第50話 渚沙、編集長になる

 フミからマインドコントロールされている弟子を救いたくて、ある日、渚沙は意図的にナータに質問した。


「日本には、自分の許可なしに、ナータに会いにいってはいけないという人がいます。本当にその人の許可が必要でしょうか」

「それは不要だ。誰でも私に自由に会いに来てかまわない」ナータが即答した。


 渚沙はあらかじめ答えを知っていたが、公表するために、みんなの前で意図的に尋ねたのだ。その席に、日本人は渚沙しかいなかったが――。渚沙はこの時のナータの言葉を、自分が作っている日本語の機関誌に掲載するつもりでいたのである。

 ナータももちろんすべてを承知している。事前の相談は不要で、いらぬことならナータは渚沙に質問する機会さえ与えない。

 渚沙を含める永住者たちは、ナータとのこうしたやり取りに慣れている。全知である生き神とだからこそ可能なわけだが、当たり前すぎてもはや感嘆することもない。


 渚沙は、機関誌の最終ページに『ナータの聖地に訪問をご希望の方は、日本にいる誰の許可もいりません。どなたでもお越しくださってかまいません』と記した。しかも毎号だ。

 

 じつは、人をマインドコントロールしている自称聖人はフミだけではなかったのだ。購読者の中には、他にも二、三人のスピリチュアル系のリーダーがいた。彼らは、カウンセラーやヒーラーで、お客やしもべなんかを従えている。機関誌を購読するように全員に命令し、リーダーから許可がもらえた人のみがナータに会いに行っていいらしい。

 何故、スピリチュアルとかいっている人たちは、揃いも揃ってをしているのだろうか……。

 今後、彼らのうち、どれくらいの人が自分の意思でナータに会いに来るか見ものだ。


 渚沙が機関誌を作り始めたのはちょうど一年前になる。というのも――


「生き神の言葉をじかに聞いているなら、それを人にも伝えなくてはいけないよ」

 ある日、ナータが渚沙にそういった。

 たしかに、貴重な生き神の言葉が渚沙のところで止まってしまうのはもったいない。渚沙は日本人なのだから、母国日本の人とナータのメッセージを共有すればいいだろう。

 ただ、具体的にどうすればいいかわからず、一年くらいエンジンがかからなかった。


 ある日、メールをいつも利用しているポータルサイトで、無料でホームページを開設できると知り匿名で日記を書き始めた。まだブログが流行はやる前だった。

 ナータの寺院で起こること、ナータのくれたメッセージや自分の実体験をほぼ毎日更新した。特に人に読んで欲しいと思っていたわけではない。趣味みたいなもので、好きなように思うままその日の出来事を書いていた。


 時々、渚沙の日記を偶然見つけた人が連絡してきて、ナータの聖地に行って見たいけれどどうすればいいですか、とメッセージを送ってきた。それでトントン拍子にナータの祝福をもらいにやって来て、あっという間にとんでもない地獄から抜け出せた人もいた。単なる渚沙の日記が幾分役に立っていたようだ。


 ネットで日記を始めてから間もなく、今度は機関誌を作ってみようかと思った。四、五年前から考えていたことではあった。

 ドイツ人は、隔月かくげつに機関誌を発行している。ナータの聖地にドイツ人がやたら多いのは、初めて訪問した外国人がドイツ人女性で、彼女が執筆した本を出版したり、機関誌を発行していたからだ。本は一般の書店でも購入できたが、機関誌は大袈裟なものではない。訪問者だけが読んでいる非常にシンプルな小冊子である。それなら渚沙にも作れそうだ。

 永住者の一人が英語が得意なので、渚沙が日本語版を出すなら、ドイツ語版からいくつかの良記事を選んで英語に訳してくれるらしい。


 渚沙は、ナータに日本語の機関誌を発行してもいいか尋ねた。

 すると、「かまわないが、一度始めたらやめてはいけないよ。覚悟はできているのか」といわれた。

「はい」渚沙は深く考えず返事をしていた。

 ナータはそれ以外何もいわず、それ以降も何も尋ねることなく、すべてを渚沙に任せた。


 自分の部屋が編集室で、渚沙が編集長になった。室員は渚沙一人だが、翻訳の手伝いや記事の提供者が臨時で何人か常にいた。渚沙はドイツ語版からためになりそうな記事だけを抜粋し、あとは自分で現地のボランティア活動を取材して記事を書いた。時には訪問者に体験談の執筆を依頼した。写真は九割がた自分で撮る。上質のコピー屋に行き、表紙のみカラーで簡単に製本してもらった。

 全二十ページの機関誌の作成は、渚沙にとって極めて簡単な作業で、一号、一週間あれば仕上がった。

 過去の経験も役立っていたようだ。東京での秘書時代も、文章を書いていたし、校正を頼まれたりしていたっけ。好きなことなので苦にならない。


 その機関誌は日本からの訪問者が持ち帰り、彼らから聞き知った人たちが読んでくれるようになった。最終的に六十人強の購読者ができた。トラタ共和国の寺院や聖地では会員システムがなく、過去の訪問者の連絡先がまったくわからない。機関誌ができたことを知らせる方法がないので、そのような形で小さく広まっていった。


 読者は現地の写真を見たり、現地の様子や、何よりもナータの話を知ることができるのを喜んでくれた。トラタ共和国から日本に郵送すると頻繁に行方不明になるので、人力で運ぶことになった。訪問者や帰国時に渚沙が運んだりした。そのせいで読者の手元に届くのが遅れがちだった。

 みんな渚沙が一人でやっているのを承知してくれており、誤字脱字も多いのに、誰も機関誌のことで渚沙にクレームをつけてこなかった。フミたち以外は――。


 ある日、秘書の小室比呂子が憤慨して、フミと少数の弟子の名前が、誕生月に掲載されていないと訴えてきた。渚沙は謝罪し、次回の号に掲載することを約束した。

 渚沙のアイディアで、購読者が希望すれば、誕生月に名前が掲載され、ナータからの祝福の言葉が添えられる。隔月なので、二ヶ月分の誕生日を迎える人が紹介されることになっていた。


 たかだか内輪だけの機関誌だ。極稀に、他にも誕生月の掲載を忘れらる人がいるが、みんな黙っている。逆に遠慮せずに教えて欲しいと渚沙が願っているくらいだ。それで、フミたちの過剰な反応にちょっと驚いてしまった。フミたちは、渚沙が故意にやったと思い込んでいたのだ。

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