第13話 呪殺師・毒蜂(4)害虫退治
水切りしておいた豆腐を崩し、しらす干し、刻んだ菜っ葉、割りほぐした卵と混ぜてフライパンで焼く。焦がさないように、でも中まで固まり切らないように中火で焼くと、ふわとろ豆腐入り和風オムレツになる。しめじとえのきの短いのを集めたものはお浸しにして、ままかりを軽く炙る。味噌汁は玉ねぎとわかめ。ごはんは土鍋で鮎飯だ。
「ん、美味い。ほろ苦いのが、鮎らしくていいな」
「蛸飯もしたいんだけど、今回は鮎で」
「美味いよ、うん。オムレツもいい具合の焼き加減だな」
兄の気に入ったようで、何よりだ。満足して、直にも目を向ける。
「怜、怜、これ残ったら明日おむすびにして弁当にしたい」
「フッフッフッ。任せろ。そのつもりで多めに炊いてある」
急遽皆川は京香さんの部屋に張った結界の中で今夜は過ごす事になり、直は合宿と称して、うちで待機する事になったのだ。
「例のサイトだが、登録してある氏名住所はデタラメだったし、海外のアドレスも複数経由していて、身元を辿るのは難しいな。
上には他の事件との関連を進言してある。近く、合同捜査になるだろうと言っていた」
そう兄が切り出す。
詐欺師と代議士が急死し、胸に赤い蜂のアザがあった事は、とうにネットで広まっていた。
「忙しくなるなあ」
「ああ。まあ、仕方ない」
「その前にまずは皆川だけど、どうだろう。京香さんの結界でなんとかなるのかな」
「京香さんは五分五分だって言ってたな」
その京香さんと皆川も、隣で夕食を食べているだろう。特に皆川は心配で味もわからないだろうし、京香さんは禁酒でブウブウ文句を言っていたが。
「今後も続きかねないよねえ」
「まあ、類似犯はないとは思うけど、詐欺は増えそうだな。呪いを跳ね返す壺とか、呪殺してやるからいくらいくら出せとか」
「ああ。確実にあるね」
「……それを上も警戒してたよ」
3人で嘆息し、後は学校の事とか、今年の梅雨と夏の暑さについてとかを話して、食事を終えた。
後片付けをして、弁当に入れるものを考える。鰆の西京漬け、茶巾南瓜、人参といんげんのナムル、ひじき大豆でいいか。肝心な弁当箱は、竹を編んだ長方形のもの。以前食べた駅弁の空き容器だ。
それにしても、どういうシステムになっているんだろうか、毒蜂の呪いは。一度も接触が無い相手に、どういう風に赤い蜂、毒蜂を送り込んだというんだろう。
静電気みたいな、と言っていたあれだとしたら、電波を使って送り込んだという事になる。
だが、皆川はどうだ。毒蜂からのスパムメールじみたメールでも受け取っていたんだろうか。
「今度実験してみるか」
「何を?」
「スマホを使って電波で思念とかを送れるか」
「おお、やってみようよ」
直は好奇心で目をキラキラとさせてスマホを取り出した。
「そうだな、何を送ってみようかな」
「思い浮かべた数字とか、明日の献立とかは?」
「献立は長い。明日のデザートでいこう」
僕もスマホを出し、取り合えず直にかけて繋ぐと、「プリンー、プリンー」と念じてみる。
直はスマホにタッチしながら、
「わっかんないなあ。ヒントちょうだい」
と言う。
「ええっと、柔らかくて甘い──ちょっと待て。クイズじゃないんだから」
「あ、そうだった」
そんな僕らを兄が呆れたように見ていた。
もうすぐ日付が変わる。
兄は自室で寝ているし、直は僕のベッドで寝ている。僕は一人で、毒蜂のシステムについて考えていた。
電波を使って、坂口さんには印を、皆川には呪詛を送り込んだとしか思えない。僕や京香さんにできなくても、蜂谷にはできるのだろう。自動でアザが消えていくのも、そういう術式を組めばできると京香さんが言っていた。後はこれがキャンセルできるかどうかだ。
パソコンやゲーム機を途中で無理やり止めたら、壊れてフリーズすることもあるし、データが飛ぶ事もある。
ではこの場合では、それは何に当たるのか。フリーズは、意識障害とかか。データは、記憶喪失とか、最悪は死だろうか。
送り込まれた呪詛は、どういうものなんだろう。あの蜂の形に意味はあるのか?毒蜂だから蜂、それとも蜂だから毒蜂?
