第16話 蠱毒(3)神殺し

 長井と交代で湧き水の見張りと周囲の警戒を、どのくらいしたのだろうか。時間的にはとうに朝になっていなくてはおかしいのに、ここは相変わらず、暗いままだ。

 霊はもう来ず、鬼が2体来ただけだ。霊が刈りつくされたのか、鬼化したのか。

「腹減ったなあ」

「ああ。忘れてた」

「何か食えるもんあらへんかな。蛇とか」

「……やっぱりお腹いっぱいです」

「嘘やん、絶対に」

 水だけはあるので、空腹は水で誤魔化すしかない。

「あと何人とかわかるんですか」

「わからんのとちゃうか」

「ひたすらエンカウントを待つ?効率悪いですね」

「悪いっちゅうたら悪いわな」

 長井はおかしそうに笑っていたが、不意に笑顔を引っ込めた。

「でかいヤツが来よるで」

 その気配は、これまでのものよりも、随分と強そうだった。

 やがて姿を見せたそれは、悪意が内側から漏れ出て、周りが黒く煙ったようにも見える姿をしていた。

「なんちゅうもんを……!」

「長井さん?」

 長井は僕の前に出、ナイフを構えながら絞り出すように声を出す。

「嵯峨さん。末席とは言え、立派な神さんや」

「神……」

「すっかり、祟り神になってもうとるけどな」

 元々日本の神は、祟りを抑える為に神にする事もある。清濁の垣根が低いのかも知れない。

 それにしても、罰当たりだと思わなかったのか、これをしでかした術師は。

 いや、それよりも、人が神に勝てるのか?

「これは、斬ったるんが神さんの為やろ。バチは当たらん、安心しぃ」

 言って、蹴飛ばされた様に前へ飛び出す。切りつけるも傷はつかず、腕の一振りで吹き飛ばされる。それでも即座に立ち上がり、印を結んで、右手でたたきつけた。煙のように立ち上る黒いものが少し晴れたものの、すぐに、内側から湧き出てきて元通りになる。

「チッ、腐っても神ってか」

「長井さん、こっちからの浄化とのコンボで!」

「おう、やってくれ!」

 長井が飛び出し、それに合わせて、放つ。間髪入れず、黒い煙が晴れたそこを狙って長井が切りつける。確かに傷を付けられはしたが、これではどのくらい繰り返せばいいのか。埒が明かない。

 しかし仕方なく、これを繰り返す。

 神に傷は増えたとはいえ、神も学習したのか、長井をけん制して近寄らせない。

「お賽銭、足りひんかったかな」

 流れる血を払いながら苦笑する。

「交代してみますか」

「アホ言え。子供を守るんは大人の仕事や」

 長井は神を睨み付け、再度アタックをかける。

 神もいい加減鬱陶しかったのだろう。思い切り両手を振り回し、突き出し、そして、

「長井──!!」

腹部を手で貫通された長井が、大地に叩き付けられた。

 ゴボッと血塊を吐いて、

「スマンなあ。よう、助けたれん、かったわ……。なんとか、逃げぇ」

と、困ったような顔で笑う。

 神は長井を取り込むように、腕を掴み、咥えた。ゴリッと音がする。

「ああ。痛覚、ないわ。ラッキー。ああ、でも、こうやって、取り込まれて、彷徨う、の、嫌やぁ……」

 ぼんやりと困ったような笑いを浮かべた顔で、長井は動かなくなった。

 ゴリゴリ、ボリ、ペッ。

 神は目の前のエサに飽きたかのように、長井を放り出して、こちらを見た。

「ふざけんなよ。そんな神、こっちから願い下げだ。

 おい。ただで済ませる気はないからな」

 悠々と歩いて近付き、長井のナイフを拾い上げる。神は威嚇するかのように両手を上げ、ユラユラと体を左右に揺らせていた。

 いきなり懐に飛び込み、印なしで力をナイフに纏わせて、斬る。印を結ぶのが普通。油断していたに違いない。

そのまま、斬る、突く、斬る。

 神の手が、ボタリと落ちた。逃げ腰になる神の首に切りつけ、パックリと口が開ける。

 やがて神は形を崩すと、端から、さらさらと消えて無くなって行った。

 神を殺した。

 フラフラと長井のところに行き、湧き水の所へ引き摺って行く。そして、吐いた血を流した。

「あれ。意外と平気だ。何でだろう」

 自分の何かが置き換わったかのような座りの悪さが、だんだんとわからなくなっていく。湧き水に手を突っ込んだまま、吐きそうな臭いも、果てのない怒りも、何もかもが、薄く薄くなっていく。

 と、

「見つけた!!」

聞いた事のあるような声がした。

 同時に、大きな鬼がのっそりと現れる。敵だ。刈るべき、敵だ。

 立ち上がりかけた僕に、また声が聞こえた。

「怜、そこか!!」

 誰だ、それは。

「聞こえないのか!?」

 それよりも、あれが。鬼が。

「おい、怜!怜ってば!」

 怜。だれだ、それ。それ……ああ、僕だ。

 見下ろした湧き水には、ゆらゆらと揺れながら、兄と直が映っている。兄と、直。

「兄ちゃん、直。帰りたい」

「今皆がやってくれてる。大丈夫だよ」

「ああ、あと1匹と僕だけだ」

 何となく、それがわかった。あの鬼と僕。

「ジッとしてろ、すぐに行く」

「うん」

 鬼が、僕を見て唇の端を吊り上げた。あの鬼にしてみても、僕が最後だ。あれも、それがわかっているのだ。

「けじめかなあ」

 鬼が突っ込んで来ようと、スタートの姿勢をとる。それに、無造作に力をぶつけた。

 すると鬼の上半身が斜めにずれて落下し、パリンとガラスの割れるような音が響いて、辺りは真昼の眩しさに満ち溢れた。



 


 

 

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