認識
恋人ができた。
生まれてはじめての恋人だ。
高校生になって、学校が違ってしまった幼馴染から恋われ、そういう関係になった。幼い頃からの付き合いがあり、家族以外の異性としては、もっとも仲のいい人間だと認識していたので、恋や愛というような気持ちはなかったけれど、相手が望むのならいいかと思い受け入れることにした。
これまで、異性を好きになるような感情を持ったことがなかった。小学生の頃? 中学生の頃? 周りが恋やなんだと騒ぎ出すような年頃になっても、それがどういう感情なのか認識できなかった。友達の恋が実れば嬉しく、夢破れてしまえば悲しいとは思う。けれど、自分がという気持ちはまるでなかった。告白されたようなこともあったけれど、よくわからないからと断っていた。
だから、幼馴染の彼からそういった感情をぶつけられて、不安と期待の入り混じった表情を見せられて、わたしもそのような尊い感情を知りたいと思って、申し出を受け入れたのだ。
だけど、結果から言えばだめだった。
幼馴染が恋人へと変わってからはじめて手をつないだとき、彼のドキドキは伝わってきたけれど、わたしのそれは、幼い頃に彼の手を握ったときとなんら変わらないものだった。
それは他のはじめてでも同じだった。
彼はいつも目先の不安と憧れへの期待を抱えている。わたしはそんな期待をどこかに置いて生まれてきてしまったようだ。
いつも不安しかなかった。
新しい一歩を踏み出しても、変われなかったらどうしようと。
そうして、結局、何をしても変わらなかった。
口をつけても、体を合わせても、恋い焦がれるというような気持ちが芽生えることはなかった。むしろ、彼のことを嫌いになりそうだった。そうなりつつあった。
彼がひどいことをしたわけではない。
ただ、彼とそういったことをしたいと思うことができないゆえ、我慢ばかり抱えているうちに、できるだけ会いたくないと思いはじめていた。
ある日、引っ越しをする近所のお姉さんのもとに彼とふたり、お別れの挨拶へ行った。彼女は少し歳が離れている。だから、わたしや彼が幼かった頃、いろいろめんどうを見て、遊んでくれたのだ。
そんな彼女は、今日でこの街を出ていく。結婚して、新しい街で新しい生活をはじめるのだ。結婚式は少し前に行ったらしい。新居の準備が遅れていて、引っ越しがあとになったとのことだった。引っ越し屋さんが慌ただしく荷物をトラックに詰め込む横で、わたしと彼は、彼女と話す。
「さみしくなります」
わたしは本心を伝える。彼女もさみしそうな表情をしつつも、やはり幸せに包まれていた。うらやましいなと思う。わたしはこんなふうに幸せな結婚なんてできるとは思えない。異性を好きになることができないのだ。結婚より前に問題がある。
「ふたりとも元気でね」
彼女はわたしと彼が付き合っていることを知っている。だけど、わたしが悩んでいることは知らないだろう。だから、あなたたちも幸せになってというような善意からの言葉を紡ぐことができる。
彼が、不確かで明るい言葉を返した。わたしも合わせて中身のない言葉を続ける。今は、わたしの時間ではない。異性を好きになれるほど大人ではないけれど、彼女の幸せを壊すほど子供でもなかった。
彼女のパートナーが家からでてきた。彼女の両親との会話を終えて、もう出るようだ。さきに引っ越し屋さんのトラックが出発した。
「では、行きましょうか」
丁寧な口調で、左手を差し出す。彼女は答えるようにパートナーの手の上に左手をのせた。それはなにかの演技だったかのように美しく、ふたりの左手と左手がふれあった。愛を誓った印が、二人の薬指でお互いの愛を示すように輝いている。
結婚指輪だ、と私は思う。
そのとき、なぜだろう、わたしの胸が苦しくなった。お別れがさみしいのだろうか。別にいくらでも電話できるし、メッセージだって遅れる。会いに行くのだってむずかしくない距離だ。社交辞令かもしれないが、新居にも遊びに来てと言われている。
それなのに、どうしてか、わたしの内心のなにかが高鳴った。
二人が車に乗り込んだ。
エンジンがかかる音。
助手席から彼女がささやかに手をふる。
その向こうにはハンドルを握る手が見えた。
ふたりがとてもまぶしく感じる。
うらやましいなと思った。
車がゆっくりと動き出した。
手を降って、走り去る車を見送った。
わたしは涙を流していた。
「そんなに感動したのかよ」彼が言った。
「そうかもしれない……」わたしは答えた。
感動。たしかに近いものがある。だけど、一致はしていないようにも思う。胸に喪失感があった。ゆえに、わたしは認識したのだ。
わたしの好きなものを。
わたしが愛するものを。
一ヶ月後、わたしは彼と別れた。
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