3


「俊人、チューニングは?」

「ん……。ちょっと、待って……」

「ちょっと、斎藤さん、もう少しクラッシュ右に寄せてください。じゃまです」

「これ以上こっち近づけたら俺の顔に当たるから!」

「じゃあ、いっそのこと、顔で叩けばいいでしょ」


 ひどくね⁉ とわーわーと会話をしながら三人がそれぞれのポジションにつき始める。

 三角型の陣形らしく、私から見て、高島くんが右に、掛石くんが左、その間から顔を出すように、真ん中、二人の後方位置に斎藤さんがドラムを設置して座る。


(なんか、準備中から不安になる会話だなぁ……)


 思わず遠い目をしながら、椅子に座ってその光景をながめる。

 が、それも演奏が始まるまでだった。

 それじゃあ、と高島くんが声をあげる。いき、ます……、と数刻前となにも変わらない喋りで告げると、合図するようにカンカンカン、と斎藤さんがスティックを鳴らした。


「One,Two……,One! Two!」

 

(!)

 

 それは、音の波だった。

 

 左、右、真ん中、それぞれの方角からそれぞれの音があふれ出す。全く違う音が、一つの旋律を生み出そうとぐわぐわに私の鼓膜を揺らしながら、私を丸ごと飲みこんでいく。

 ドンドンッと、鼓動に近い、けれどそれよりも力強く、リズミカルな衝撃が、何度も何度も私に向かって体当たりをしてくる。


(お、音って、こんなに痛いものだったっけ……⁉)


 音が空気を揺らして鳴るものだということは、小学校で習うことだ。つまり音とは、いわゆる衝撃波だということ。空気という目に見えない物体を揺らして、それを人に伝える。

 けれど普通、その衝撃を人が感じることはない。電話やネットの電波がそこら中に飛んでるのに、それを痛く感じないように、音に対して痛みを感じることはない。

 でも、今、この瞬間だけは、そんな理論、どっかにすっ飛んだ。

 この音の波の前に、遙か彼方に弾き飛ばされてしまった。


(CDや動画なんかで聴くのとは、わけが違う! 生演奏ってこんななの⁉)


 三人が演奏をしたのは、いわゆるポップミュージックと呼ばれる形態のメロディーだった。

 軽快な、思わず踊りたくなるようなリズミカルなメロディー。聴いてるだけで気分が高揚しそうな明るい音楽。

 そこにロックならではの、力強いギターサウンド、低く唸るベースサウンド、そして弾き飛ぶようなドラムの音が加わり、ポップともロックともつかない、けれども不思議と思わず手を叩いてしまいたくなる、音があふれ返る楽しい音楽になっている。

 けど、なによりも一番驚いたのは……。


(た、高島くんが歌ってる……‼)


 甘やかな低音ボイスだった。それは、まごうことなき高島くんの声だった。普段よりも少し高めだけど、それでも、その声はどう聴いても高島くんのものだ。

 というか、実際に目の前でマイクに向かって口を開いているのだから、彼しかいないのだけど。


(もしかして、サイトに書いてあった『Vo&Ba』って、『vocal』と『base』って意味⁉)


 でも、そう考えればあの表記に納得がいく。

 

 目を丸くしたまま固まってしまう。

 

 あのゆったりとした独特な喋りしかしないはずの彼が、今マイクを通して、そのメロディーの上に言葉をのせている。流暢に紡がれる歌からは、普段の彼の喋りは想像もつかない。

 しかも、素人耳にもわかる、力強く、きちんと腹の底から声を出していることのわかる声量が、彼の口からこぼれていく。揺れることもブレることもなく、低く聴き心地のいいボイスが続いていく。時折、音が出ないのか、それともそういう癖なのか、歌詞の端々で掠れた声が聞こえるけれど、けど、聴いてる側からすれば、それもまた一つの味として聞こえる。

