12th NUMBER『君の中の“君”を見つけたい』


 密集していた木々が次第にその間隔を広げ、足取りを妨げる枝も雑草も少なくなったところで雪之丞ぼくは倒れた。痩せ細った手から囓りかけの果実が転がる。


 森林を抜けた先で僕を迎えた景色は、なだらかな丘と白っぽい色の一本道、それと夜空に浮かぶ大きな満月……だったと思うんだけど



――大丈夫ですか!?――


――聞こえますかー!?――



 二人くらい、知らない誰かが僕を見下ろし呼んでいたと、思うんだけど



「ナツメ……ナツメ、に、あわ……せ、て……」



「おい、“ナツメ”って……もしかしてナツメ副班長のことのじゃないか? 生物研究班の」


「念の為、親衛隊に連絡した上で研究所へ連れて帰ろう。うちならプロの医者ドクターも居る」



 大きな腕に抱き起こされてなお、僕はただうわ言のように彼女の名を繰り返していた。乗せられた車の中でゆっくりと意識を手放していった。




 それから僕は不思議な夢を見ていた。



 どぉん、どぉんと、夏の夜空に大輪の花が咲く。そこへ混じる祭囃子の音。



――待って。もう、早いよ――



 僕は苦笑しながら人混みの間を縫って“君”の後を追う。


 君は……白練色しろねりいろの生地に勿忘草のような小花が縫われた浴衣を着て、右手にラムネの瓶、左手にりんご飴を持っている。軽やかな笑い声を零している。後ろ姿だけでもはしゃいでいるのがわかる。


 やがて君がくるりとこちらを振り向いた。想像通りの眩しい笑顔で僕の名を呼ぶ。



――ユキ!――



 僕の……名。



 そうだ、僕のあだ名は昔から“ユキ”だ。姉にもユキちゃんって呼ばれてた。だけど、なんだろう。



――ユキ、ほら見て。金魚がおる。かわええのう――



 君が……“ナツメ”が僕をそう呼ぶことに、何か違和感がある。口調もなんだか違うような。僕が昔から想い続けている相手は、この人で間違いないはずなのに。



 懐かしいけど何処か噛み合わない。幸せなのに何故かちょっぴり怖い。そんな時間がやがて……




――――っ!



 一面の白に遮られた。



「ここ、は」



 仰向けの僕の視界を埋めるのは見慣れない天井だ。真っ白で、冷たそうな。


 それと消毒液みたいな匂い。ピッ、ピッ、と一定の間隔で電子音らしき音が鳴っている。


 身体は動きそうだ。僕はかかっている薄い布団をめくり、自分の身体を確かめる。


 僕の格好は、森林を彷徨っていたときに着ていた藍色の着流しではなく、入院患者が着るような水色の服に上下とも変わっていた。擦り傷だらけの左腕には点滴の針が……そう、ここまでなら見覚えがあるんだけど、僕の周りをぐるりと囲む光景に気付いたときはさすがに驚いた。


