12th NUMBER『知られたくなかった』


 突然拒絶されてナツメと夏南汰はどう思ったんだろう。考えたくても頭が回らないというくらい僕の脳内は限界状態だった。ほんの僅かの間の出来事とは思えないくらい憔悴してしまって、帰り道も支えられながら凄くゆっくりと歩いてきたくらいだ。


(目眩が酷い。吐き気も少し……)


 思い出した光景があまりにも強烈だったせいなのか。身体にも容赦の無い反応が現れる。認めたくないけど、こうしてはっきりとした記憶が僕の中に存在している。間違いなく僕がしたことなんだと思ったら涙が零れそうになる。



「お帰りなさ……って、えっ! どうしたんですか!?」


「大丈夫ですか、ユキさん! 具合が悪いんですか!?」



 迎えに出て来てくれた何人かも、すぐに僕の異常に気付いたらしい。鏡は見てないけど、なんだか寒気までする。胃も握られているような感覚だ。多分相当青ざめているんだろうと察しがついた。


「ああ、みんなすまない。ちょっと私の部屋で休ませるよ」


「えっ、でもドクターに診てもらった方が……」


「本当にどうにもならなそうならドクターのところに連れていく。今は私たちに時間をくれないか?」


「そう……ですか。わかりました。じゃあ私の方からドクターに話を伝えておきます!」


 ナツメはナナさんと話を終えた後、再び僕の肩を担いで廊下を歩き出した。念の為と言ってまずトイレまで送ってくれた。



「けほっ、けほっ……」


 寄ってもらって正解だ。僕は少し吐いてしまった。確かにこんな状態じゃ、まずドクターを頼った方がいいと大体の人は思うだろう。だけど僕は、まず第一にナツメに伝えなくてはという使命感に似たものさえ感じていた。



 トイレの前で待っててくれたナツメと再び寄り添って歩いて、ついにナツメの部屋に辿り着いた。ドアを前にたまらない恐れが再び僕の背筋を駆け上った。



 ベッドの上に座らされ、ナツメも向かい側に椅子を置く。



――ナツメ。



 息がいくらか整ったところで彼女の名を呼んだ。すっかり涙目になっていた。



「ごめん、ナツメ。僕はもう君を抱けない」



 そう告げるとナツメは不安気に眉を寄せる。だけどやがて覚悟を決めたように唇を一度きゅっと結んだ。それからまた開く。


「ああ、それでもいい」


「君を愛しているから」


「……それで十分だよ」


 優しいナツメは、急いで今話さなくてもいいと言う。でも先延ばしにしたところで何か変わるだろうか。今更誤魔化しが効かないことは確かなんだ。



 もう観念するしかない。



「僕が磐座冬樹になった理由がわかったんだ」


 夏南汰は逢引転生の強行手段を知らないまま生涯を終えた。それはこれから全て僕の口から語られる。



みことさんを抱いたんだよ」



 締め括りはこの一言で十分だった。ナツメは大きく目を見開いたからきっとしっかり伝わった。


 僕の頰を涙が伝う。こんなときに申し訳ないけど、正直呪縛から解き放たれたような気分さえあった。爽快感とは違うはずなのに、何故こんなにも澄んだ空気が胸を吹き抜けるの。


 犠牲を払って強力な霊力を手に入れた。それは事実だから。命さんをけがさなければ、僕は磐座冬樹になれなかった。君との再会は叶わなかったかも知れないという事実が皮肉という名を得て僕へ迫ってくる。



「もうええんじゃ、ユキ! ええんじゃよ。そうか、辛かったのう。私のせいで君も命さんも」


 汚らしい自分を責める僕に応えてくれたのは夏南汰の方だった。無防備なほど感情を露わにした表情と方言使いですぐにわかった。チカ、チカ、とその姿まで、波長に影響されてナツメと夏南汰とを交互に映す。



「ユキ。確かにナツメは冬樹さんが初めてじゃったが、カナタは違う。君も気付いとったんじゃろ? 私かて夏呼と」


「ううん。まさか秋瀬はそれを過ちだと思ってるの? 違うよ。君たちは本当に愛し合っていたじゃない。僕のとは……やっぱり、違う」


 慰めようとしてくれる君に、僕はこんなことしか言えない。夏呼さんと関係を持ったことは確かに悲しかった。だけど僕みたいにけがれた欲望などではなかったはずだと、例えその現場を見ていなくてもわかるんだ。



「ユキ、私は何か温かい飲み物を持ってくるよ。楽にしていてくれ。すぐに戻るから」


「ありがとう……」


「もう一度言うぞ。私は君を責めるつもりなんて無い。君の気持ちに応えられないまま死んで悲しませてしまったのは私なのだからな」



 現世ナツメの波長を取り戻した愛しき人は、音も無く立ち上がると哀愁の残像を置いて部屋を後にした。



 だけど、すぐに戻ってくることは無かった。




(そう……だよね。当然だよ)




