11th NUMBER『もっと早く許されたかった』


 もう随分慣れてきた世界。自然豊かな田舎の風景を青紅葉が彩る頃。


 ナツメと雪之丞ぼくは研究所から離れた閑静な住宅街を並んで歩いた。昼食は途中に通ってきた商店街の店で済ませた。もう山が目の前に見えている。もうじきバスに乗ってあの頂上付近まで行くんだ。



――ねぇ、冬樹さん。



 そんなとき、ナツメがぽつりと呟いた。冬樹の方の名である理由がこの後わかった。


「この世界に勿忘草は無いんです。春になったら一緒に見たかったけれど」


 切なく愛しい青色。君と僕の絆。ナツメにとってあの花はそれほど大切な存在なんだと感じた。冬樹の部屋に残っていたあの栞も、本当はこの世界へ連れていきたかったんだろう。


 ならば僕が勿忘草になろう。そんな気障キザな台詞が脳裏に浮かんだとき、ナツメが楓の木を指差して微笑んだ。フィジカルと共通する植物もこうして存在していると。言い損ねた僕は一人で勝手に照れたりなんかした。


「もうじき紅葉が見られますよ」


 僕も今きっと紅葉みたいになってる。だけど嬉しかった。特に難しい理由なんか無い。冬樹が見てきたナツメはいつだって切ない表情だった。その彼女が笑ってる。これほど嬉しいことは無いってだけだ。



 今日こうして一緒に休暇を取ったのは星幽記念病院に行く為だ。余命僅かであるナツメのお母さんを安心させてあげられたら……そんな思いで僕から提案した。さりげなくドクターの望みでもある。ナツメの家族になってほしいなんて言ってたくらいだからね。


 親に恋人を紹介するっていうのに憧れでもあったのかな。ナツメもはにかみながら同意してくれた。



 外に居るときまでは僕も落ち着いていたんだけど、バスに揺られているうちに実感が迫ってきた。大丈夫かなって。ちゃんと落ち着いて話せるかなって。ドクッドクッと強さを増す脈打ち。こんな半透明の幽体にもちゃんと血が通ってるんだなぁなんて、現実逃避気味なことを考えた。


 ナツメはごく自然に僕に寄り添い、ちゃっかり手まで握ってる。まだ何処か哀愁漂う横顔だけど、仕草はちょっと子どもみたい。



 そうしているうちに病院の停留所に到着した。降り立つなり僕は垂れ目を見開きゆっくり息を飲んだ。


 そうなるのも無理はないよ。目の前に広がる景色はまさに圧巻。


 青空のもと、濃いピンクと薄いピンクと白の秋桜がサワサワと揺れている。白い建物をぐるりと囲んで何処までも。花畑は他にもある。季節が移り変わればまた色が変わる。綺麗なだけじゃない、優しさに満ち溢れている。ここはフィジカルで言うところのホスピス。余生を過ごす者たちを労わる気遣いが感じられた。



「ナツメのお母さんってやっぱりナツメに似てるのかな?」


「ふふ、母が似てるのではない。私が似たのだぞ」


「あっ……そうだよね」


「目元がよく似てると言われてきたな。あと髪も。今は白髪が多くなっているが、元は同じ黒髪だった」



 穏やかな人だって聞いてる。寂しそうに笑うんだろうか。そんなところまで似ていたりするんだろうか。哀愁の表情が二つ並んだら……? 僕、胸の痛みに耐えられるかな。



 こんな外観で中身が昭和初期の隔離病棟みたいだったらどうしようと思った。しかし建物に近付くに連れ、そんなことはなさそうだと安堵した。看護師と一緒に散歩をするご老人、窓越しにはレクリエーションを楽しむ患者の姿も見受けられた。


 だけど受付で確認すると、ナツメのお母さんは未だ病室の中だと言う。今日は具合が良くないのか、それとももうほとんど動くことは出来ないのか、想像するだけで胸が締め付けられた。