 見慣れない形状をした機械がいっぱいだ。てっきり病院に搬送されたもんだと思っていたのに、どうも自分の知る雰囲気ではないことに戸惑った。



「あっ、良かった! 意識が戻ったんですね」


「ひっ……!」



 そして大きく息を飲む。



 突如僕の視界に入ってきたのは長身で痩せ型の人。中性的な顔をしてるけど、声からして多分男性なんだと思う。白衣という服装そのものは医療関係者っぽい。


 だけど違うんだ。この人、耳がとてつもなく長い。目なんて檸檬レモンみたいな黄色、更に髪が水色。そんな馬鹿な。異人さんだってこんな色を持つ人はいないはずだ。



Dr.ドクター、彼の意識が戻りました」


「おぉ、それは良かった」



 ドクターと呼ばれて現れた人は黒髪に眼鏡、中肉中背の体型にアジア系の顔立ち。僕より一回りくらい年上だろうか。何処にでも居そうな男性だ。なんの不思議もない。


 だけど最初に現れた色鮮やかな人が、未だ彼の隣で微笑みながら立っている。幻覚ではなさそうだ。



 一度不安を覚えると目に映る全てのものに恐怖を感じた。僕は忙しなく辺りを見渡す。


 ここは何処? この点滴はなんの薬品? この人たち、僕をどうする気なんだ。



「大丈夫、落ち着いて。名前は言えるかい?」


 ドクターに両肩を掴まれて、僕はやっと自分が震えていることに気が付いた。


「ゆっくりでいいよ。ゆっくり、思い出してごらん」


 まともに相手の目を見ることも出来なかったけど、優しい声色にすっと自分の名を引き出された。




 それからおそらく数分後のことだ。


 開け放たれた扉の方へ僕の目は一瞬で釘付けになった。白衣をまとった美しい女性ひとが目の前に。



「ナツメ!!」



「ユ……キ……」



 大きく目を見開いた彼女にあの違和感のある呼び方をされたんだけど、僕は気にも止めなかった。それどころじゃなかった。


 見間違えるはずもない、探し求めていた彼女。僕の愛する人。ああ、やっと逢えた……! 恐れも吹き飛ぶくらいの感動が湧き上がってくる。



 しかし対する彼女は瞬きすら忘れ、何故か不安気な顔をして僕のところへ歩み寄ってくる。


 僕は目を潤ませながらも彼女を自分の胸に受け入れようとした。彼女へ向かって手を伸ばそうとした。


 衝撃的な一言が降ってくるとも知らず。




「何故……私を、知って……」



――え?



(今、なんて、言ったの? ナツメ)




 耳を疑うとはまさにこのことだ。僕が君を知っているのがおかしいって? まさか、それこそおかしい。


 今でもこの身体と心が覚えてる。僕らは愛し合った仲じゃないか。間違いなんかじゃなかった、確かに想い合ってたはずだ。なのにどうして。



「!!」


 そのとき僕は嫌な閃きに息を飲んだ。



 見慣れない機械に見慣れない人、この異常な環境。


 まさかナツメは脅されている? この人たちに何か強いられているのか?



「ねぇ、ナツメ。一緒に帰ろう。早く逃げなきゃ」



 焦燥に駆られた僕は彼女に手を差し伸べた。出来るだけ彼女を安心させてあげようと微笑みを作りながら促した。


 しかしどういう訳だろう。彼女は尋問をするみたいな厳しい顔をして再び僕に訊いたのだ。


「貴方は……誰だ。名はなんという」


「ナツメ……?」



「答えてくれ」


 今度は僕に“誰”と問う。さっき僕のことを“ユキ”と呼んだばかりなのに、知らないはずがないのに。


 初めて見た彼女の冷たい目に僕は凍りつく。訳もわからないまま自分の名を告げる。



「……春日雪之丞」



 彼女の眉間にはぎゅっと二本の縦皺たてじわが走った。その後すぐに目頭を押さえて顔を伏せる。


 何故そんな苦しげなため息をつくのか、僕の名前の何がおかしいのか、わからない。



 呼吸を整えた彼女は、次々と僕へ尋ねた。何処で私を知ったのだ、とか、何処で会ったか覚えているか、とか。僕はそれに全て答えることが出来た。


 だけど何か矛盾してると途中で気付いたんだ。



 ナツメと出逢ったのは学校だと記憶していた。でもおかしい。僕は医学科の大学院生だったはずなのに、何故か教師の立場で彼女と接していた記憶がある。そんなのあり得ないはずなのに。



「でも……っ、確かに君を知ってる!」


 背筋がゾクッと逆立って視界が激しくぶれる。得体の知れない恐怖に駆られた僕は思わず彼女の白衣の裾を掴んだ。


「早く逃げよう! ここは、何だか、おかしい!!」


「ユキ、まっ……」


「早くッ!!」



 僕はナツメを連れて行こうと立ち上がる。しかし一人の男に肩を掴まれ動きを封じられた。ナツメと一緒にやってきた金髪の大きな男。“ブランチ”とか呼ばれてた人だ。


 彼は狼のような琥珀色の瞳で僕見下ろす。明らかに睨んでいる。


「は、離して……!」


 抵抗しようとするも虚しく、そのままベッドの縁に押し戻されてしまった。彼の大きな手は未だ僕の肩に乗っている。重くて、痛い。


(嫌だ、嫌だ、僕はナツメと一緒に帰るんだ)


 意志ははっきりしているのに、目の前の凄まじい威圧感に勝てない。悔しさに涙が滲んだ、そのとき。



――やめろ!!


 ナツメが彼を押し退け僕の身体に正面から跨ってきた。びっくりした。だけど僕は


「何をするんだ! こんなに怯えているのに!」


 僕は嬉しかった。泣きながら僕の頭を抱え、その柔らかな胸へと引き寄せてくれたことが。


 おのずと温かい涙が滲んでくる。


(ああ、ナツメ。僕らが想い合っていたことは間違いじゃなかったんだね)