 音楽に関してそんなに詳しいわけじゃない。でも、それでもわかる。


 この人は、凄く、上手い人だ――。


「っ、ちょっと! 斎藤さん! ドラムうっせぇーんですよ! 狭いんだから、力加減しろって、いつも言ってんでしょっ!」

「OH《はぁ》!? What《俺ぇ》!? そんなこと言うんなら、一ちゃんだって爆音master《野郎》になってるからね⁉ もうちょい音量の出力下げなよ!」

「仕方ないでしょっ! アンプが近すぎて音が響いてるかわかんねぇんですよ!」

「二人、の喧嘩……の方、が、うるさい……」


 ハッと我に帰ると、音の波は終わっていた。

 先刻となんら変わらない三人の声が室内に響き渡っている。どうやら、さっきの演奏で何か問題点があったらしく、斎藤さんと掛石くんが言い争っている。

 けど、私の頭は未だに先ほどの音の渦が続いている。

 流れこんできた、知らないはずのメロディー。それが、起こした波の名残がずっと目の前でチカチカと舞い続けている。


「す、凄い……」


 ん? と三人が私の方に顔を向けてきた。


「凄い……っ、凄いですっ! 私、生演奏って、初めて聴きましたっ! こんなに凄いんですかっ! 音がぐわって来るって言いますか、勢いに飲まれると言いますか、とにかく凄いです! 凄い、すごーいっ‼」


 次から次に、凄い、という言葉だけが口から出てくる。それ以外になんて言えばいいのかわからない。とにかく、本当に凄かったのだ。

 自分の語彙力の低さに泣けそう。でも、とにかく凄い。



 凄くって、凄く――……、かっこいい。



「っ、こ、これぐらい、別に、どんなバンドだって演奏できますよっ。これだから楽器をやったこともない素人は……っ」

「あーっ、一ちゃん、照れてるぅー!」


 照れてませんっ! と掛石くんが、顔を真っ赤にしながら叫ぶ。そんな様子に、Eh~? と斎藤さんがニヤニヤと笑う。と、さらに顔を真っ赤にさせた掛石くんが、本気で斎藤さん掴みかかったところで、まあまあ……、と高島くんが止めに入った。


「そんな、に、凄かった……?」

「うん!」


 高島くんの質問に、即答する。そっか……、と高島くんが、その口元に小さな笑みを浮かべた。


「でも……」

「ん?」


 こんな、凄い演奏ができる人達のジャケットを、私なんかが、本当に描けるんだろうか。


 やると宣言した手前、やっぱりやらない、だなんてもう言えない。でも、それでも、こうして、いざ本人達の演奏を耳にしてしまうと、怖気ついてしまう。

 今までキラキラ輝いていた音楽が萎んで、さっきまでの不安が胸中に巻き返してくる。


「……古賀さん」

 高島くんが私の名前を呼ぶ。ハッとして顔をあげると、長い髪の隙間から、優し気な雰囲気の目とあった。


「俺は、好きなもの、に、しか……、好きって、言わない、よ……」

「!」

「やりたいこと、にしか、やりたい、とも、言わない……。だから、古賀さん、も……。好きにして、いい、んだよ……?」


 聴かなくっちゃ、音楽、は、始まらない……、でしょ? ――いつぞやの言葉に、彼がそう言葉をつけたす。


「……うん」


 うん。そうだね――、高島くんの言葉に頷き返す。


(私のやりたいこと。好きなこと)


 こんな自分で、本当に彼らの望むようなことができるか、わからない。

 お母さんにそっくりだと、そう言われた言葉は未だに胸に残ってる。それにお父さんのことも。他にも、色々不安はつきない。今だってまだぐるぐると渦は巻き続いてる。

 でも、それでも、

 

(やってみたい)

 

 やってみたい。私も、私の好きなことを。私のやりたいことを。


 この人達と一緒に、やってみたい。

 

 よっしゃー! 二曲目やるぞー! Let’s next music! と斎藤さんが声をあげる。それにあわせて、掛石くんが呆れたように、高島くんが苦笑気味に、けど楽しそうに再び三人で演奏を開始する。

 結局、ライブのあとに、私がやる、という宣言をすでにしていたことを高島くんが告げ、これやる意味なかったじゃないですか! お前はいつも説明が足りないんだよっ! と掛石くんと斎藤さんが怒ったり、それをあわてて止めたり、と色々あるのだけども……。


 そこはまあ、さておき。


 なにかが始まる予感がした。

 なにか新しいことが、今度こそ、始まる予感が――。



 けど、そのときの私はまだ気づいていなかった。


 なにかが始まる予感。


 それが決して、いいことだけ、だなんてわけではなかったことを。

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