13th NUMBER『目覚めたら止まれない』
行かなくちゃ。
君の元へ行かなくちゃ。
まだ曖昧な記憶はあるみたいだけど、やっと繋がったんだ、僕の中で。どれ程昔から君に惹かれていたか、どれ程の時を超えて愛し続けたか、数奇な運命に引き裂かれ、どれ程涙したことか。
――夏南汰――
昭和六年に遠い大西洋で死に絶えた君は、現代の世に生まれ再び僕の元へと舞い戻った。
――ナツメ――
それはそれは美しい女の子となって。
だけど僕らは別々の世界へ引き離されてしまった。文字通りの意味だ。凄く辛いけど、認めるしかない。
昨夜。
前世で夏南汰のお兄さんだったブランチさんは、土下座をした僕に激しい怒りをぶつけてきた。震え上がる程の迫力だったけど無理もないよね。当然だと思うよ。
目の前に弟の遺骨を奪った犯人が居たんじゃ、そうもなる。
どのツラ下げてこの世界へやって来た、だとか、今度はナツメの人生を狂わすつもりか、だとか、僅かに震えの感じられる声でまくし立ててきた。盗っ人の僕は、彼の罵声が鎮火するまで頭を上げることは出来なかった。
おそらく今世の僕、磐座冬樹はもう死んだと思う。だけどブランチさんはそれも疑ってるんじゃないかな。なんらかの企みで意図的に世界を渡って来たんじゃないかって。
だとしたら彼の予想は間違いじゃない。
確かに冬樹にとっては思いがけない出来事だった。しかし雪之丞はわざわざ死ぬ方向を選んだんだ。あんな大量の木材、まともに食らったらどうなるかなんて誰でも想像がつく。その上で留まったんだ。逃げる時間は足りていたはずなのに。
「…………っ!」
そこまで考えたところで、僕の背筋を強烈な悪寒が駆け抜けた。目を見開いて頭を抱えた。
ふと思ったのだ。混乱のあまり大事なことを見落としていたかも知れないと。
「え、え、ちょっと待って」
もし、僕が死んだのなら。
僕が迷い込んだこの世界に、彼女が居るということが問題なのではないか。
だってそうじゃないか。ここが死後の世界なんだとしたら……彼女は、もう。
「そんな……ナツメ……ッ!」
自分の死以上に、僕はその可能性の方がショックだった。僕の望みが具現化した世界。そう考えることも出来るかも知れないけど、駄目なんだ。
忘れられない。この身に染み付いている。彼女に触れたときの魂震える感覚、到底幻想とは思えないあのリアリティ。
やっぱり……
ブランチさんの去った室内で、暗闇の中でボロボロと泣きじゃくった。布団をぎゅうと握り締めて。
僕の、大切な人が、愛するナツメが、死んでしまっていたなんて。
「まさか僕のせいで? 僕と関わったせいで酷く思い詰めて……まさか自分から? それともやっぱり病気だったの? ナツメ、ナツメ……ああ」
僕は今世でも君を守れなかったのか。絶望に打ちひしがれるあまり、昨夜は一睡も出来なかった。
そして今日。
僕は
虚弱体質な雪之丞の喉はひゅうひゅうとか弱い息を漏らし、ろくに汗も流れてくれない身体は熱を持って、もう全身が悲鳴を上げている感覚はあった。
だけどどうしても、止まることは出来ない。
日中はぼんやりと過ごしていた僕だけど、夕方になる頃、何故だか居ても立ってもいられなくて、あの病室のような部屋を抜け出したんだ。小さな窓からスリッパを放り投げ、自分も同じところへよじ登った。
あれからずっとナツメに逢っていない。僕は不安で不安でたまらなかった。
ここが
ただ、せめて、一緒に居させてよ。
ナツメに逢いたい一心で命を投げ出したんだもの。元の世界への未練は捨てるから、どうかもう一度逢わせて、神様……お願い。
謎の施設の門をくぐれば、広大な丘と森林へ続く一本道が僕を迎えた。でもそれだけじゃない、森林の更に奥の方には町らしき家屋の群れも見える。
黄泉の国って、元の世界とそんなに変わらないんだ。ちょっと田舎の景色といった雰囲気で……そんなことを思いながらも、僕は丘の道を目指して全力疾走した。
肺活量が少ないことなんて百も承知だったけど、すぐにここから出なければ、ここに彼女は居ないからと確信を持っていた。
そう、思えばこの時にはもう、運命の糸に導かれていたんじゃないかな。
だって彼女とはあの施設内で再会したんだ。あの中に居ると考えるのが自然だったはずなのに、僕にはどうしてもそう思えなかった。
――ユキ――
――冬樹さん――
「ナツメ……いま、逢いに、行く、よ」
あの甘く愛しい声色に呼び寄せられたとしか言いようがない。
はぁ、はぁ、はぁ……
さすがに息が続かなくなった僕は、膝に手をついて立ち止まる。脇腹も胸もかなり痛い。
この世界に迷い込んできたとき、森林の抜けたばかりのときは暗くて気付かなかったけど、森林の周りをぐるりと囲む
険しい木々の中を進むか、なだらかな道を進むか……僕は人間だ。それも無防備なスリッパ姿。選択に要する時間はいくらもかからなかった。
そうして小さな町までやってきたんだけど、みんな怪訝な顔で僕を見てる。そりゃそうだよね。一人だけ病院から飛び出してきたような格好してるんだもん。
(どうしよう、これじゃ見つかっちゃう)
さっきまで僕をぐいぐい引き寄せていた彼女の波長……らしきものが、今は薄れて感じる。なのに嫌な予感が確実に増していく。
このままじゃもう二度と彼女に逢えなくなる。そんな根拠の無い確信が迫ってきて、夏の気温であるにも関わらず身体がガタガタと震えた。
――おい、兄ちゃん。
「ひ……ッ!」
野太い声と同時に肩を掴まれて僕は大きく飛び上がった。あの施設の関係者に追いつかれたか!? 冷や汗を流しながら恐る恐る振り返ったとき。
「アンタ大丈夫か。すげぇ顔色悪いぞ」
土木作業員のような格好をした中年の男が僕を覗き込む。太い眉をぎゅっと中央を寄せている。どうやら心配してくれているらしい。そして多分だけど、あの施設の関係者でもなさそうだ。
「その格好、アンタ入院患者じゃねぇのか。何処の病院だ」
「…………っ」
でもこのままじゃ、連れ戻されるのは時間の問題。危機的状況に変わりはないと察した。
どうしよう。
どうしよう。
早く行かなきゃならないのに、何か良い方法は無いのか……!?
