14th NUMBER『最期のカンタータ』
「ねぇ、わかってる? 僕これから死のうとしてるんだよ」
僕は呟いた。茶色の瓶。氷のような質感のそこから何十錠もの白い錠剤が僕の手へ吐き出される。雪……みたいなのに溶けないね。これは僕の熱い身体の中に入ってやっと効果を発揮するんだろう。
一人きりの場所で一体誰に話しかけているかって?
誰、なんだろうね。多分、雪之丞と冬樹かな。それより僕は自分が誰なのかという方がわからないよ。
かつてはあんな忙しなく僕に訴えかけてきた二つの人格。やっぱりもう一つになったのかな。そして僕という得体の知れない存在になった。
「本当に何故、こんなことになったんだろうね」
だけど確かに
「無念だよ。例え肉体を捨ててもナツメと共に生きられたらどんなに良かったか」
二つの人格の意思は僕の中に存在しているような気がする。
こんな行為、破壊的な雪之丞ならまだしも冬樹が見過ごすとは思えない。何故思いとどまらないんだろうってここに来たばかりのときは思った。
でも今なら、手に取るようにわかるんだ。
冬樹の記憶と思しきものが今の僕の中に在る。磐座家に伝わるシャーマンの掟。自分の目で見たものとして僕はもう理解している。
黄泉の国に渡りしシャーマンは、本来なんとしてでも元の世界に還らなくてはならない。
許されるのは一度まで。
二度繰り返したそのときは、黄泉の国への道を永遠に断たれ、孤独なシャーマンであり続ける……だって。
アストラルの仕組みを理解した僕が訳するなら、つまりこういうことだ。
前世で春日雪之丞の肉体を見捨て、今世でも磐座冬樹の肉体を見捨てた僕はもう既に二度繰り返してしまっている。ここで命尽きるとしても、どちらにしても、もう二度とアストラルに転生することは出来ない。前世の記憶を有さないあのフィジカルのみの存在となる。
今度生まれ変わったときはもちろん、その先でも僕は、運命の相手が誰であるか思い出すことも出来ない。どんな強い霊力があっても無駄。夏南汰のこともナツメのことも……忘れてしまうんだ。
更にそれだけじゃない。この運命を背負った場合、僕を救えるのは片割れの魂であるナツメだけ。彼女が僕の分のカルマまで背負わなくてはならないんだ。
この研究所の人たちは僕の転生について調べてるところだ。ナツメがこの事実に気付いたらどうするだろう。僕がまた異常な転生を繰り返すと知ったら? 選択肢はきっと二つ。
自分を犠牲にして僕と共に過酷な試練を受けるか、寂しさを押し殺して僕を冬樹の肉体に還そうとするか。
そんなことになる前に……
「ごめん、ナツメ……!」
この悲しみの連鎖を終わらせなければ。
何十錠も一気にあおった。冷たい水をぐいと流し込む。あまりの量に僕の喉はぐっと詰まる。
もう後戻りは出来ない。今更ながらにやるせない涙が溢れてきた。
(ねぇ、記憶を有さない世界にしか生きられなくなっても、もっと強くなれば、君を幸せに出来るかな)
脳内でいろいろ理由を並び立ててみたけれど、結局一番はこれだというものがわかった。
怖かったんだ。逃げたんだ。僕は、もう二度と最愛の人を失う瞬間を見たくないばかりに……
「ぐっ……! かっ、ぁ……!」
瀕死の重傷である肉体に戻って、君の居ない世界で一人生きていく覚悟も持てない。
「げほっ、うぁ……ぁぁ……っ」
だから自分が先に見送られる側になることを選んだ、弱い魂なんだ。
焼けるような熱さに呻いた。立っていることさえもう無理で冷たい床に雪崩れてしまう。倒れた僕の身体の周りを解けない雪が彩った。
泡と、血が。喉の奥から吹き出したのがわかった。激しい痙攣が起こり、意識が遠くなっていく。
そのとき。
――ユ……キ……?
うつ伏せになっていてもわかる、愛しい声が僕を呼ぶ。
だけど今は見られたくなかった。これ以上こんな醜態を晒してはならないと僕は散らばった錠剤を片手で掻き集め、口に運ぼうとした。
「やめろ、ユキ!! 何故ッ、何故こんな……!!」
羽交い締めにされた。強い力が僕の腕を抑えつける。ナツメの声は悲しみに裏返り割れていた。それどころか僕の後を追おうと錠剤をあおろうとまでした。それは望んでいないと僕は必死に制止した。ああ、ひっそりと逝くことさえ叶わないのか。
ならばせめて、悔いなき歌を。それも合唱だ。今まで重ねてきた僕の人生、その想い全てを君に届けよう。
君と僕の思い出、雪の
そう思ったら自然と口にしてしまった。
「かな……た」
「ユ……キ……?」
「夏南汰」
駄目だって。あれほど抑え込もうと心に決めていたのに。これ以上僕の記憶を断片を君に与えてはいけないと抗っていたのに。
涙にまみれてなお愛くるしいその姿を目の前にしたら、どうしても抑えられなくて……
「やっと、呼べた。君に……いえ、た」
僕の想いの全てが詰まった夏の響き。口に出来た喜びが
伝わったのは断片どころじゃなかったらしい。目の前のナツメが頭を抱えて激しく呻いた。彼女の瞳孔は収縮し、そこから大量の涙が溢れてくる。
「ユキ、まさ、か……」
その様子を見て、何が伝わったのかすぐにわかった。
「私を追ったんじゃな? のう、ユキ……結核ではなく……?」
ああ。ついに気付かれてしまった。僕にも見えるよ。君が今目にしている光景と同じものが。
断崖絶壁にて泣き崩れた僕に降り注ぐあまりにも美しい真夏の雪。散骨の為の粉になってしまった君が。
ごめんねと詫びると、君は僕の手を握り、謝るのは自分の方だと言う。だから死なないでくれって。
でも僕はもう、生まれ変わりへの一歩を踏み出してしまった。くら、くら、と視界は回り、だけどその中で君の存在だけがありありと映ってる。
この目に焼き付けたい。
「好きだ、よ、夏南汰。ずっと、前から、今の、ナツメも、これから、も」
助けを呼ぼうと立ち上がった君を僕は引き止めた。焦燥に引きつったその顔に胸を痛めつつも力強く抱き寄せてその唇を我が物にした。君へ僅かに移ってしまった血液は、そっと指先で拭った。
「ユキ……いや……」
今、その見開かれた双眼に映っているのは僕だけ。僕だけの君。そんな喜びが苦しさを押し退ける。酷いよね、こんなのあまりにも我儘だ。
そして我儘ついでにもう一つ、この願いだけはどうか許してほしい。
「生まれ、変わらな、きゃ。僕は、君を、守る、ため、に……っ、強く……待って、て、かなら、ず」
だから僕を忘れないで。
「嫌じゃ、ユキ、ユキ……!」
「強い男、に、なるからね」
もう声にならなくても僕は魂で歌い続ける。
哀の花よ 愛の歌よ
遠い遠い 未来の世で
僕らを再び導いておくれ
彼方の君を 真夏の君を
僕は何度でも手繰り寄せるから
次の世では君の哀しみ
僕が全部背負うから
今世は君自身の為に
その青き炎を燃やしておくれ
愛しい愛しい 勿忘草の君よ
君に幸あらんことを
「嫌じゃ……ぁ……ッ!!」
激しい嗚咽、それが僕が最後に聞いた君の声。君に身体を預け力尽きたとき、暗闇に咲く勿忘草の花が見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます