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 ひとまず横を向いていた寝袋を、足で転がして天井に向けた。

 長くてなめらかな金髪、しかも容姿端麗。陶器のようななめらかな肌は、芸術品を思わせる美しさだ。

 その美貌の持ち主は今、目の前でよだれをたらし口を開けたまま寝ていた。


「う~~~ん……おっちゃ~ん、これサワーじゃないよ、ぜーんぜんアルコエーテル入ってないよお、それってジュースじゃんジュース……うへっ、えへへへ……」


 しかも寝言付きだ。

 笑顔なところをみると、夢の中では随分とお楽しみになっているのだろう。

 アイリス・オーカワ。なんかホームセンターにいそうな名前だが、れっきとしたエルフの血を引いた少女だ。ただし、人間である父の血を濃く受け継いだらしく、あの象徴的なエルフの長い耳は、彼女には備わらなかった。

 なので彼女は毎日、耳を紐でベッドの支柱にくくりつけた洗濯ばさみで引っ張りながら寝るという涙ぐましい努力を続けている。容姿端麗ながらも耳が短いがために「なんか物足りない」と言われた悲しさは、彼女に強いコンプレックスを与えたらしい。

 その点については不憫に思うもの、だからといって事務所でこうまで豪快にゴロ寝している状況を許すわけにもいかない。


「アイリス、起きろ。ただでさえアレな脳みそがさらに腐るぞ」


 とりあえず身体を揺すって起こすと、


「うう……ゆらさないで……おねがい……パトリック」


 ちなみにこいつも、俺のことをまともな名前で呼ばない。「としのり」が言いにくかったらしく、ちょうどその時に見ていた洋ドラの主人公の名前を拝借し、俺の呼び名をパトリックとしたそうだ。名前の存在意義を根底から問い直す必要がありそうだ。

 声を無視して、揺らし続けていると、


「パトリック……水……水を……ぎもぢわるいの……」


 仕方なく、近場にあったまだ封の開いていない水を横に置いてやると、アイリスは這いずるようにして寝袋から姿を現した。事情をまったく知らない人がこの場面を見ていたら、ホラーか何かと勘違いされてもおかしくないな……。


「んっ……んっ……ぷはー! あー、生き返るわね」


 一気に水を半分以上飲み、先ほどまで顔色も吐息も青色だった美少女はぐっと両腕を伸ばす。


「15時だ。もう大陽が沈みかけてるぞ。昨日何時に寝たんだ?」


 仮に彼女が朝まで作業していたのだったら、この時間まで寝ていたとしても仕方がない。そういうことはこの業界において多々あるからだ。

 麗しい美少女は、その容姿に似合わないおおあくびをして頭をかくと、


「えっとね、たぶん午後10時ぐらい?」


「寝過ぎだろ! 半日以上寝てるじゃねえか……」


 ため息と共に呆れの言葉を吐く。


「いやーそれほどでも」


 照れ笑いを浮かべるアイリス。照れるような場面じゃないだろ。どういう思考回路でその表情を導き出したんだ?


「いやいや、あたしは頑張ろうと思ったのよ? なんだったらもう一晩中作業してやるぞーって。だから、手当たり次第にポーションを買って、ガンガン飲みまくって、これでもう何も怖いものはないってね」


 あの散乱していたポーションはこいつのだったのか……。


「ただ……ちょっと誤算だったの」


「何がだ?」


「ポーションって飲み過ぎると気持ち悪くなるのね……うっぷ」


「当たり前だ!」


「おかしいなぁ……内臓ってアルコエーテルで耐性がつくように鍛えられるんじゃないの?」


「あれだけの量のポーションを一気飲みしたら誰でも身体を壊すわ。それにアイリスの普段の飲み方って鍛えるというより痛めつけてる感じだろ」


「へーきですー。あたしのオリハルコンの胃袋なめないでくださいー」


 別にそんな誇るようなことでもないと思うんだが。


「まずは胃袋よりも先に鍛えないといけないところがあるだろ。頭とか、耳とか!」


「あいだだあだあだだっ! ちょっとパトリック、耳! 耳引っ張らないでよ!!」


「うるさい! ちょっとでも伸ばしたいんだからいいだろ!」


「ちゃんとした方向に伸ばさないとダメなんだって! あんた、エルフ耳養成ギプスの取説読んだことあんの!? ミリ単位で角度とか調整してるんだからね!」


 おそらく怪しげな通販に騙されたんだろうな……。

 うさんくさいギプスはともかく。俺はとりあえず耳から手を離した。


「とりあえず、さっさと体調を戻して、仕事を進めてくれよ。頼まれてた下請け仕事、まだ残ってんだろ枚数」


 アイリスは耳をいたわりながら、


「わーったわよ……ていうか別にもう復活してるし、すぐにでも働けるし」


「ホントか? どう見ても今すぐ死にますって顔してるんだが」


「はーん、見くびってもらっちゃ困りますね。ポーションごときにやられるあたしではないわ! あたしがどれだけ強靱な内臓を持っているか、ここでハッキリと……!」


 アイリスは颯爽と立ち上がった。本人的には。

 客観的に見ると、それはろうそくの火の最後のきらめきというか、もしくは最後に残された力を振り絞って、というべきなのだろうか。

 ともあれ、


「あ……れ……うっ、うううっ……」


 立ち上がって早々に顔を青くしたアイリスは、眉間に皺を寄せると、


「うっ、うぐっ……ぐぅぉ、ぐろえっぷ」


 明らかに声を怪しくし、身体を左右にゆらめかせ始めた。


「お、おまえ、PCの前で吐くなよ! さすがにそれやったら減給じゃきかねえぞ!」


「わ、わかってるわよ……お、おおっ、おおおおっ……ぶっ!」


 アイリスは両手で口を押さえると、ドタドタとトイレへ駆け込んだ。


「うっ、うろろろろろろろろろろ、おげええええええええええ」


 ド迫力のゲロ吐き声と共に、アイリスはトイレの藻屑と消えた。

 これがかわいいエルフ少女のやることだろうか。俺のイメージでは、森の湖畔で竪琴を奏でながら、人類の愚かな争いに心を痛め真珠の涙を流す……的な感じだったのだが、


「居酒屋のカウンターでクダを巻きながら、仕事上の愚かな争いに心を病んで胃の中のつまみをトイレに流す、なんだよなあ」


 イメージと内実は違う、ってことはどの世界にも山ほどあることだけど、ここまで極端な例だと苦笑しかなかった。


「あ、あの……シュン……」


 おれが理想と現実の狭間で悩んでいると、モニカが、


「また新しいメールが。僕の考えた最強のスタッフって書いてあって、今すぐ座組みをこれに変更しろって……」


「そのスタッフを雇う金をくださいって返しておいて……」


 頭痛が止む気配がない。この世界には救いがないんだろうか。


「おはようございます」


 頭を抱えた俺の前に、爽やかな雰囲気で制服姿の少女が現れた。

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