 天使の声と錯覚するくらい透き通った少年少女たちの歌声が、真っ白な廊下をすり抜けて、実に神々しく僕らにも響く。ボランティアかな。もしかしたらあの星幽神殿から来た子たちなのかも知れない。


 ナツメのお母さんの病室は二階の南側の棟に在った。戸を開ける前から既に、小さな磨り硝子越しに白っぽい光が滲んで見えた。日当たりの良さそうな場所だ。



 トン、トン、とノックを二回。


 カラ……と、ほんの僅かの音を立てて戸を開けると……



 半身を起こしたご婦人がゆっくりこちらへ振り向き、聖母のような微笑みを見せた。白髪混じりで頰も痩せこけているのに、美しさの方が勝る。細いけどしなやかな柳のように感じられたんだ。


 顔を合わせたらすぐに一礼しようと思っていたのにタイミングは随分遅れた。言うまでもない、見惚れてしまったからだ。



「母さん」


 歩み寄りながら呼びかけるナツメ。その声はしっかりした音でありながら何処か危うい。僕は廊下と部屋の境目に立ち尽くしたままになった。


 迎え入れるご婦人はまるで全てが見えているかのよう。限りなく天に近い存在になってしまったかのよう。本当は震えているであろう娘の心を丸ごと包み込むように、久しぶりね、と言った。


 僕に気付いたのはそのすぐ後だ。離れていてもわかる、純度の衰えていない漆黒の瞳をわずかに見張っていると。やっと我に返った僕は恐る恐るナツメの後に続く。


「ナツメ? もしかして……」


 もう察したのだろう。お母さんの顔は実に嬉しそうだった。とっておきのプレゼントを受け取った少女のような顔。



「私の……逢いたかった人だよ」



 そして答えたナツメの声には少し恐れが感じられた。何故だろう? 最初は不思議に思ったんだけど……


 そうだと思っていたわ、というお母さんの言葉。


 お母さんの方へと僕の手を引いていくナツメの仕草。


 満足したように僕を見つめるお母さんの眼差し。


 そうか、ナツメはずっと前から僕の話をしていたんだ。だけど男同士で恋に落ちたという事実は話したことが無かったんだ、きっと。お母さんならナツメが前世で男だったことを知ってるだろう。そして相手は“ユキ”。うん、そうだよね。大体の人なら女の子だと思うよね。母親ゆえの勘が働いて時間が経つうちに何か察したんだろうねと、大幅には外れていないであろう推測をした。


 お母さんの痩せた手がナツメと僕の手を取り、そっと寄せて重ね合わせた。そこを見つめる瞳は少し潤んでる。



「カナタくんも。良かったわね、やっと逢えたのね」


「あぁ、母上……!」



 二人が感極まる間で、僕も静かに感動していた。声には全く出せなかったけど、密かに思った。



 嗚呼。


 あの昭和の世でも、許される仲でありたかったと。




――お母様。



 僕が口を開いたのはしばらく後のことだ。


 そもそも安心させてあげたいなどと考えてここに来たんだけど、お母さんがあまりにも素直に喜んでくれるものだから、僕は罪悪感に苛まれたんだ。伝えておくべきことがある。決して濁してはいけないと思った。


 僕はついに打ち明けた。自分は特殊な状態でここに居るのだと。ナツメを精一杯守り幸せにしたいけど、いつどうなるかわからない。いつまで居られるかわからないのだと。


 ナツメは悲しそうな表情になった。だけど事実、磐座冬樹の肉体が滅びれば幽体である僕も消えてしまうんだ。考えたくはないけれど、そうなったら避けようのないことだ。



「そう、貴方もなのね」



 お母さんは共感を覚えたらしい。僕も想いが共鳴するのを感じて、結んだ唇が震えた。


 だけど優しい口調が後に続く。僕ら二人を寄せる手には力がこもった。



「ナツメは愛を知っている子よ。だけど孤独も知り過ぎてしまったの。だから、ね、ユキさん。この子にいっぱい与えてあげて?」


「お母、様」



「時を超える愛があることを。長さじゃないことを貴方が証明してあげればいいと思うわ」



(長さじゃない。そう……そうだよね)



