13歳、まだ本当の恋は知らない

望月くらげ

第1章 幼馴染で先生で

第1話 幼馴染で先生で

 朝、玄関にかかっている鏡で全身を念入りにチェックする。寝癖なし、グロス代わりに塗ったリップははみ出してない、スカートも注意されない絶妙な長さに折ってある。


美優みゆう―! いつまで鏡見ているの! 早く行きなさい!」


 お母さんが怒っている声が聞こえるけれど、今日は一時間目が数学なんだもん。仕方がないじゃない。


「よし、これで大丈夫! いってきまーす!」


 最後に毛先を指でくるりと丸めると、なんちゃってパーマみたいにして私は家を飛び出した。

 学校までの道のりを一人で歩く。本当は、幼馴染で同じ学校に通うたもっちゃんと一緒に行きたいんだけど、その願いは一度も叶わずにいる。

 たもっちゃん曰く、生徒と教師が一緒に通学はマズイ、とかそもそも私が行くのが遅すぎて職員会議に間に合わないとか……。とにかく、いろんな理由をつけて一緒に登校してもらえずにいる。

 まあ、一番の理由は、他の生徒に示しがつかないってことなんだろうけど……。


「先生と一緒に登校したって、別にいいじゃんね……」


 はぁ、と私はため息をつく。そう、先生なのだ。たもっちゃん――藤原ふじわらたもつ先生は私の通う中学で教師をしていた。

 十三歳年上のたもっちゃんと一緒の学校に通えると思って、猛勉強して受験に合格した私は最初こそショックを受けた。……でも、今年は担任を受け持ってもらえているし、毎日ある数学の授業中はずっとたもっちゃんのことを見つめていられるし、ホントこの学校に決めて良かったと思う。


 それに、去年は真ん中ぐらいだった数学の順位が今年は学年で十番以内に入ったものだから、両親もたもっちゃんには凄く感謝しているらしい。……私が努力した結果だと思うんだけどね? そこは特に褒めてもらえなくてちょっと悲しい。


 でも、たもっちゃんが褒めてくれたからそれでいいんだ。そのために頑張ったようなものだから。

 ただ――最近の私には少しだけ悩みごとがあった。


「おはよー」

「おはよう、美優」


 学校に近付くにつれて、見覚えのある顔をちらほら見つける。その中にゆきちゃん――同じクラスの松井まつい雪奈ゆきな――の姿を見つけて私は駆け寄った。


「あ、またグロスつけてる! 先生に怒られるよ?」

「違いますー、これはリップですー」

「色つきリップでしょー?」

「まあね。ちょっとでも可愛く見せたいもーん」

「美優は十分可愛いよー」

「まだまだダメだよー!」


 そう私なんてまだまだ……。でも今はまだ無理だけど……この学校を卒業して先生と生徒じゃなくなったら、言おうと決めていることがある。

 子どもの頃から、たもっちゃんのことが大好きだと、付き合ってほしいと伝えたい。

 そしていつかは――。


「で? その先生とは仲直りしたの?」

「仲直りって……別に喧嘩してる訳じゃあ……」

「そうだね、一方的に避けているのは喧嘩とは言わないよね」

「う……」


 そう、ここ数週間……たもっちゃんとはまともに話をしていない。

 なんでかというと……。


「だって、恥ずかしくてたもっちゃんの顔、まともに見えないよ!」

「何をいまさら……」

「だって、あんなの有り得ないでしょ!?」

「まあ、確かに有り得ないけど……」


 今思い出しても、恥ずかしさで叫び出しそうになる。

 数週間前、雨に濡れて帰ってきた私は自宅でシャワーを浴びたあと、体重計と戦っていた。一グラムでも軽く表示されてほしい! そう思って片足を上げたり、つま先立ちをしたりしていたんだけど……よりにもよってそんな時に、遊びに来たたもっちゃんが脱衣所のドアを開けた。

「あ、悪い」

 なんて言ってすぐにドアを閉めてくれたけれど……でも、見られた。素っ裸で体重計に乗って、しかもつま先立ちでプルプルしているところを、たもっちゃんに見られてしまったのだ。


「ほんっと有り得ない! たもっちゃんに体重見られるなんて! しかもあの日、いつもより五グラムも多かったのに!!」

「美優は、それより裸を見られたことの方を恥らおうよ……」


 呆れたようにゆきちゃんは言うけれど、私にとっては一大事だ。スタイルのいい姉を持つ妹としては、一グラムでも軽く思ってもらいたい! お姉ちゃんよりも重いだなんて、たもっちゃんにだけは知られたくなかった……。


「あ、可愛いといえばね」


 はいはい、と私の悲痛な叫びをゆきちゃんは聞き流すと思い出したように言った。


「この前さ、A組の子から聞いたんだけど」

「A組?」


 A組といえば、うちの学校の中でもトップレベルの子たちが集まる特進クラスだ。そんなクラスでいったいなにが話題になっていたというんだろう。と、いうか勉強以外の話をするA組なんて想像がつかないんだけど……。


