第2章 ふたつのはじめて

第3話 ふたつのはじめて

 最初こそドキドキワクワクしていたけれど、放課後が近付くにつれなんとなく気持ちが重くなってくるのを感じていた。

 もうすぐ帰りのホームルームが始まる。これが終わったら……。


「はぁ……」

「どうしたの?」


 自分の席で溜息をつく私に、美咲は不思議そうな顔で尋ねてきた。

 このもやもやをどうにか伝えたいと思うんだけど、上手く言葉に出来ない。


「うーーん……」

「さっきまであんなに浮かれてたのに」

「そんなこと……」

「ないって言える?」

「言えないけど……」


 私の態度に、美咲は不服そうだ。

 でも……。


「なんかさ……断るために会いに行くのって嫌だなぁって思って」

「じゃあ、付き合っちゃえばいいじゃん」


 私のたもっちゃんへの気持ちを知らない美咲は、簡単なことだよと言う。

 そりゃあ、好きな人がいなければ確かに美咲のいう通り付き合ってみてもいいのかもしれない。

 でも……。


「それはできないよ……」

「なんで? だってさ、さっきゆきちゃんはああやって言ってたけど、付き合いだしてから好きになることだってあると思うんだよね」

「そうかもしれないけど……」


 本当のことを言っていない私が悪いのかもしれない。

 美咲は私がたもっちゃんを好きだなんてこれっぽっちも知らないんだから、しょうがない。


「美優だってそう思わない?」

「う、うーん……どうかな……そういうこともあるのかもしれないけど……」

「あるって! だからさ、ちょっと付き合ってみてそれから考えてみてもいいんじゃないかな」


 しょうがないんだけど……。

 でも、こうもしつこく言われると……。


「うーん、そうだね……でも……」

「でもじゃないって! ね!」

「う、うん……」

「でも、いいなー」

「え?」

「私も告白されたい!」


 頬を染めて美咲は言う。

 この後、なんて続くかなんてわかってる。でも……そんなの聞きたくない。私だって、私だって――。


「もちろん相手は藤原先生! なんちゃって……」

「っ……」

「藤原先生、私に告白してくれないかなー。ね、美優。どうおも――」

「うるさい!」


 思わず声を荒らげてしまった私を……美咲は驚いた顔で見つめていた。


「……え、美優? どうし……」

「あっ、わ、私……ごめん!」


 慌てて美咲から顔を背けると……私は近くにあったゴミ箱を手に取った。


「わ、私! ゴミ捨て行ってくるね!」


 近くにいたクラスメイトにそう言うといってらっしゃーいという声が聞こえてくる。

 その声を背中に聞きながら、私は美咲の顔を見ることなく教室を飛び出した。



「はぁ……」


 裏庭にあるゴミ捨て場で、持ってきたゴミ箱はとっくに空っぽにした。けれど……どうしても教室に戻りたくなくて、私は空になったゴミ箱を隣に置いて階段に座り込んでいた。


「どうしてあんなこと言っちゃったんだろう……」


 美咲の気持ちなんてずっと前から知っていたし、私がたもっちゃんのことを好きだって知らないんだから仕方がない。仕方がないって分かってるけど……。


「もうやだ……」

「……大丈夫?」

「え……?」


 俯いてしゃがみ込む私の頭上で、誰かの声が聞こえた。

 その声に思わず顔を上げると……知らない男の子が立っていた。


「あの……」

「あ、ごめんね。こんなところに座り込んでいたから、気分でも悪いのかと思って」

「そうじゃないけど……」

「そっか、ならよかった」


 ニッコリと笑うとその男の子は……私の隣に座った。

 突然の出来事に理解が出来ずにいると、その男の子はそれで? と私に尋ねた。


「……何が?」

「ん? 気分が悪いんじゃなかったら、何かあったんじゃないの?」

「別に……」


 あったとしても、見ず知らずの男の子に言うわけないじゃない……そう思ったのが顔に出ていたのか、その子は小さく笑った。


「まあ、知らないやつに何があったかなんて言わないよね」

「え、あ、うん……」

「でも、知らないやつだからこそ、何のしがらみもなく話せるってこともあるかもしれないよ?」

「え……?」

「だって、君は俺のことを知らないでしょ。その辺の石ころよりマシだと思って、話してみたらすっきりするかもしれないよ」


 そう、なのだろうか……。正直半信半疑だった。でも……隣でニッコリと笑う男の子を見ていると、自然と口が開いていた。


