ニート・パラドックス
猫浪漫
第1話 集団脳
真夏の暑い日のことだった。長い人生の骨休みにニートを嗜む俺は、同じニート仲間のKを遊びに誘った。
Kは派遣切りにあって仕事を辞めてからは、家族から非国民扱いされているらしく、最近では、ネトゲをするのにも親の顔色を窺わなくてはならないといった有様で、いささか脛かじりとしての毎日に勤しんでいるらしい。
Kは、よほど鬱憤が貯まっていたのか、俺からのささやかな誘いを、話す相手のいない老人のような声で快諾した。
俺達は、互いの傷の舐め合いの場所を近所のファミレスで行うことにした。
待ち合わせの時間は十四時だった。昼時を避けたつもりではあったが、店の中に入ると、すぐに轟くようなざわめきに襲われた。
主に中年のものと思わしき女性の声が、店内のあちこちから洪水のように氾濫している。その中を可愛げのない子供たちが縦横無尽に駆けずり回り、その近くに座っている母親と思わしき連中がぺちゃくちゃとお喋りに興じている。
どの客も店内の騒音に一役買っているように見える中で、静かに新聞を広げている爺さんたちの姿が寂しかった。
俺たちは、店内でも特に強い騒音が発せられていると思わしき場所に案内された。隣の席を見ると、総勢八名のおばさんたちが一大勢力を模り、二つの四人席を占拠した状態で鎮座していた。
俺はKを誘った割に金がなかったので、ドリンクバーだけを頼んだ。無論、Kも同じものだけを頼んでいたのは言うまでもない。
おばさんたちが発する言葉の騒音をBGMにしながら、俺たちは与えられたコップの中の飲み物をひたすら啜り続けた。
「……ねえ。ちょっと聞いてよお。うちの息子が、全然働かなくて困ってるのよお」
「あら、うちもそうなのよお。全然こっちの話も聞かないし、『働け』って少しでも言ったら、私が買ってきてやった雑誌を投げつけてくるのよお」
「そんなのまだいいじゃない。息子さん、子供がいる訳じゃないんだから。私のとこなんて、離婚した娘が私の所に孫を預けたまま全然ウチに帰って来ないのよお。それにお金も全然入れて来ないし、どうせまた浮いたお金をダメな男に貢いでるのよお……」
隣の席からは、耳の痛い言葉が際限なく聞こえてきた。おばさんたちの話に出てくるようなダメな男の代表である俺は、俺と同じようなニートの女と共に親の脛をかじるという甘えた生活をしていたのだ。
「久々に外に出ると、周りはうるさいなあ~」
Kが溜息混じりに言った。それにしても、涼みにはあまり適さない場所である。嫌でも耳に入ってくるおばさんたちの会話にうんざりしながら、俺は隣の席を横目に見た。
「俺さ~一つの集団には、それ自体に一つの脳が存在すると思うんだよね……」
俺と同じように、Kがおばさんの集団を横目に見ながら、突拍子もないことを言ってきた。
「脳?」
「まあ、知性とか精神でもいいんだが、全体としての性格みたいな感じかな」
「会社の性格というか、法人の性格みたいなものかな?」
「ああ、そんな感じ。『うちの会社の特徴はこんな感じです!』みたいな」
「ほほう」
俺はスマホを取り出すと、Kを派遣切りにした会社のHPにアクセスし、その中から企業理念の項目を調べた。
『私たちは、人材派遣事業で培ってきた様々なノウハウを活かし、みなさまを多角的に支援致します』
文面を眺めていると、達成する気のなさそうな体裁論が続いた。
「人材派遣事業で培ってきた様々なノウハウによって、俺なんて多角的にクビにされちゃったよ」
同じHPを見ているのか、Kが哀愁の言葉を吐いてきたので黙殺することにした。
文章を読み進めていく内に、俺は見慣れない言葉に突き当たった。
『私たちは、すべての「ステークホルダー」に対する責任を果たします』
「なあ、『ステークホルダー』ってどういう意味?」
「んん?」
俺の質問にはすぐに答えずに、Kがスマホの画面を覗き込む。
「ああ、『利害関係者』のことだな。例を挙げると、消費者とか就業員とか、取引先のことだよ」
暫くすると、Kがまるでウィキぺディアで調べてきたかのように、スマホの画面から目を離さずに答えてきた。
「ってことは、おまえ、会社から『ステークホルダー』扱いされてなかったんだな」
「は?」
Kが、意味が判らないといった表情をする。
「お前、派遣切りされたんだろ?」
「つまり俺は『ステークホルダー外通知』されたってことだな」
『私たちは、従業員一人一人の豊かな創造性とチャレンジ精神を何よりも大切に致します』
「お前、そもそもチャレンジできてないじゃん」
Kの顔色がいよいよ翳り始めた。冗談が通じなくなってきたので、俺は慌てて別の言葉を探すことにした。
「まあ、企業理念を覗いてみても、抽象的でいかにも立派なことしか書いていないよな」
俺は作り笑いをしながら、Kの様子を窺った。
「まあ、ブラック企業が『うちはブラック企業です』なんて言わないのと同じだな」
気を取り直したのか、Kがニートの分際でありながら、偉そうな口調でブラック企業を論じ始めた。
「つまり、その『ブラック企業』的なものこそが、一つの集団が持っている一つの精神の性質と言える訳だ」
Kが、勢いに乗って自論を盛り上げようとする。
「なるほど」
「つまり、あの会社の企業理念の正体はこうだ」
スマホの画面を覗きながら、Kが、先程挙がっていた企業理念の内容の一部を、次のように言い換えた。
『私たちは、すべてのステークホルダーに対する責任を果たす気はない』
『私たちは、社員一人一人の枯れた創造性とムダなチャレンジ精神を何よりも顧みない』
Kの挙げる企業理念の正体を聞いて、俺は少し苦笑いをした。
「自分が派遣切りされたからって、極端だな。それに会社の中にいる人それぞれがお前の言うようなことを考えている訳じゃないだろ?」
「まあ待て、俺の主張を裏付ける良い材料がある。隣を見てみろ」
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