第6話 水遊び(1)塩をまく幽霊

 フンッと鼻息も荒く、お爺さんが仁王立ちになって睨みつけて来る。

「ここはわしの家じゃ。とっとと出て行け、塩をまくぞ!」

「いやあ、お爺さん。幽霊に塩をまかれても、困るんですが……」

 僕は頭をかきながら言った。

 御崎 怜、高校1年生。この春急に幽霊が見え、話せる体質になってしまったものだから、安全に生きる為のノウハウを学ぶ為に、霊能者の助手のアルバイトをしている。

「フン、困っとるようには見えんがな」

 放っといてくれ。昔から感情が出にくく、無表情だのなんだのと言われているが、ちゃんと感情はあるし、大抵の面倒臭いことはなるべく避けるけど、兄が関係することなら話は別だ。1週間に3、4時間しか寝なくて済む無眠者であることを利用して、10時間加熱し続けなくてはならないクロテッドクリームだって作って見せよう。

 いや、話が脱線した。

 賃貸マンションに住んでいた独居老人が亡くなり、葬式も済んだのに、この通り居座っているのだ。不動産屋さんからの依頼で浄霊しに来たのだが、説得に応じる気配は微塵もない。僕の雇い主である辻本京香さんは強引に祓うのが普通なのだが、それをすると、霊に負担がかかって辛かったり、その反動がこちらに来たりもするらしいので、なるべくなら、説得に応じて穏便に成仏してもらいたい。

 京香さんは浄霊はできるのに、滅多に声が聞こえないらしい。それで、僕が説得を試みているのだが、

「だめなんでしょ、嫌なんでしょ。もう強制除霊でいいんじゃないかしら」

と、もう飽きたようだ。

「お爺さん。脅すわけじゃありませんが、強制浄霊は苦痛が伴います」

「脅しとるじゃないか」

「コンプライアンスです。お爺さん、向こうで奥さんも2号さんも待っているんでしょ」

「だから怖いんじゃろが」

「成程、それは道理だ。でも、逃げ続けるわけにもいかないし、それをすると、余計に怒られますよ、向こうで」

「……やっぱりそう思うか」

「はい」

 それで仕方なく、渋々ではあるが、お爺さんは成仏することに同意してくれた。やれやれ。

 その旨を京香さんに伝えると、京香さんは晴れ晴れとして、浄霊を始めた。流派、個人によってやり方は様々らしいが、京香さんのやり方は、合掌した後、指で大きく縦、横、縦、横、丸、合掌だ。これを対象の霊に向かってやると、霊がふわあっと光り、徐々に薄くなって行って、消える。

「はい、終了しました」

 京香さんは不動産屋さんに笑顔を向けて言い、依頼金の入った封筒を受け取った。

 お爺さんの自業自得だろうけど、がんばれ、お爺さん。

 僕らは部屋を出て、家へ帰ろうと歩き始めた。なんと、僕の家と京香さんの家は隣同士なのだ。通勤時間数秒。これは便利ではあるが、不便でもある。というのも、京香さんの料理の腕は壊滅的で、1度見かねて作ったら味をしめたのか、夕食作りもバイトに含まれてしまったのである。

 まあ、美味しいと言って食べてくれるなら嬉しいし、その程度ならいいけど。

「今夜は冷しゃぶサラダでしょ、楽しみィ。あ、今度牛すじ煮込み食べたい。そうめんチャンプルーも」

「はいはい」

 狭くて古いエレベーターで1階に降り、表に出る。

 そこで、2人の高校生くらいの女子とすれ違う。同じくキョロキョロとしているのに、片方は目を輝かせており、片方はオドオドともう片方の子の背中に隠れるようにし、受ける印象は随分と違う。

 更によく見ると、オドオドの方は同じクラスの女子だった。

 幽霊マンションの見学だろうか。顔を合わせて、何をしているのかと訊かれても困る。バレないようにとさりげなくよそを向く。

 面倒は御免だ。


 千切りキャベツ、スライスした玉ねぎ、千切りの人参、貝割れをポン酢で和えてたっぷりと大きめで深さのある皿に盛り、低温にくぐらせて熱を通し、ザルにあげて冷ましてから醤油強めのポン酢で味を付けた豚スライスをたっぷりと乗せる。豚は疲労回復のビタミンBが入っているので、暑くなり始めた今、兄に食べさせたい料理だ。

 豚冷しゃぶサラダに合わせるのは、だし巻き卵、筍の土佐煮、アサリの澄まし汁、土鍋ご飯。

 今日も帰るメールからのタイミングピッタリに帰って来た兄と、テーブルに着く。

 ひと回り年上のこの兄、司は刑事で、たまたますぐ裏の警察署に配属されており、帰るメールからほぼ5分で家に帰り着くのだ。

 弟から見てもかっこ良く、若手で1番のエースと呼び声も高い自慢の兄だが、友人にも少しブラコンだと指摘されるほど、僕を心配してくれているし、親代わりとして責任を持ってくれてもいる。

「ん、美味い」

 満足そうに食べる兄に嬉しくなりながら、僕も箸を進める。

「炊飯器で炊くのより、しっかりするよなあ」

「冷しゃぶサラダもさっぱりしてて、いいな」

 今日は本妻と愛人に挟まれるのに怯えて成仏を拒んでいたお爺さんがいたとか、刃物を振り回していた刺青も立派なヤクザが注射にビビっていたとか、そんな話をしながら食事をし、お茶を飲んでいた時、電話が鳴った。

 出た兄の表情が真剣になり、短いやり取りの末、刑事の顔になる。

「事件だ。取り合えず今夜は帰れないだろうから、戸締りをしっかりしておけよ」

 言いながら自室に入って手早くまたスーツに着替える。

「行ってきます」

「気を付けて。行ってらっしゃい」

 送り出してリビングの窓から裏の警察署を見ていると、しばらくして、兄が車で出て行くのが見えた。

「大変だなあ」

 言いながら見送り、後片付けをして、明日の弁当の下準備を始める。

 それで、先ほど遭ったクラスメートの事を思い出す。

 面倒の予感が、してきた。

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