「なんかね、A組にね、美優のことを好きだって男の子がいるんだって」

「へー、美優を……って、えええ!? 私を!?」

「うん、そう言ってたよ」

「そ、そうなんだ……。でも、私たもっちゃん以外興味ないからなー」


 気にならないふりをした私に――ゆきちゃんはそうだよね、と頷いた。


「美優が好きなのは藤原先生だもんね。だから、美優には好きな子がいるよーって言っておいた」

「え……なんで!?」

「なんでって……興味ないでしょ? 他の男子なんて」

「それは、そうなんだけど……」


 そうなんだけど……でも、私のことを好きだって言ってくれてるっていうのは嬉しいし、それに……どんな子なのか気になるじゃない。

 当たり前のように興味ないでしょ、と言うゆきちゃんに……私は意を決して聞いてみた。


「……ちなみに、それって誰が言ってたかとか分かる?」

「わかんない」

「あ、そう……」


 思わずガッカリしてしまう。そんな私にゆきちゃんは、どうしたの? と不思議そうに尋ねた。


「もしかして、気になるの?」

「え、いや……気になるというか……そのちょっと興味本位で……。すみません、嘘です。ホントはめっちゃ気になります!」

「何それ」


 ゆきちゃんはおかしそうに笑う。そして、理解できないと言った表情で私に言った。


「でも、好きな人がいるのに気になるもんなんだね。私はそういうのよくわかんないや」

「う……」


 そう言われてしまうと、なんだか私が男好きのように思えてしまって、ちょっとショックを受ける。

 ……そういえば、前に言ってた気がする。ゆきちゃんはまだ人を好きになったことがないんだって。

 十四歳になって初恋もまだなんて、と笑っていた子もいたけれど、初恋を大事にとっておけるのってすっごく素敵なことだと思う。だって、この後もし好きな人が出来てその人と付き合えるようになったら、初恋の人が彼氏だなんてとってもハッピーじゃない!

 そう言った私にゆきちゃんはありがとうって照れくさそうに言ってたっけ……。


「で、でもね! 気になるっていったって、ちょっとだけ! ちょっとだけだよ! 私はたもっちゃん一筋だしね!」

「はいはい。ところで……そろそろ急がないと、そのたもっちゃんに怒られちゃうよ?」


 ゆきちゃんの言葉に、近くのコンビニの壁にかかる時計を覗き見ると――チャイムが鳴るまで、あと十分しかなかった。


「や、ヤバい! ゆきちゃん、急ごう!」


 私はゆきちゃんの手を引っ張ると、学校に向かって走った。



「ギリギリセーフ!」

「危なかったね!」


 教室に駆け込んだ私たちは、まだたもっちゃんが来ていないのを確認すると、ホッと胸をなでおろした。ちなみにチャイムは、私たちが校門をくぐった瞬間に鳴った。


「はー、それにしてもたもっちゃんが遅刻? ダメだなー」

「誰がダメだって?」

「っ……たもっちゃん!」

「藤原先生、だろ?」

「……藤原先生」


 開けっ放しにしていた教室のドアからたもっちゃんは入ってくると、突っ立ったままだった私を手に持っていたバインダーで軽く小突いた。


「ギリギリはやめとけよ? さっきそこで学年主任の佐々木先生に小言言われたぞ」

「それで遅かったんですか?」


 そっぽを向く私の代わりに、ゆきちゃんが尋ねてくれた。


「そう。つまり、お前らがギリギリじゃなかったら俺はもっと早く教室に着いていたの。なので、俺は遅刻じゃありません」

「屁理屈……」

「何か言ったか?」

「なんでもありませーん」


 本当は、こんな反抗的な態度を取りたいわけじゃないのに……どうしても素直になれない。

 自分自身の態度にため息をついていると、さっさと席に座れ、とたもっちゃんが私たちを促した。

 そんなたもっちゃんの言葉に私たちは「はーい」と口を揃えて返事をすると、それぞれの席に向かった。


 二年C組。それがたもっちゃんが担任を務める、私たちのクラスだった。

 視線を外に向けると、窓の向こうにある校舎が目に入った。そこには――三年生と、二年の特進クラスの教室がある。

 つまり――あそこに私のことを好きだという人がいるということで……。

 そう思うだけで、なんだかドキドキしてくるから不思議だ。


 自慢じゃないけど、生まれて十三年。一途にたもっちゃんを想い続けたそんな私だから、付き合ったこともなければ告白されたこともない。だから、余計に気になってしまうのかもしれない。私のことを好きだと言ってくれる人のことが。

 いったい誰なんだろう……。


「こら、新庄。よそ見しない!」

「っ……はい」


 聞こえてきたたもっちゃんの声に、慌てて視線を教卓にへと向けるけれど……私の心は、誰だかわからないけれど、私のことを好きだと言ってくれる男の子のことでいっぱいだった。

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