが、その後で賞を取って、そこそこの知名度になったんだ。おまけにこの前亡くなって、絵の価格がまた上がったんだよ」

 田所さんは、笑みを深くした。

「いい絵だろう」

 田所さんにとってのいい絵と、僕のいい絵は、違うようだ。

「土地の売買で、詐欺に遭ったそうですよね、元の所有者の方は」

 直が言うと、田所さんはギョッとしたように表情を硬くする。

「地面師。他人の土地を自分の物のように偽って土地売買をするサギです。終戦後の焼け野原で流行った手口ですが、このところも、あるそうですね。印鑑証明まで偽造するほど、巧妙だそうで」

 そう続けると、こちらを睨みつけてきた。

「し、知らん」

「その後、元の持ち主の家族は夜逃げして、所有していた家のあった所は、都市計画で大きく値上がりしていますね」

「わしに関係ない事だ!」

 怒り散らして、話をやめた。

 当てずっぽうだが、田所さんが嵌めたのか?

 じゃあ、田所さんに恨みを持つのは元の持ち主だな。

 そう考えていると、エドモンドがこちらに向かって言う。

「今はそんな事関係ないだろう」

 え、本気か?と、僕と直はエドモンドを見た。

「そういうのは卑怯ではありませんか」

 本気らしい。味方のフリをしてもっと喋らせるとか、そういうのではないらしい。

 ロイを見ると、目で謝って来た。

「来歴とか、背景とか、気になりませんか」

「プライバシー侵害だ」

 ええええーっ!

「悪魔を祓えば済むだろう」

「悪魔、悪魔というが、これが悪魔のせいだと?」

「他に何がある」

「それを調べるためにも、こうして聞き取り――」

「黙れ!」

 僕と直は顔を見合わせて、ひたすら困惑した。

 これがバチカンのやり方なのか?一応控えであるわけだから、もしもの時は、こっちが引き継ぐ事になる。その時は間違いなく切羽詰まっているのに、調査不足では困るのだが……。

 悪魔って、よく知らないけどサタンとかああいう聖書に出て来るあれか?

 何か、そういうの、見た事ないけどなあ……。

 これ以上口を出したら、何を言われるかわからない。

 だから嫌だったんだ、こんな面倒臭い依頼は。

 内心の溜め息を押し殺した時、それが始まった。

 急激に濃密になる気配、足元から忍び寄る冷気、深い恨みのこもった臭い。

「あっ」

 絵の中の梅の花が、ほころぶ。ひとつ、ふたつ、みっつ――。

「ヒイイッ!」

 田所さんが腰を抜かし、エドモンドが十字架を握りしめる。

「悪魔め!!」

 だがそれは、梅を七分咲き程度にすると、すうっと消えて行った。

「逃げたか」

「いや、今日のノルマをこなして帰っただけだろ」

 うっかり言ってしまったが、エドモンドと震える田所さんには聞こえなかったようだ。危ない、危ない。

「じゃあ、取り敢えずは今夜はもう動きは無いですよねえ。帰ろうかあ、怜」

 直がのんびりと言って、僕達は、そこを後にした。



 



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