 僕の目頭が熱くなる。時間に限りがあることをよく知っている人の言葉はこんなに響くのかと身に染みてわかったんだ。





(切ない気持ちにはなったけど、やはりお会い出来て良かった)



 面会を終えて、時刻は十七時頃。落ち着いた紅に染まりゆく空のもとを歩く僕の心は満たされていたはずだった。


 いずれは家族となっていくナツメと肩寄せ合って、温かな思いを共有しているはずだった。



 だけど、なんだろう。さっきから……


 バスを降りて住宅街を抜け、商店街に入ったあたりから僕の胸の中がうごめいてる。強風に煽られる青紅葉と同じようにザワザワと音を立てながら。僕はいつの間にか繋いだ手も離して、ナツメに背を向け歩いてしまっていた。


 その言い知れぬ不安はナツメにも伝わったらしい。さっきまでお母さんとの思い出話をしていた彼女がだんだん口数少なくなっていく。



 やがて……



――ユキ……!



 走って追いついてきたナツメが僕の背中にぎゅっとしがみ付く。僕は振り返る暇も無く硬直したまま。



 嫌な予感がした。


 そして夏南汰・・・の声が僕の背中へ届いた。




「ユキは何故死んだんじゃ?」




 ドク、と心臓が病的な程の音を立てた。


 何故だ。何故君はその事実に気付いてしまったんだと、焦燥が身体を駆け巡る。



 ナツメ……いや、夏南汰は言った。実は星幽神殿から賜った神託でまだ僕に話していなかったことがあるのだと。


 本来、幽体離脱でアストラルへ渡った幽体は、現世と同じくらいの年齢として現れるそうだ。だから僕の場合はおかしいのだ。磐座冬樹は三十代、だけど今ここに居る僕の姿は明らかに二十代。何故若返っているのか。


「もしや私のすぐ後、だったのでは」


 怯えた声が僕に訊く。そう、僕も納得した。雪之丞が冬樹と同じ三十代の姿で蘇らなかったのは、三十代まで生きられなかったからだ。だからあの問いかけだったんだ。



「かな……」



 夏南汰、それはね。


 なんとかショッキングにならないように伝えようとした。名を呼びかけた。そこで全身がガタガタ震えだした。背後の君も、ユキ!? と驚いたように声を上げ、一層強く僕の身体に縋り付く。



 僕の双眼は瞬きを忘れ。


 思い出していく。実に悍ましい光景が。



 僕の手により乱されていく“あの人”の姿が。夏南汰が命をかけて救ったあの人の姿が。


 涙を浮かべてた。男として生きたいという思いをぐちゃぐちゃに踏みにじられ屈辱に耐える痛々しい顔。



――秋瀬。僕から離れて。



 僕は前を向いたままの体勢ではっきりと言い放った。



「思い出したんだ。やっぱり君は、僕に関わってはいけない」


「ユキ、何を言っ」



「君をけがしてしまうんだ……!!」



 振り返ったときにはもう頭を抱えてた。割れそうなほど痛くて、痛くて。


 だけど“あの人”はもっと痛かったことだろう。そしてこれは、最愛の君へ対する裏切り行為。



 逢引転生の強行手段。何故今までこの記憶が封じ込められていたんだと、闇に飲まれていくような絶望を覚えた。紅の空が地獄の業火に見えた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 嬉しくもあり恨めしくもある

 理解が広がりゆく現代が

 鏡はもうひび割れてしまったよ

 素直に真実を写し出せない程に


 これからは出来たって

 過去はもう戻らない


 僕は未だに君を呼べない

 夏の響き

 愛しき名を


 喜ぶ君が見たい

 秋の最中さなかでも

 絶えず恋しさつのっていく

 弾けるような笑顔の君に

 もう触れられないの?

 戻れないの?



 今の君は哀愁の微笑み

 破片を抱き 乱反射して

 僕を魅了する万華鏡

 砕ける程に愛おしさが増す

 皮肉な事実

 残酷な現象


 僕は君を傷付けずにいられるだろうか


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