環外

 親はなくとも子は育つ。

 厳密に言えばなくはない。片方が欠けてしまっているだけだ。それに養育費はかかさずにもらっている。たんに、子育てはむずかしいけれど、いつのまにか大きくなっているということだけだ。

 離婚し、転職し、どうにかこうにか生きてきて、気づいたら娘は高校生になっていた。

 彼女はどうやら普通の人間だったようだ。いまのところ、恋人ができたという話は聞かないけれど、好きな人ができたというような雰囲気を見せたことがある。

 それでも、もしかしたら影で悩んでいたりする可能性はある。

 好きな人がというのも演技かもしれない。

 わたしはどうだっただろうかと考える。あまり覚えてはいない。そういった雰囲気を見せた記憶はない。演技もしなかった。ただ、このぐらいの時期に幼馴染と付き合ったことがあった。

 その結果を導いた原因を隠していただけだ。

 そもそもわたしの両親は、わたしのような存在を認識できていただろうか。わたしの性質について両親に相談したことはなかった。離婚もたんに彼が浮気をしたからだということで済ませた。どうして相談しなかったのかといえば、両親の口から存在を否定されるような言葉を聞くのが怖かったのだと思う。どうなるのかは不確定だ。やさしく受け入れてくれるかもしれないし、拒絶され矯正を望まれるかもしれなかった。それが不安で、ゆえに黙っていた。

 そう考えると、娘も同じように彼女の中でだけ抱えている可能性はある。

 もしそうだった場合、わたしは彼女になんて言えばいいだろうか。

 わたしのせいだと謝るか。

 同じだと受け入れる格好だけを見せるか。

 できるだけ娘のことを考えて行動したいとは思う。だけど、もし彼女がわたしと同じような人間だとわかったら、わたしは罪悪感とともに、いくらかの失望を覚えると思う。とても自分勝手な感想として。

 結婚指輪をはめているこの子の姿を、見るのはむずかしいのだなと。


 子供は子供ではなくなる。

 それでも、親の立場からすれば子供のままなのだけど、大きくなり、成人して、自立し、家を出て、生きている。いささかさみしいけれど、彼女は彼女の人生を生きていくのだ。

 結果として、彼女はわたしと同型の人間ではなかったと観察される。

 厳密には隠している可能性、演技をしている可能性も消えはしないけれど、長い間、ともに生活し、育ててきたのだ。なにが演技で、なにがほんとうかはなんとなくわかる。

 恋人ができ、一緒に住むことにしたらしい。そんな報告を以前、電話で聞いた。今日は、ひさしぶりに帰ってくる。恋人を紹介するというようなことはないようだが、もしかしたら、結婚というような話もあるのかもしれない。

 いくらか期待が高まっていた。

 娘がドレスを着て、指輪をはめている姿を想像する。

 一度、口を付けるくらいは許してくれるだろうか。

 嫌がられそうな気はする。

 そんなことを考えながら迎えたひさしぶりの娘は、神妙な面持ちで予想外の言葉を口にした。

「結婚とかしないから」

 わたしは驚いてどうしてかと問い詰める。まさかやはりわたしのように人間を愛することができない人間だったのかとも思ったがそれは違うらしい。話を聞いていくと、ほんとうに結婚という仕組みを利用しないということだけのようだ。

 恋人がいて、大切で、一緒に住み、これからもそのような生活を続ける。相手が既婚者で不倫だとかということもなく、いずれ子供も育てるつもりだという。それでも結婚はしないのだと。

「お母さんは、感覚が古いんだよ。いまどき、しないのが普通なの」

 わざわざそんな説明をしに来たのは、どうもわたしが娘の結婚を楽しみにしているような様子が伝わっていたかららしい。

 そんなわたしを喜ばせることと、自らのしたいことのずれに彼女は悩み、選んだ末に今日の機会となったのだろう。

 どうすればいいかわからなくなっていた。

 できるだけ娘の幸せを願いたい気持ちとわたしの望む未来が噛み合わない。どうしても説得したい気持ちがあふれ、いくらか言葉になってしまうが、娘はもう考えを固めているようだった。

 それなら、もうできることはない。

 彼女の人生だ。

 とてもとても口惜しいが、わたしが選ぶものではない。

「そう……。わかった。なんて言えばいいかわからないけど、あなたたちがそうしたいのならそれが一番いいと思う」

 娘の顔が、ぱーっと明るくなる。

「ありがとう。お母さん」

 うらやましいなとわたしは思った。

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