明日京香さんに、蜂谷という術師についてもう少し詳しく訊こう。
そう決めた時、嫌な感じがした。
すぐに隣の家、京香さんの家へ行く。
皆川のいる客間の明かりが点いていて、飛び込むと、シャツをはだけた皆川の上に馬乗りになっている京香さんがいた。
物音で起きたのか、兄と直も来た。
ガックリと項垂れて、京香さんが呻くように言う。
「やられたわ」
「どうみても、やられたのは皆川だよ」
直の軽口にギロッとした目を向けて、
「私のタイプはもっと大人で経済力も抱擁力もある料理も上手な私だけを見てくれるイケメンよっ」
と主張する。
「いや、そんなヤツはいないだろ」
いても、そんなヤツは京香さんのトコには来ない気がする、と、料理だけでなく整理整頓も苦手だと丸わかりな室内を見廻して心の中で皆川のセリフに続け、僕はハッと、兄を背後に庇った。
「いや、わかってたけどね、怜のその行動は」
直は笑ってから、訊き直した。
「で、どうしたって」
「つい今しがた、蜂が1匹消えたのよ。この結界を破ってね」
忌々し気に腕を組んで仁王立ちになる京香さんの足元に座り込んだ皆川の胸には、赤い蜂が1匹だけ、留まっていた。
全員グッタリと、座り込んでいた。
あの後、手首の蜂が減った事に気付いた坂口さんがパニックになってエリカに電話をかけたせいで、坂口さん、エリカ、ユキがここへ押しかけて来、兄が変化があったら連絡するようにと言われていたので係長に電話をしたら刑事が7人も来、しかも、警察病院の医師とかまで来たので、京香さんの部屋は凄い事になっていた。
アザが消えないかとこすったり、叩いたり、冷やしたり、反対に増やせば猶予ができるのではないかと、赤の油性マジックペンで蜂の絵を書き込んでみたり。
もう皆川の目は、既に死んでいる。
「京香さん、ほかの霊能者に何か知ってる人がいないか──」
「もう、訊いたわよ。空振りだったけどね」
「くそっ。毒蜂を逮捕できなくても、せめて無効化できれば幹事長は──」
「向井君!」
警視庁からの刑事の1人が失言をし、それを別の1人が咎める。どうやら、どこかの政党の幹事長とやらも、胸に赤い蜂を飼っているようだ。
「蜂か。どうせならミツバチで、蜂蜜をプレゼントしてくれたらいいのに。蜂は蜂でも、駆除対象生物のスズメバチだもんね」
坂口さんがやけ気味に言う。
ああ、よくテレビで蜂の巣の駆除とかしてるな。あれ?