「あの、ね……ちょっと友達とその……」

「喧嘩?」

「喧嘩って言うか……私が一方的にキツく言っちゃって……」


 そう、美咲は何にも悪くない。だって、知らないんだもん……。私が、言ってないから……。

 何度考えても、そこに行きつく。

 結局は、私が悪いんだ。

 私が、美咲に隠していたから……。


「そっか。でも、何かあったからそういう言い方をしちゃったんじゃないの?」

「え……?」

「だってさ、相手が何もしてないのに一方的に酷いことを言っちゃうような子に見えないし。それに……そういう子だったら今こうやって落ち込んでないでしょ」

「……うん」


 どうしてだろう、誰かも分からないのに……その口から紡がれる言葉は優しくて温かくて……ささくれ立っていた心を包み込んでくれる――。


「あの、ね……その子と、好きな人が一緒で」

「そ、う……なんだ」

「どうかした……?」

「ううん、なんでもない。続けて」


 一瞬、苦虫をつぶしたような顔をその子はしたけれど……気にしないでと言う言葉に甘えて、私はそのまま話を続けた。


「でも……私はその子に同じ人のことが好きだって言えてないの」

「そっか……」

「言った方がいいのはわかってるんだけど……今更どんな顔をして言えばいいかわかんなくて……」

「それだけ?」

「え?」

「どんな顔をして言えばいいか分からないから、言えないの? ホントに?」


 ……それが言い訳だって、彼は気付いていた。そう、言い訳だ。本当は――。


「怖いんだと、思う」

「うん」

「同じ人を好きだって美咲が知って、ギスギスしたり今まで通りいられなくなるのが、怖いの」


 そう、私は怖いのだ。美咲を傷付けることが、ではなくて――美咲との関係が変わってしまうのが、怖くて怖くて仕方がないのだ。

 たもっちゃんのことは好き。本当の本当に好き。でも、美咲のことだって、大切で大好きな友達なんだもん……。


「その気持ちを、正直に言えばいいんじゃないかな」

「え……?」

「きっと、相手も同じ気持ちだと思うよ」


 そう言うと……彼は私の後ろを指差した。

 その手に導かれるように振り返ると……そこには、目を真っ赤にした美咲の姿があった。


「バカ!!」

「美咲……?」

「なんでもっと早く言わないのよ!! 私、知らなくて……傷付けちゃってたじゃない……!」

「ごめん……」

「ごめんは私のセリフでしょ! ……ごめん、知らなかったとはいえ、無神経なこといっぱい言った……」

「ううん、私の方こそ……言えなくて、ごめんね……」


 美咲の頬を涙が伝う。コンクリートでできた地面には、ぽたりぽたりと二人分の涙の痕ができていく。


「ホントだよ……。もっと、早く言ってよ……。友達なのに……」

「うん、ごめん……ごめんね……」


 私の肩にしがみつく美咲を、ぎゅっと抱きしめると……ガサっという音が聞こえた。

 音のする方を見ると、先程まで隣にいた男の子が去って行こうとするのが見えた。


「あ、あの……!」


 あの子のおかげで、こうやって美咲と仲直りすることができたのに、お礼も言えていない。思わず呼びかけた私に、彼はニッコリと笑った。


「よかったね」

「お礼! お礼したいから、名前……!」

「……気にしないで。じゃあね、新庄さん。……またあとでね」


 最後の言葉は小さくて、なんて言ったのか分からなかったけれど……彼はもう一度微笑んで手を振ったかと思うと、私たちを残して行ってしまった。


「……あれ?」


 どうして、私の名前知ってたんだろう……。私、名乗ってなかったのに……。


「ね、さっきのって、誰……?」

「えっと、わかんない……」

「わかんないって?」

「ここで、初めて会ったの」

「ふーん? でも……向こうは美優のこと、知ってる感じだったね」

「うん……」


 誰かは分からないけれど、今度また会えたらきっとお礼を言おう。あなたのおかげで、美咲と仲直りできたよって。

 そして……名前を教えてもらうんだ。


「……そろそろ教室戻ろうか」

「うん……」


 掃除の時間の終了を告げるチャイムが校舎内に鳴り響き始めた。私たちは、空っぽのゴミ箱を二人で持つと、教室までの道のりを歩き出した。

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