 愛おしさが溢れていく。お互いの体温を確かめるように僕らはしばらくそうしていた。



「私は……? 覚えて、いるか?」


「ナツメ?」



「そっちじゃない。私じゃよ」


 だけど安らかな時間も長くは続かなかった。僕を間近から見つめるナツメの目の色が変わった気がしたのだ。


 僕の頭が痛み出す。またしても視界がぶれ始める。



 何やら焦った様子のブランチさんが彼女を羽交い締めにした。彼女へ手を伸ばした僕もドクターたちに押さえつけられた。


 僕を敵視するようなブランチさんの鋭い眼差し。何か熱いものがかぁっと込み上げる。僕は両方の拳を強く握り、わなわな震えながらも負けじと彼を睨み返す。


「やめっ……やめろ! その手を離せッ! ナツメに乱暴するな!!」


 ナツメは泣いていた。怖い男たちに無理矢理引っ張られてるからだと思った。だけど違った。


 激しく髪を振り乱した彼女が涙を散らしながら叫んだ。僕に向かって。



「じゃけぇ、それは違う! 君にとっての私は……ナツメではない……ッ!!」


「えっ」



 容易には理解できない言葉だったけど一つだけわかった。さっきから彼女を悲しませていたのは僕だったらしい。




 姿形は確かにナツメそのものなのに……一体、どういうことなのか。


 夏祭りの夢と同じ感覚だった。“ユキ”という呼び方、それと独特の口調。何処かの方言みたいな。あれもやはり彼女の声だと違和感がある。



 自分が置かれている状況もわからず、得体の知れない薬品を投与されたまま、僕はひたすら彼女のことばかりを考えた。



 そうして繰り返し、数日経った頃、“彼女”の中に“彼”が見えた。



――ユキ!――



 あの呼び方が似合う“君”。



――大好きじゃけぇのーっ、ユキ!――



 あの口調が自然だった“君”。



 そう、彼女も彼も同じ魂、同じ“君”だった。


 そう、今ここに居る僕は現世の僕ではなく、前世の僕の姿なんだ。そうだ、確かそうだったはずだ。



 ならば君は?


 現世はナツメ。そして前世は……



 照明の落とされた深夜、半身を起こした僕は神様へ助けを乞うようにして天井を仰いだ。真っ暗闇であるはずのそこに閃光が走り、この世のものとは思えないくらい美しい光が舞い降りる。



 いや違う、これは。



 僕は高く手を伸ばした。そして確信した。



 これは君の欠片かけら


 愛おしくて哀しい、僕だけの“真夏の雪”。




――僕が見たかったのはこんなのじゃないよ――



――夏南汰ぁ……ッ!!――



「君、なのか?」



 一筋の涙を頰を伝う。僕はやっと自分の中にその名を取り戻した。愛おしい響きを今すぐ彼女に伝えたいと思った。



 夏南汰の生まれ変わりであるナツメに。



 鼓動が高まっていく。早く逢いたい、逢いたい! そう願っていた矢先だった。



――起きてたのか。



「わっ!」



 突如低い声がして僕は跳ね上がった。扉の方を見ると、明かりを下向きに持った大きな人影が立っている。


「見回りの奴が体調不良だから、今夜は俺が代わりに回ることになったんだ。なぁに、すぐに出て行くよ」


「ブランチ、さん?」


「おう。よく覚えてたな」



 これが数日前だったら、僕は彼に食ってかかっただろう。ナツメは何処だ、彼女に何かしたら許さないなどと、非力なりにも精一杯戦う姿勢を見せたと思う。


 だけどそうもいかなくなった。久しぶりに聞いたブランチさんの声。そこに覚えのある波長を感じてしまったからだ。



「ブランチさん、電気つけて下さい」


「は?」


「お願いします!」



 だから僕は彼に頼んだ。不穏な予感、知るのが怖い。だけど知らないままではもっと良くない気がした。



 照明のつけられた直後は目がチカチカしていた。それもやがては慣れてくる。


 そこに立っているのは間違いなく険しい顔をしたブランチさんだけど、光のもとでより鮮明になったのは前世まえの波長。


 確信を覚えた僕は布団を跳ね除け、点滴を腕から外し、ベッドのすぐ下で土下座をした。震える声で精一杯の思いを伝えた。



「申し訳ありませんでした、お兄さん……!!」



 しばらく沈黙が続いていたけど、やがて伝わった。阿修羅を思わせる凄まじい波長が僕の方へ。



「てめぇ、夏南汰を奪っておいて今更」



 陽南汰お兄さんの生まれ変わりである彼が今、鬼の形相であることなんて確認するまでもなかった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 遠い記憶の波と共に

 昭和の夏が僕の元へ


 真夏の空に散った雪を

 真夏の雪と化した君を

 君を 君の名を

 思い出したなら


 僕は自分の罪を知った

 ただでさえ罪深いと思っていたのに

 それどころじゃなかった

 まだ足りなかった

 僕が受けるべき罰は


 新たな時代で

 新たに受けしせいだけど

 償いきれはしないのだろう

 これほどの罪はきっと

 魂に染み付いてしまっている


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