直も同時にピンと来たらしい。
「もしかしたら……」
僕と直は慌てて立ち上がると、僕は自宅から線香を持ち出し、直は扇ぐものを探し出した。それで、線香に火を点けて、煙を皆川と坂口さんの蜂に送り込む。大量の線香なので、煙が凄い事になっていた。
「スズメバチの、ごほっ、く、駆除、ごほっ、ごほっ」
「ぶ、仏像か、ごほっ、げほげほっ、俺は、ぶほっ」
「死んだら、げほ、リアルに仏だぞ、げほっ」
泣きながら煙を扇ぐ。
京香さんは、
「部屋が線香臭くげほげほげほっ」
と、そっちの意味でも泣いていた。
線香係、扇ぎ係を皆で交代して扇いでいると、変化があった。蜂がブレたようになり、フッと浮き出て、羽を震わせたのだ。
そこへすかさず、浄化の力を叩き込むと、蜂はポロリと落ちて、消え失せる。
皆が目の前の現象に呆然とする中、幸か不幸か慣れてしまっているメンバーは強かった。
窓という窓を開け、ドアも開け放ち、バタバタと煙を外へと追い払う。線香はビールの空き缶に突っ込んで、水を入れた。そして、
「兄ちゃん、線香買ってこないと。無くなったよ。ごめん」
と僕は謝った。
咳と涙が収まってくると、警視庁の刑事の内の1人は廊下に出てどこかへ電話をかけ、兄の上司の係長は、
「また明日──いや、もう明けてるか。じゃあ後ね──でいいから、詳しい話を聞かせてもらうよ」
と、力なく言った。
「はい」
「あ、僕なら今からでも構いませんよ」
「そうかい?」
と兄の顔色を見、
「じゃ、そうさせてもらおうかな」
と、言い直す。
と、そこで、坂口さんのスマホが鳴り出した。坂口さんと皆川はグッタリとしていて、寝かされて医師の診察を受けている。それでも電話に出た坂口さんは、
「ヒッ」
と声をあげて、スマホを投げた。
拾って耳に当てると、
「あれ。もしもーし」
と相手が言っていた。
「あのぅ」
「あれ、さおりんちゃんじゃないね。あ、君がそうか、術師だね。
見事に返されちゃったよ、呪詛。たいしたもんだ」
「それはどうも。まあ、まぐれみたいなもんでしたけどね」
「あれ?子供?」
「さあ。どっちみち、子供は子供かと問われれば子供じゃないと答えるものですよ」
「ははは、君、おもしろいねえ」
「そう言われるのは初めてです。
ひとつ訊いてもいいですか。依頼者のさおりんさんには、何もするつもりはなかったんですか」
「そんなわけないだろう。人を呪わば穴二つってね。依頼料は、依頼人自身さ。僕の傀儡になってもらう」
「善意のボランティアが、聞いて呆れるな」
「そう言うなって。君、気に入ったよ、うん。機会があれば、また遊ぼう」
「いやあ、知らない人と遊ぶのは、ちょっと。人見知りなんで」
「プッ、はははははっ。まあいいや。じゃ、またね」
そして、一方的に切れた。
「……ああ、面倒臭そうなやつだな、全く」
嘆息すると、兄と目が合う。
咄嗟に録音していたスマホは警察で調べられたが、毒蜂の行方などはわからないままだったし、どれだけの犠牲者がいるのかもわからないらしい。
ただ、坂口さんと皆川は衰弱していたが命に別状はなく、幹事長とやらが亡くなったというニュースも聞かないので、助かったのだろう。ああいう風に燻されたんだろうか……。
そして僕ら心霊研究部は、京香さんの家の大掃除と片付けをしていた。
線香臭くした復旧作業でもあるし、あまりにもな部屋が不憫でもあったからだ。
ようやく、これまで隠されていた部屋も公開できるように片付いて、ユキが作って来たマフィンでお茶となる。
「それにしても、人を呪うのまで他人任せ、おまけにネットとは。時代ねえ」
しみじみと京香さんが言う。
「丑三つ時にカーン、カーンと五寸釘を打ち付けるのが、やっぱり雰囲気があって、呪いって感じよねえ」
「様式美ですね」
「そうか?白装束に、五徳を被ってロウソクを立てて、それを誰にも見付からずに7日間だったか、やるんだぞ。そんな面倒臭い事、絶対ごめんだな。アルバイトでお金もらっても嫌だ」
「それで、ネットで代行なんだよ。現代ならではだね」
ああ、嫌だ、嫌だ。
「うん。美味いぞ、ユキ」
「そう、ありがとう」
ニッコリと笑う。美味しい料理は褒めるべきだ。褒められたら嬉しいし、作った甲斐もあるというものだ。
「それはそうと、毒蜂こと蜂谷。何か仕掛けてこないだろうねえ」
「縁起でもないことを。もうこんな騒ぎはこりごりだよ、面倒臭い」
「流石に同感だね」
一同揃って、嘆息したのだった。
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