23:50

聖 聖冬

第1話

「ほら見てよ、この手にある虹を!」


君は隣が空いているにも関わらず、椅子に座る僕を椅子にして、窓の外に映る虹を掴んでそう言う。

空は好きだ。足が生まれつき悪い僕にも、救われない子どもたちにも、皆に平等に広がるから。


「それは可笑しい、あんなに遠くにあるし」


「なら歩いて真下に行こうよ、明日休み取ったからさ」


「嫌だね、僕は出たくない。車椅子ってだけで好奇な目で見られるし、何より君が大変だろ。それに虹は明日には無くなるんだから」


「ぜんっぜん平気、皆が見るのは君のかっこよさに見惚れてるだけだし。それに虹は出るよきっと」


「僕はかっこよくない、それにあと少しで死ぬのにそんな気分じゃない」


「何それ、人が折角仕事終わって来たのに。もう帰るから、また死ぬ死ぬ詐欺ですかばーか」


「うるさいな! 何の連絡もしないで突然来たのは誰なんだよ、いつも自由過ぎるんだ。こっちには連絡しろって言うのに、自分は何も連絡してこないで」


「帰る」


「そうしろよ」


いつもいつも勝手な君に振り回される僕は、ついカッとなって君に真実を告げてしまった。でも信じてないなら良かったと、安堵したのに、死ぬ怖さで涙が止まらない。

隠す事なんて何も無いけど、幼い頃からずっと一緒に居た君にだけは、苦しんでいる姿は見せたくなかった。


医者から告げられた余命を明日で迎える実感が無い程、体の調子が凄く良い。もしかしたら、ずっとこれからも一緒にいられるかもしれないなんて、棚から取った写真を見ていると、そう思いたくなる。


そう言えば、何故君は明日に出掛けようと言ったのか、家に居る事が好きな君にしては、至極珍しいことを言った事が引っかかる。

何かあったかと机の前に車椅子を着け、机の真ん中にあるカレンダーを手にとる。


今日は8月の11日。

その隣の日には、知らない間に、赤ペンで誕生日と大きく書かれていた。


医者に告げられた命日と一致する日が、こんなにも早く来るだなんて、急ごうとする時を恨む。


「駄目だ、何もしてやれてない」


鍵も閉めずに家から飛び出して、突然激しく動かした手が、じんじんと痛む。

君の背中が見えるまで手を動かし続けるが、タイヤが道端の溝にはまってしまい、ガタッと大きく傾く。


動かなくなった車椅子を捨てて、手で這いながら前に進み続ける。


「待て! 動けよ、まだ立ち上がれる筈。今日は調子が良いんだから、いけるだろ!」


頑なに動いてくれない足に何度も拳を叩きつけ、一向に見えない君の背中を、夜闇の中に探す。

諦めて地面に蹲っていると、突然眩い光が目の前で点き、帽子のつばを少し上げた警察官と目が合う。


「こんな所で何してるの、早く立って」


「足が不自由なんだ、僕を連れて行ってほしい」


「いやいやいや、署で身柄を預かるから。身内に引き取ってもらるように、あっちで色々聞くから」


「待って下さい、その人の身内です」


真夜中の街灯も点かなくなった公園から姿を現したのは、目を赤くした君だった。


「あぁ、配偶者さん?」


「はい、すみません御迷惑をかけて。車椅子が動かなくなって、ここまで這って来たんだと思います」


「それなら良かった、目を離さないでよこれからは。こっちからは不審者として見えるんだから」


「はい、すみませんでした」


余程手続きなどが面倒だったのだろう、ロクに身分も確認せずに立ち去った警察官を見送った君は、次は僕の方に振り返る。

また怒られるのか、嫌味を言われるのかと身構えていたが、黙って僕の車椅子を探して、座るのを補助してくれる。


君は何も言わずに僕の車椅子を押して歩き始める。恐らく君も飛び出してしまったから、意地を張っているのだろう。

また今回も始まった意地の張り合いだが、結果は言わずとも分かっている。


僕の家に着いた頃には虹も消えていて、君の顔も疲れ果てていた。

もう昔みたいに学生でもないのに、年甲斐も無く泣き疲れてしまったのだろう。


「ごめんね、こんなにも弱くて」


君の補助を借りて椅子に座って、最初に謝罪をする。

隣に座った君は空を見上げながら、溜息混じりの深呼吸をする。


「別に、こっちももう30代なのに大人げなかった」


「君が頑張ってたゲーム、クリア寸前だったの見てレベル1で上書き保存した。ごめん」


「良いよ別に、もうやらないし。それより君と過ごすって決めたし、それに私も君に借りたCD返してないし」


「良いよ、もう全部あげるから。この部屋の物も全部、物は少ないけどさ」


「一緒の部屋に並ぶ事になるんだから要らない、それで何か用があったんじゃないの?」


「家の鍵忘れてたから、届けに行こうとおもって」


「……ならそう連絡してくれれば良かったのに、兎に角お風呂に入って来て。道路を這うなんて汚いでしょ、洗濯するから早く」


半ば抱えられる形で浴室に押し込められ、服を無理矢理脱がされ、椅子に座らされる。

扉を閉めてタオルなどの用意をし終えて、君は洗濯機を回す。


「上がる時は言って」


「分かった」


お湯を出して頭を洗いながら考え事を始め、泡を洗い流して体を洗い終える。

僕が死んでしまったら君はどうなってしまうのか、そんな事しか考えられない。


5年前にスカウトされて歌手としてデビューした君は、僕が大好きな音楽を続けてくれるだろうか。

次の恋愛にも臆病になってしまったりしないか、今になって心配をして来なかった事が、突然心配になってくる。


1日暇と言うのもなかなか疲れる所為か、僕の意識は突然途絶える。

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