 もう三十分以上は経ったかというくらいの頃。ベッドに横たわる気にもなれず座ったままの僕にじわじわと異変が起き始めた。


 隠しておけないと思って言ったはずなのに、後悔の念が押し寄せてきたんだ。


「…………っ!」


 いや、それは雪之丞の怒り。烈火のようなうごめきだった。



「うわぁぁぁぁぁぁッッ!!」



 耐えきれず僕は叫ぶ。頭を抱えてかぶりを振って。その姿は獣のようだったに違いない。


 涙が幾つも宙に散らばる。上がった息も、鼓動も、速度を増していく。熱が上がっていく気配、眉間にぎゅっとしわが寄るのも感じた。



「ああ、忌まわしい忌まわしい、磐座冬樹め! わかっているのか。貴方は独り善がりな偽善者だ! 己が解放される為なら最愛の者の心さえ踏みにじる残酷な正義だ! さっきのナツメの顔を覚えているか!? あれで彼女が救われたと本当に思うのかッ!?」


 雪之丞に支配され、感情の抑えが効かなくなっていく中で僕は理解した。


 逢引転生の儀式。あの記憶を閉じ込めていたのが雪之丞で、明かしたのが冬樹なのだと。



「僕が必死で隠していたのに……っ。ナツメを傷付けるくらいなら、あんな記憶、自分のものだけにしておいた方が良かったんだ……!」



――そういう訳にいかないよ――



 やがて冬樹の声も僕の中で響き始める。



――ナツメのこと、前世の名で呼んであげられない理由、まだ気付いてないみたいだから教えてあげるね――


「え……」



――磐座家に代々伝わるシャーマンの掟に書いてあったことだ。逢引転生の相手を前世の名で呼ぶ度に、こちらの記憶が相手にも伝わるんだ――


「そん、な」


――帰り道で君は“夏南汰”と呼ぼうとしたよね。なんの記憶が伝わるか僕らには選べない。ナツメが崖下で怪我したときも呼んだから、もう既にいくつか伝わってる可能性もある。だけど雪之丞が夏南汰を追って投身自殺した件にはまだ気付いていない。あの記憶はさすがに伝えられないと僕も思うんだ――



 言われてみれば。


 あの嵐の崖下で、夏南汰は前世遺骨となって僕の元へ戻ってきたことを思い出した。死んでしまった夏南汰が知っているはずのないこと。あれは僕の記憶が伝わったからだったのか。



「だ、だからって……何故儀式のことを打ち明けたんだ」


――雪之丞。君の言うことも間違いじゃない。僕は罪悪感に耐えられなかった。一番伝えたくない記憶が伝わってしまう前に、いずれは話そうと思っていたことを咄嗟に口にした――


「僕は話す気なんか無かったよ……どうして、くれるんだ……!」


――だけどね、罪悪感に縛られてばかりいたら、本当にナツメを守ることなんて出来ないから。可能な範囲で自分を解放することだって大切……――


 冬樹の声を遮って、両手をベッドに打ち付けた。シーツをくしゃくしゃに握り、止まる気配のないやるせなさをぶちまける。


「もういい!! もう貴方は何も言うな! 僕はよく考えて動いてる。黙っていてくれれば、ナツメと一緒に居たいという貴方の望みだって叶えられるんだ。それでいいじゃないか!!」


 だけどそれは……


――雪之丞……君がどんなに過去を隠そうとしても、現世を乗っ取っても、事実は変わらない。僕たちが背負ったシャーマンの定めからは逃れられないんだよ。それだけは忘れないで――


「やめてくれ。もう……やめてくれよ……頼むから……」


 次第に懇願になっていった。




――ユキ。



 僕を諭す冬樹の声が影を潜める頃。



 最愛の君が戻ってきた。宙ぶらりんの手には何も握られていない。両の漆黒には水の膜が張っている。やはりこの場に居るのが耐えられなくて逃げたんだとわかった。


「何故そのまま逃げなかったの」


 僕は問う。だけど彼女はこちらへ歩みを進めてくる。けがれてもいいと、それでもいいと、全身で示しているようだった。



 今夜、彼女はこの部屋で僕に寄り添うことを選んだ。哀しみが紛れるくらいの悦びに導いてあげられたらどんなに良かっただろう。


 琴を扱うように指先で君を奏でていく。速度を増していく息遣い。泣き濡れる肌に絡まる舌。求め合う二人。だけど最後まではいけないよ。この上ない罪の意識に飲まれてしまった僕は、艶っぽい君の音色を聴くだけで精一杯。



 露わになった太腿を撫で、うなじに花弁を散らしていく。互いに熱を帯びた視線を交わらせ。



「冬樹さん」


「ナツメ」


「ユキ……ッ、大好きじゃ。大好きじゃよ」



「僕もだよ、秋瀬。こんなやり方しか出来なくて……ごめんね」



 夏南汰。こんなに近くに居るのに、君のことはこの先も呼んであげられない。理由も言えない。それがこの晩、僕に訪れた新たな絶望だった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 夏の音色は遥か彼方

 僕には手が届かない

 君が待っていることを知りながら

 為す術の無い虚しさよ


 夏の音色は僕の宝

 大事に守り過ぎてしまったみたい

 こんなことならもっと早く

 封を開けていれば良かった



 秋の木枯らし

 びゅうびゅうと

 この胸を冷やしていくよ

 君の熱が恋しいよ

 交わりは嫌でも官能となる


 大人のままじゃ辛いから

 いっそ子どもになってしまいたい

 ただ無邪気にじゃれ合うだけの

 澄んだ交わりを手にしたい



 出来ないよ

 どうしても

 君の音色は麻薬だから

 このまま僕を麻痺させて

 息をするのを惜しむくらい

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