僕は強く瞼をつぶった。そのとき、不思議なことが起きたんだ。
「あっち、です」
か細い声も、方向を示す指先も、意識したものではなかった。まるで糸に吊り上げられた操り人形みたいに自然と動いたんだ。
僕の人差し指が伸びた方向を追った男が目を見張る。
「星幽記念病院……そうか、アンタ」
哀れむような声色が後に続く。何が起こったのかわからなかった。ただ一つ理解できたのは、意図せず指差した先に病院が実在していたということだ。
それから僕は男の運転する大型の車に乗せられた。病院まで送ってくれるつもりらしい。
「こんなに若いのに……そりゃ辛いよな。そりゃ逃げたくもなる」
狸寝入りした僕の耳に、男の独り言と切なげなため息が届く。僕をやけに丁重に扱う意味もわかってきたよ。
星幽記念病院って場所は多分、元の世界で言うところのホスピスなんじゃないかな。あるいは隔離病棟とか。この人はきっと、僕の命が長くないと思っているんだろう。
だけどそれって不思議だな。僕らはもう死んでいるはずなのに。まさか死後の世界にもまた死があるだなんて……
いや、もう、どうでもいいや。
ポツ、ポツ、と窓を叩く雨音に身を任す。ナツメに逢えない以上、何処に連れていかれたって同じだと思った。もう好きなようにしてくれと。
雨足が速度を増す。
ザワザワ、ザワザワ、木々が騒ぐ。
嵐の訪れを予感させる不穏な響き、その中へ。
……キ
――ユキ!
再び混じり出した君の声と、波長と、
――嫌、じゃぁ……ッ!!――
『ユキーーーーッッ!!』
切なる叫びが僕を貫く。
「……っ、夏南汰!?」
「なっ、なんだ兄ちゃん、いきなり!」
僕はカッと瞼を開くなり運転手の男の方へ向き直った。きっと殺気にも似た凄まじい波長を放ちながら彼へ詰め寄った。
「ここで降ろして下さい」
「え!? でも、病院まであと少し」
「緊急事態なんです! 降ろして下さい!!」
「わわ、わかったわかった。参ったなぁ、もう」
後続の車はいないから途中で止めるのもそんなに難しくはなかったらしい。僕の要求から間もなくして車はすうっと道の端へと落ち着いた。
「なんだ、もしかして用を足したくなったのか」
僕の切羽詰まった様子に男は割と楽観的解釈をしていたんだけど、ごめん、もう気にしている余裕はない。そして戻る予定もない。ごめんね。
「ありがとうございました!!」
「えっ、ちょっと!」
「後は大丈夫です!!」
制止する声に振り返りもせず、僕は雨の降りしきる
君が呼んでる。
君が危ない。
助けなきゃ、今度こそ助けなきゃ。
地図も無いのに行くべき場所がわかった。スリッパはいつの間にか何処かへ置き去りになっていて、無防備な裸足は幾つもの枝に切り裂かれたけれど、こんなのどうってことない。だってもう見え始めている。
ちょうど雨が上がったところ。
明らかになっていく。あの切り立った崖の下に、僕の求める君が。
「夏南汰ぁッ!!」
夏南汰。そう、まさに呼んだままの姿だった。現世のナツメではなく、時を遡ったあの姿。
下駄を片方失った小さな足。昔よく着ていた着物のまま、仰向けに。満ちた雨水の上に揺蕩う様は睡蓮の花のよう。
きっと今まさに生と死の狭間を彷徨っている美青年の姿がそこに在った。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
今に始まったことじゃない
遠い昔から 僕はずっと
君の美しさに怯えてた
君の美しさが怖かった
血気盛んな“
海のように深く
波のように激しく
破天荒なのに
滅茶苦茶なのに
人を魅了して引き込んでいく
触れれば身を滅ぼす美の境地
だけど僕は知ってしまった
絶望の
見る者を異界へ
秒針を止めてなお芸術品として成り立つ
君は“死”までもが実に美しかった
僕の元へ舞い戻った
指先一つ程度の骨
残酷さまでもが愛おしかった
僕が生涯で最も愛した
惨たらしい亡骸だった
嗚呼
君はまたここで
芸術品になってしまうのかい?
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