五話:そうして彼は。
「でも僕だったら、好きじゃない人とは絶対に結婚しないかな」
「……理由を聞いても?」
これは聞いたことがなかった。なんとなくそんな気はしていたけど、彼の口から聞くのは初めてで、『私』にとっても重要なことなのだ。
「だって、結婚したら毎日その人の顔を見なきゃならないんだし、一緒にいる時間も増えるんでしょ? しかも、自分の時間を好きでもない相手に割くなんて、ちょっと勿体ないと思うんだ」
「もしかしたら、結婚して一緒にいる時間が長くなることで好きになるかもよ?」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。だったら、ちゃんと好きな人を見つけてから結婚した方がいいと思うんだ。その方がずっと幸せになれると思う」
そうか、彼はそう考えてくれてたんだ。ちょっと心の奥が温かくなる。
「結構ロマンチストなのね?」
「お姉さんが現実的すぎるだけじゃない? もしくは、僕が現実を見なさすぎなのかも」
それももちろんあるだろう。彼が大人になった時、同じように考えてるとは限らないのだ。
けれど、私には彼の考えが変わらないという確信めいたものがあった。
「さあ、もうそろそろ僕は夕飯を食べようと思うんだけど? お腹が空いちゃった」
ふと壁掛けの時計を確認すると、もう夜の8時を回っていた。
そんなに話したつもりはなかったのに、どうやら随分と時間が経ったみたいだ。
「ごめんね、話を聞いてくれて」
「いや、僕も話をしていて楽しかったから。お姉さん、家は近所?」
「んー、来ようと思えば来れる距離だけど」
「またうちに来る?」
「いや、多分もうこないと思う」
そう、『私』が彼に会うのはこれが最後になるだろう。
「そっか、ちょっと残念だ」
その言葉がすごく嬉しい。彼に嫌われなくてよかったと、心の底から思う私がいる。
「これ、お姉さんが持っておいて」
そう言いながら差し出された、白いピアノのキーホルダー。
「キミが大事にしていたものじゃないの?」
「いいんだ。さっきの約束の前払いみたいなものだから。また会った時に返してくれればいいし」
「大事にするね。けど、絶対無理はしないで」
「大丈夫だって。もう子供じゃないんだよ」
「ふふ、生意気ね」
玄関に私と彼の笑い声が響く。
「それじゃ、また」
「うん、またいつか」
ドアが閉まった直後、『私』は飛んだ。
これまでで一番、心を弾ませながら。
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