2

 教室を出たときにはすでに彼の姿は見えなくなっていた。けど、向かった先が第二美術室なのは確かなはず。

 第二美術室を目指す。次第に人がはけ始め、いつの間にか誰もいなくなる。

 誰もいない、いつも通りな廊下が広がる。けど、今日はその静けさがなんだか怖く感じる。ぞわりと、なにか冷たいものが背筋を走る。


 そのとき、だった。


「部外者を勝手に学校に連れて来ていただなんて、前代未聞の問題ですよっ⁉」

「⁉」


 女性の金切り声が廊下内に響き渡った。

 思わず、ビクッ! と肩が揺れる。


(だ、誰⁉)


 というか、今のって、第二美術室の方から聞こえてきたような。しかも、『部外者』って……。

 足音に気をつけながら、第二美術室に近よる。そっと、これまた音をたてないように気をつけながら、ドアをほんの少しだけ開ける。

 ドアの先には、見覚えのある三人の背中があった。高島くん達だ。一人は猫背気味に、一人は頭を掻きながら、一人はそっぽを向きながら、それぞれ床の上に正座をしている。

 そして、その前には三人の大人達の姿が――……。


(あれって、教頭先生……⁉)


 狭い隙間から見えた、教師の姿に目を見張る。

 転入当初に会ったきりのその女性教師は、いつもピリピリとした雰囲気のある教師だ。さらに指導が厳しく、少し制服が乱れていたり、廊下で笑い声をあげているだけでキツイ言葉と視線が飛んでくる。おかげで生徒の間ではあまり関わりたくないランキングワースト1位だ。

 一昔前のデザインのように尖った形をした紫色のメガネに、やけにくるくるとうねっているおばさんパーマが特徴的なことも相まって、紫ババァだなんて妖怪じみたあだ名がささやかれていたりする。

 その教頭の横には苦虫を潰したような顔のうちのクラスの担任が立っている。さらに横に立っているもう一人は――……。


(た、保先生⁉)


 な、なんで⁉ 全然関係ない先生だよね⁉ なんで保先生がいるの⁉ ――驚いて目を見張る。が、その答えは次の瞬間、教頭先生が吐きだしてくれた。


「保先生から報告を受けなければ、こんなことをしているなんて知りもしませんでしたよ! 全く、高校生にもなって、良いと悪いの分別もつかないのですか!」


 保先生から報告を受けて――? その言葉に、ある会話が頭の中によみがえってくる。


『軽音部の部室? ……それなら第二美術室のことだな』

『……しかし、あそこの部は確か……』

『……いやなんでもない。軽音部に入るのかね』


 もしかして、あの時の会話がきっかけで、斎藤さん達のことにバレてしまったんじゃ……。

 サーッ、と顔から血の気が引いていく音がする。


(私のせい? 私が考えなしに先生に場所なんて聞いたから……?)


「大体、軽音部は廃部という形に至ったはずです。それがここのところ、急に楽器の音がするだの、おかしな噂ばかりたってきて――……」

「えー? でも、Mrs.教頭? 軽音部は廃部じゃなくって、保留って話だったじゃねぇっすかー。俊人がいなくなるまでは、一応『部』扱いって、昨年、そーいうことになったじゃん」

「一人しかいない『部』のどこが、『部』ですか! それよりも、斎藤くん! アナタは卒業生でしょう! 大学生になってもこんなことして、恥ずかしいと思わないのですか⁉」


 その変な呼び方もおやめなさいと言っているでしょうっ! 大体、アナタは在学中の頃も問題ばかり起こして……‼ と教頭先生が、ぐちぐちと言葉を続けていく。うへぇ、と斎藤さんが、隣の掛石くんよろしく顔を横にそむけながら、舌を出した。


「それに、そちらの子も……」


 チラリと、教頭先生が掛石くんの方に顔を向ける。


「見覚えのない顔ですね……。一年生ですか? 校則で、ピアスが禁じられているのは知っておりまして?」

「……さぁー。そういうの、興味ないんで」


 まあ! と教頭先生が声をあげる。おい、一ちゃん! とあわてて斎藤さんが掛石くんに注意するものの、本人はケッと唾を吐くような動作をして、再びそっぽを向いてしまう。


「まぁまぁ、教頭。確かに、軽音部の件は昨年保留となったのは確かですし、廃部、というのは、いささか言い過ぎでしょう」


 ね? と担任が弁護するように教頭をなだめる。しかし、それでも教頭の怒りが収まることはなく、ですが! と声を荒げている。

 と、そのとき、あの……、とゆったりとした声が場にあがった。


「二人、は、悪くない、です……。俺が、考えた、んで……」


(高島くん!)


 高島くんがスッと軽く手を挙げながら、なので、罰、とかある、なら……、俺、だけ、で……、と言葉を続ける。抑揚のない様は普段通りだ。先ほどの焦りのようなものは、そこからは一ミリも感じられない。


(もしかして、自分一人で、全ての責任被る気⁉)


 確かに、提案をしたのは高島くんだという話だ。でも、彼一人で全て責任を被るのは違うし、そんなの絶対にダメだ。

 けれど、だからと言って斎藤さん達を巻き込んでいいかと言われたら、それもダメだ。


 なら、一体どうすれば――……。


「そんなのは当たり前でしょう! 高島俊人、アナタにはそれなりの罰則を与えます!」


 怒り心頭の教頭先生の声が教室内に響き渡った。


「そもそも、いくらOBとは言え、学校に連れてきていいわけないでしょう⁉ 普通は、それなりの許可というのを学校側に取るのが手順です! まあ、今回のような場合で、まず許可が下りることは、滅多にないでしょうがね! 全く、これだから軽音部は! そういう風に人としての成りがきちんとできない人達ばかりだから、廃部なんて結果まで招いたんじゃないですか?」


 大体、と教頭先生がその腰に手を当てながら、キッとメガネをかけ直した。


「身なりもだらしない、成績も足りない、それだってのにこんなチャラけた音楽ばかりやって。アナタ達も学生ならもっと他にやるべきことがあるでしょう。楽器ばっか弾けても、将来なんになりますか。そんなもので食べて行ける程、世の中は甘くありませんよ? 現にこんな目にあって。今が楽しければいい、だなんて甘ったれた考えで遊んでばかりいないで、アナタ達はもっと、自分自身の今後、というものを考えるべきですっ!」


 わかっていますか⁉ と教頭先生が声をあげる。高島くん達の間に無言の間が広がる。


(……確かに、教頭先生の言い分はもっともだ)


 将来のことを考えるなら、音楽なんてやってなんになるのだろう。掛石くんだって言ってたじゃないか、これぐらいの演奏なんて、世の中出来る奴はいっぱいいる、と。

 私の絵が母の絵に似ているように。私ごときの絵が、他の人に適うわけがないように。

 この世には凄い人達がいっぱいいる。自分なんかじゃ、適わないぐらいに。

 自分なんかがその中に入れるわけがない。

 それができたって、はたしてなにになるというのか。


 ――……でも、


「そ、それはっ! 少し、失礼なんじゃ、ないですかっ!」


 バンッ! と勢いよく、目の前のドアを開けた。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る